58話「少し頑張ってみます」



「こほっ……」


 小さく綾人が咳をする音が、テストが終わって回収してる最中の教室に響く。

 2週間前。綾人と話さなくなってからずっと具合が悪そうで、テストが終わった今も引きずっているようだ。


「──よし、全員分あるな。

 テストお疲れ。来週はテストの返却と文化祭の準備だからな。赤点あったやつは補習で準備の時間減るから気をつけろよ……既に手遅れかもしれんが。

 じゃ、解散」


 基本的に軽い化学の先生はそう言うと、テストが詰まった茶色いA4サイズの封筒を持って教室を出る。

 途端に教室がザワザワと騒がしくなり、帰宅の準備のために席を立つ。

 わたしも帰る準備をしていると、鞄を持った寧々ちゃんが近づいてきた。


「この後カラオケ行かない? 2人で朝まで歌い明かそうよ」

「朝までは怒られるからちょっと……」

「じゃあギリまで歌おう! 『星空深夜』の新曲が追加されたみたいなんだよね〜」


 星空深夜は今売れまくってるミュージシャンで、確か新曲が先週発表されて話題になってたっけ。

 それを歌いに行きたいのだろう。


「じゃ、行こうか」


 わたしも帰り支度を終えたので、2人揃って教室を出る。

 学校を出て最寄駅から二駅離れたところまで電車で移動し、駅を降りる。


「でさー、この前配信で──」


 『星空深夜』の大ファンの寧々ちゃんのオタクトークを聞かされながら歩いていると、ふと離れたところにいる人に目が止まる。


「……あっ」

「ん? どうかした?」

「ご、ごめん! 用事思い出したから一人で行って!!」

「え、くるみ!?」

「埋め合わせはするから!」


 考えるよりも先に体が動いて、わたしは過去一番の速度で走る。

 それで気がついたのだろう、その人はわたしのことを見ると、少し驚いた後、「あー!」と声を漏らした。


「あ、あかりさん、ですよね?」

「くるみちゃん、だっけ? 綾人くんと一緒に店に来てくれた子だよね!?」


 息を整えながら、わたしはこくこくと頷く。

 喫茶なつのきの近くだからといって、見かけるとは思ってなかった。

 そしてその姿を見て、なんとなく話しかけねばと思ったのだ。


「あの、その……」

「どうかした? 恋愛相談なら乗るよ?」


 とはいえ、わたしも何で走ってまで話しかけたのかわからず言葉に詰まってしまう。

 見かねたのか、あかりさんは冗談混じりにそう言ってくれる。わたしはそれにこくこくと頷く。

 そう、恋愛相談だ。

 わたしは、それを誰かにしたかったんだ。


「え、ほんとに? 綾人くんとってことでいいのかな? そーいうことならお姉さんに任せなさい! 家に上げてあげるから、そこで話しましょ!

