45話「なつのき」
夏休みも終わりが近づいてきたある水曜日。
僕とくるみは揃ってどこかに向かっていた。
というのも、くるみから「友達にパンケーキが美味しい喫茶店教えて貰ったから行かない?」と誘われたので、くるみに案内されるまま歩いているのだ。
「ねぇ綾人」
「んー?」
「あそこ行かない?」
くるみが少し顔を赤くしながら指さしたのは、大層立派な見た目のホテル──俗にいうラブホテルだった。
僕は溜息を吐くと、くるみにデコピンをして歩くのを再開する。
「え、無視? かわいいくるみちゃんのお誘いを無視!?」
「前も言ったけど、最近雑になってきてない?」
「じゃあ丁寧に頼めばいいの?
……ご主人様、どうかわたくしめの体を滅茶苦茶に──ごめん、今のなし。思った以上に恥ずかしいこれ」
「羞恥心あるならそういうことしないでほしいけど」
「それは無理。どうしても綾人を誘惑しなきゃいけないから」
「……はぁ。理由は聞かないけどさ」
どうせ教えてくれないだろうしね。
ともかく、僕らはしばらく歩くとやっと目的地に到着する。
喫茶店「なつのき」。アンティークな色調の木の壁。ドアの前に置かれた黒板には「本日営業 今月のおすすめはバニラアイスパンケーキ」と丸い文字で書かれている。
──その店名に、僕は思わず頬を引き攣らせた。
いや、歩いてる時からもしやとは思ってたけど……
「ここなんだけど……綾人?」
「あ、いや。なんでもないよ。入ろうか」
まぁ、嫌いな人がいるわけじゃない。微妙な関係の人がここにいるかもしれないだけだ。
不思議そうに僕を見てくるくるみを促して、僕は店内に入る。
冷房の効いた店内は涼しく、カランとベルの音がした。
「はい、2名様でよろしかったです……か……」
ちょうどレジで会計を終えた女性店員が、こちらに対応しようと駆け寄ってくる。だが、僕の顔を見た瞬間、目を見開いてぴたりと固まった。
予想通りの人の登場に、僕は苦笑を浮かべながらもその姿を観察する。
最後に会ったのはいつだったか。僕が小学1年生の頃だ。30代の彼女──あかりさんは、僕の記憶にあるよりも歳はとっていたものの、世間的にはかなり若く見られるだろう見た目をしていた。
とりあえず元気そうで安心する。
「もしかして、綾人くん?」
おずおずと、しかし半ば確証を持って尋ねられ、僕はコクリと頷く。
すると、あかりさんは満面の笑みを浮かべて「やっぱり!」と言った。
「大きくなったね! 最後に会った時にはまだランドセル背負い始めたばっかりだったのに!」
「あかりさんも元気そうで何よりです」
「昔みたいにあかり姉ちゃんでいいのよ? あ、でももうおばちゃんって歳か」
「いえいえ、まだまだ若いですよ」
思ったよりもスムーズに話せるな、と思いつつ話していると、クイっと服の裾を引っ張られた。
くるみが不思議そうな顔で僕のことを見ていたので、関係性を説明しようとしつつ──言葉に詰まる。
なんと説明するべきなのだろうか。
そう僕が悩んでいることを察してか、あかりさんが説明してくれる。
「ええと、夏樹くん……綾人くんの叔父さんに当たる人かな。その人の元婚約者。だから、義理の叔母みたいなものかな。あなたは綾人くんの彼女さん?」
「あ……」
「えっと、くるみは彼女じゃなくて幼馴染です」
「あらそうなの? まぁどっちでもいいからゆっくりしていってね! とりあえず、席にご案内いたします〜」
仕事中なことを思い出したのだろう。僕とくるみを窓側の4人席に案内してくれる。
僕とくるみは向かい合うように座ると、出されたお冷に口をつけた。
「綾人、夏樹さんって、たしか……」
「うん、僕が小一の時に死んじゃった叔父だよ。で、あかりさんはその婚約者。よくして貰ってたんだけど……二人が結婚する前に、ね」
きっかけは、少し働きすぎたとかそういう些細なものだったらしい。
僕と似て体の弱かった叔父は、まだ20代にもかかわらず、風邪をこじらせてあっさり亡くなってしまった。
当時小さかった僕はよく叔父の家に泊まっていたし、あかりさんと叔父は同棲していたので、必然的に繋がりができたのだ。
叔父が亡くなってからはたまに父経由で近況を聞かされるくらいで関わりもなくなっていたのだが、実家の喫茶店──すなわちこの店──で働いているのは知っていた。
「……なんか、ごめん」
「ん? 何が?」
「気まずかったりしない?」
「気まずくなるかと思ったけど、そんなことはなかったから大丈夫だよ。あかりさんは嫌いじゃないし……ほら、何頼むのか決めちゃいなよ」
「うん」
頼むものを決めた僕はくるみにそう促しつつ、ぼんやりと喫茶店の中を見渡す。
しばらくして、頼むものを決めたようなのでベルを押して店員を呼ぶ。
時間帯もあり空いているためか、すぐにあかりさんが来て注文をとってくれる。
チョコパンケーキセットとバニラアイスパンケーキセットを頼み、奥に戻っていくあかりさんを見送る。
「綺麗な人だね」
「昔から綺麗な人なんだ。性格もいいしね。夏樹お兄ちゃんがなんで惚れたのかわかるよ」
思い出すのは、小さい頃実の甥のように可愛がってくれた記憶。
幼稚園の年長から一年生の途中くらいまでは、くるみの両親くらいお世話になっていたかもしれない。
今まで会うきっかけはなかったけど、会えてよかったと思う。
「……綾人も結婚するならあんな人がいい?」
「結婚とか僕にはわからないよ。考えたこともないしね」
恋人にしたいかどうかくらいならまだ答えられるが、結婚というワードはあまりにも馴染みがなさすぎて想像つかない。
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