第5話 美しき魔王

夕方頃から出ていた雲が途切れ、月が湖面に影を落とした。

愛おしい息子の寝顔を見ていた彼女は窓から入り込む月明かりで息子と一緒にベットに入ってからだいぶ時間が経っていることに気が付いた。

雲が途切れなければ朝までこうして息子の顔を眺めていたかもしれない。

だが、彼女にはやるべきことがある。

名残惜しいが彼女は息子のおでこにそっと、触れるか触れないかのキスをすると

ベットから降りる。

そして息子の布団をかけなおし、そっと部屋を後にした。


「おやすみ、私の愛おしいアス。」




彼女が息子の部屋を後にしてから向かった先は彼女自身の執務室。

お昼にアスワイルが駆け込んできた部屋だ。

中で物音がする。


(まただわ。)


彼女は内心でため息をつきながら扉を開ける。

案の定、予想していた人物がせわしなく書物を抱え、机と書棚を行き来していた。


「ゼノ、何度言ったらわかるの?私のことは良いから先に休みなさい。」


そこに居たのはゼノ・ヴァレン、彼女が臣下の中でも信頼を置く一人で最も古くからの付き合いでもある。


「そんなことできるわけがないことはあなたが一番お分かりでしょう?私の誇りはあなたに仕えること、ただそれのみなのですから。」


いつもと同じ有無を言わさない、圧を感じる。

ゼノの忠義は少し、いや、かなり重い。

信頼しているがその分、もっと自分の体をいたわってほしいと思ってしまう。

彼も息子同様に、大切な人であることは間違いいないのだから。

だがいくら言ったところで聞かないことは長年の付き合いでもうわかっている。


「はぁ、もういいわ。好きになさい。まったく、あなたにそこまでの忠義を示してもらうようなことをした覚えはないのだけれど。」


「ご謙遜を。この世界を治める最強の一角にして我が国タロスの王。そしてこの世で最も強く、最も美しい様。私が仕える理由はあなたがいる、それだけで十分なのです。」


魔王、それが彼女の地位。

望んで得た地位ではない。


魔王国タロス。

望んで建国したわけではない。


生まれてからずっと誰かを守るために戦い続けた。

家族を、友人を、故郷を。

あのころは大切なものを奪わせないために必死だった。

必至に戦い、多くの命を奪った。

そして気が付いたら魔王になり、庇護を求めるものたちが集まり国となった。

それがこの国、タロスの始まりだった。


「どうかなさいましたか?」


建国当時のことを思い出していたゾフィーはゼノの言葉で我にかえる。

そして建国当初からずっとそばで支えてくれてきた彼に改めて感謝する。


「ちょっと昔のことを思い出してたの。あの頃と比べたらこの国もだいぶ大きくなったわね。」


「そうですね。この数十年で国は大きく発展しました。これもゾフィー様の尽力あってのことです。まぁ、その本人のお姿は全く変わらないのですけどね。」


感慨深げに話すゾフィーに思うところがあったのか、ゼノもどこか懐かしそうな表情になる。

だがすぐにその表情はいつものいたずらっ子のようなものに変わった。


「仕方がないじゃない。先祖返りした吸血鬼はその時点で成長が止まってしまうのだから。それにゼノだって対して変わってないわよ。」


彼女の種族は吸血鬼、そして先祖返りでもある。

彼女が最強と言われる所以でもある。

先祖返りで得た能力は大きく分けて3つ。

不老、自己治癒、悪喰。

老いない体に、魔力が続く限り死なない自己治癒力。

勇者をもってしても傷一つつけられないと言わしめた最強の守り。


そしてすべてを奪う災悪のスキル、吸血から派生した悪喰。

これは文字通り相手のすべてを喰らうスキルだ。

魔力や生命力はもちろん、相手のスキルや経験値、レベルなどすべてを奪う。

代償として相手の記憶や意思まで引き継いでしまうので普通の人ではすぐに脳内の容量がパンクし、廃人になってしまうだろう。

だが自己治癒のおかげで吸収した記憶は精神的なケガとして瞬時に治癒されるためゾフィーにとっては代償にはならない。

これが最強の剣。

他に悪喰で得た大量のスキルや魔法も最強の剣の一部だ。


だが、ここまでの力を持ちながら彼女は1度もこ世界を手中に収めようとしたことはない。

それどころか他国に攻め入ることも、意味もなく力を誇示することもない。

彼女にとって力とは大切なものを守るためのものであって、決して何かを奪うためのものではないからだ。

その気高く、美しい志とその心に劣らぬ美しい容姿も相まって瞬く間に魔族の心をつかんだ。


こうして最強にして最も優しく、美しい魔王がこの世に誕生した。









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