 ……そろそろお姉さんって歳でもなくなってきたけど」


 急に目を輝かせたあかりさんは、そう言うとわたしの手を引いてなつのきの方向へ歩いていく。

 営業中のなつのきの入口のすぐ横にある階段を上がると、その先にある玄関のドアノブに鍵を差し込み、回して開ける。


「入って入って! 飲み物アイスコーヒーでいいかな? すぐ持ってくるからリビングで待ってて! 廊下の突き当たりだから!」


 マシンガンもかくやといった速度でそう言い切ると、わたしを玄関に置いてまた階段を駆け降りていく。

 少し悩んだ後、靴を脱いで言われた通りに廊下の奥にあるドアを開けてリビングらしき部屋に入る。

 そこはソファーや大きいテレビなどが置いてある部屋で、まぁわたしの考えるリビング像とそう変わらなかった。


「……来ちゃったけど、どうしよう」


 話しかけたのも勢いだし、ここに来たのも勢いだ。

 普段そんなことはしないのに、よほど精神的に疲れていたのだろうか。

 わたしはソファーの端に腰掛けると、居心地の悪さを感じながらどうしようかと考える。


 綾人との何を相談しよう。

 なんて言ったらいいのだろうか。


 頭の中をぐるぐるといろんな言葉が駆け巡っているうちに、リビングにアイスコーヒーを手にしたあかりさんが入ってきた。


「いやー、お待たせしました。ここで淹れてもよかったんだけど、やっぱり店で淹れた方が美味しいからね。ほら、これどうぞ」

「ありがとうございます」

「うん。で、相談って何? キスしたいとか、エッチなことをする勇気が出ないとか?」


 嬉々として下世話なことを聞こうとするあかりさんに、若干申し訳なく思いつつも首を横に振る。


「実は……綾人と喧嘩……っていうか、仲違い……ともまた違うんですけど、話さなくなってて」

「え、あんなに仲良さそうだったのに!?」

「……綾人に、告白されたんです。でも、付き合うのが怖くて、なんかぐちゃぐちゃになっちゃって、『綾人はいつも考えてない』なんて、酷いこと言っちゃったんです」

「あー……それを謝りたいの?」


 納得したとばかりにそう言うあかりさん。でも、そういう訳ではない。いや、もちろんそのこともちゃんと謝らなきゃいけないんだろうけど、相談したいのはそれではない。


「違うんです。

 そのあと……2日後に、もう一度綾人と話したんですよ。綾人は、わたしの言葉を聞いて色々考えてくれたみたいで」

「……それで?」

「『くるみとは付き合えない』って言われました。『僕の方が先に死ぬから、くるみを置いていくことになるから』って」


 自分で話してても涙が出てくる。

 でも、なんとか言い切った。


「納得はしてるんです。でも、嫌だって思う気持ちが消えなくて。

 綾人に考えろって言ったのはわたしだからそれを尊重しなきゃいけないのに……

 ──わたしは、どうしたらいいですか?」


 そんなわたしの言葉に、あかりさんは真剣な顔で考える。


「……くるみちゃんは、どうなりたいの?」

「どう……」

「納得してないから諦め切れるようにアドバイスが欲しいのか、納得してないからあがいてみたいのか、どっちなの?」


 どっち、なのだろう。

 綾人と一緒にいたいという気持ちがある。

 でも、綾人の決めたことを尊重してあげたいという気持ちもある。

 どちらかだけとも言えない。


「わからないです。どっちなんて……そんなこと。

 わたしは諦めたくない。綾人とずっと一緒にいたい。でも、綾人がそれを望まないなら、諦めなきゃいけなくて……でも……」

「じゃあ、まだ綾人くんのことが好きなんだ」


 あかりさんの言葉に、涙を流しながら何度も頷く。


「すき。だいすき。絶対に離れたくないって、そう思ってたのに……わたし……わたしっ!!」


 思い出すだけで涙が出てくる。

 たくさん泣いたのに、まだ枯れてはくれない。

 なんとか涙を抑えようと目元を擦っていると、急にあかりさんが近づいてきて──抱きしめられた。


「うん。わかるよ。離れたくないよね。私もそうだったから、わかるよ」


 あかりさんは柔らかい声でそう言うと、頭をポンポンと撫でてくれる。

 手慣れているそれがとても落ち着いて、余計に涙が出そうになった。


「ねえ、くるみちゃん。確かに綾人くんは、いつかくるみちゃんを置いていっちゃうのかもしれない。でもそれは今すぐじゃないし、いつくるかもわからない。

 でも、もし付き合わなかったとして、このまま2人別れて暮らしたとして、くるみちゃんは幸せになれる? 他の人と結婚しようと思える?

 綾人くんが死んだって人伝に聞いて、泣かずにいられると思う?」


 そんなあかりさんの問いかけに、わたしは首を左右に振る。

 幸せになれるわけがない。

 ずっと綾人のことが心配だし、一時も忘れるわけがない。もし無理して他の人と付き合っても、綾人のことが忘れられないだろう。

 綾人が死んだって聞かされて、泣かないわけがない。物心つく前から友達で、大切な人だったのに、泣かずにいられるわけがない。


「うん。そうだよね。だったらさ、どっちでも同じなんだよ。綾人くんが死んだら、どっちみちくるみちゃんは悲しむんだよ。

 綾人くんと付き合わなかったからといって、くるみちゃんが別の人と付き合うわけもないんだよ。

 だからね、付き合っても付き合わなくても結果は変わらないんだって、わたしは思う。

 ねえくるみちゃん。くるみちゃんは、どうしたいの?

 どっちでも同じ結果になるなら、それまでどうしたいの?」


 そう問われて、わたしは頑張って涙を抑え、震える声を止めようとする。

 でも、感情が昂ってどうしようもなかったし、涙が止まるわけもなかった。

 やがてわたしは泣くことへの抵抗を諦めて、涙声のまま話す。


「いっしょに、いたいよ。

 ずっと、ずっと、ずっとずーっと、一緒がいいの。

 そのあと、その分悲しくなるとしても、少しでも幸せになりたい。

 でも、綾人が……」


 綾人が、それを、苦しいと思うなら。

 いつか自分が置いていってしまう相手の顔を見るのが辛いなら。

 わたしは、その願いを抑えておくべきなんだ。

 どっちみちわたしが悲しむとしても、綾人の気持ちを楽にしてあげたい。


「でも、じゃないんだよ。

 くるみちゃんが幸せなら、きっと綾人くんも幸せだよ。

 だからね、綾人くんのことなんて考えないで、くるみちゃんが好きなように幸せになればいいの。そうしたら、綾人くんも幸せになるだろうから。将来のことなんて考える余裕もないくらい幸せにしてやればいいんだよ。

 私は、そうしたよ」


 あかりさんはわたしから離れると、左手の薬指にはまっている指輪を撫でる。


「夏樹もね、悩んでたの。私を置いて死ぬことに。でもね、言ってやったの。『好きな人が死んだくらいで不幸になるような弱い女じゃない!』ってね。それで、夏樹が死ぬまでの間で一生分幸せになってやった。あの人も幸せにしてあげた。

 夏樹ったら、幸せすぎて自分の死期すらわかんなくなっちゃって。ほんと馬鹿だよね。一言くらい言ってからいなくなれっての……置いていかれちゃったけど、私は今も幸せ。そりゃあ一緒に暮らしてた時の方が幸せだけど、それは今が不幸せだってことにはならないからね。

 一生分幸せをもらったから、あとはそれを思い出すだけでも十分幸せ。


 だからね、くるみちゃん。綾人くんと幸せになりなよ。綾人くんが何て言っても、男なんて好きな子が泣いたら負けちゃう生き物なんだから大丈夫だよ。

 難しいこと考えずに、『あなたと一緒に幸せになりたい』って、それでいいんだよ」

「……ほんとに、いいのかな」

「いいんだよ」

「じゃあ……少し、頑張ってみます」


 また、拒絶されたら怖いけど。

 それで綾人を不幸にしてしまうかもしれないのは怖いけど。

 でも、わたしが幸せになれば綾人も幸せになるかもしれないのなら、わたしが幸せにできるっていうなら。

 頑張っても、いいのかな。

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