37話「オムライス」



「わたし、降臨!」

「……ずいぶん大袈裟な表現だね」

「ほら、かわいいかわいいくるみ様だから」


 いつも通り家にやってきたくるみはふざけてそう言うと、その場でくるりと一回転する。ワンピースがふわりと浮き、太ももが露わになる。

 そして、ビシッと決めポーズ。


「……飲み物何がいい?」


 ツッコミを入れるのも面倒なので、無視することにした。


「え、無視!?」

「まむし?」

「そうは言ってない。というか、飲み物聞かれてマムシとは答えないでしょ」

「ほら、マムシ酒あるじゃん。あれ要求されてるのかと。高校生なのにワイルドだなぁって」

「そんなわけないじゃん!」

「ふざけるのはこれくらいにして、飲み物何がいい?」

「んー、なんかテキトーに」

「はーい」


 僕はソファーから立ち上がり、キッチンに行ってお茶を注ぐ。

 ソファーに座って足をパタパタさせているくるみにコップを渡すと、僕もその隣に座り直す。


「ありがと」

「いえいえ、ごゆっくりどうぞ〜」

「言われなくてもくつろぐけど」

「それはそれでどうなんだろう」


 一応僕の家なんだけれど。

 まぁ、ほとんどくるみの家みたいなものになってるし、好きにくつろいでくれればいいけどさ。


 暑い外を歩いてきて喉が渇いていたのだろう。

 手に持ったコップを唇に当てて……僕は思わず視線を逸らした。

 ……唇から、一昨日の夜のキス未遂事件を思い出してしまった。

 あまりにもいつも通りの流れだったから忘れてたけど……思い出しちゃうと顔が赤くなるのを感じる。


「ん? どうかした?」

「どうもしてないよ」


 僕はそう誤魔化すと、自分のコップに手を伸ばして、一口お茶を飲んで心を落ち着かせる。


「ふぅ……って、どうかした?」


 喉を潤してコップを置いた後、横から視線が注がれているのを感じて、そう尋ねる。


「あ、いや。どうもしてない。それより、今日は課題しにきた。教えて?」

「どこわかんないの?」

「考えるの面倒くさいから答えだけ頂戴。どうせほとんど終わってるんでしょ?」

「たしかにだいたいは終わってるけど、見せるのはやだよ」

「……仕方ない。真面目に解くか」


 くるみも元から答えだけ貰えるとは思っていないだろう。そもそも、くるみも頭いいしこの程度の問題多少悩むところはあっても解けないところはないはずだ。



 くるみがテーブルに勉強用具を広げて、カリカリとペンを走らせ始めた数分後。くるみがふと僕の方を見た。

 本を読んでいた僕だが、視界の端でくるみが動くのが見えて、何かわからないところがあったのかと思い、本から視線を外す。

 そして、一瞬の間が空いて……


「……因数分解とかだるくない?」


 などと言った。


「まぁ、たしかにだるいよね」

「公式に当てはめるだけなんだし、わざわざ十数問もしなくていいじゃん……」

「数こなすことで因数分解に慣れて速度上がるのを期待してる、とか? まぁどんな理由でも面倒くさいことには変わりないけど」

「はぁ……文句言ったらやる気なくなってきた。あーやーとー、えっちなことしよー」

「最近すごく雑になってきてない?」

「だって、綾人鉄壁過ぎるんだもん。全部綾人が悪い。ばーかばーか」

「理不尽だ……そんなことより課題したら? まだ夏休みは長いけど、早めに終わらせたいんでしょ?」

「うん……頑張る」


 くるみはそう言うと、机の方を向き直して、ペンを再び走らせる。

 迷いなく解いていってるし、教える必要はないだろう。

 ……そう考えると、なんか眠くなってきた。

 昨日の夜は早めに寝たはずなんだけど……あー、エアコン気持ちいい。

 あー、あれだ。昨日昼寝しちゃったせいでなんか深夜の3時くらいに起きちゃって、そこから寝てないからこんなに眠いんだ。生活習慣崩してるからなぁ……



◆ ◇ ◆



 ……いつのまにか寝てしまっていたようで、ふっと意識が戻るときの独特な感覚があった。

 ゆっくりと瞼を開けると、なぜか目の前によく知っている顔がある。

 きめ細かい白い肌に、黒く短かめの髪の幼馴染は、なぜかじぃっと僕の顔を覗き込んでいた。


「……おはよう」

「おはよ。もう1時だけど」

「あー、ごめん。昼作るよ」

「ところがどっこい、もうくるみちゃんが作ってるんだな!! すぐに食べるでしょ? 温め直すよ!」


 くるみはそう言うと、ぴょんと僕から距離を取って、キッチンへ向かう。

 あれだな。せっかく作ったから早く食べて褒めて欲しいんだな。


 僕は寝起きで重い頭を上げて、ゆっくりとソファーから起きる。


「くるみ、何か手伝うよ」

「いいからいいから、座ってて。今日はわたしが全部やるから」

「……ならお願いしようかな」


 少し心配になったが、もうくるみも高校一年生だし、よくよく考えれば料理ができているなら心配するようなことはないだろうし、お言葉に甘えることにした。

 かといって特にやることもないので、キッチンで鼻歌を歌いながら食器を出したりコップに飲み物を注いでいる様子をぼんやりと眺める。

 しばらくそうしていると、目の前にケチャップのかかっていないオムライスが置かれた。


「ふっふっふっ、すごいでしょ」

「うん、すごいよ。卵の部分崩れてないし、ふわふわじゃない?」

「お母さんが、柔らかいオムライスを作るときには卵で包むのは難しいからライスの上に乗せるだけでもいいよって教えてくれた。

 でもまだ未完成。仕上げにくるみちゃんがケチャップで何か描いてあげましょう」

「いや、自分でやるけど……」

「わたしがやる!」

「……じゃあ、お願いしようかな」


 好みのケチャップの量とかあるし自分でかけようと思ったのだけれど、そんなにしたいならやらせてあげよう。今日はくるみが全部やると言っていたし。

 僕が見守る中、くるみはケチャップの蓋を開けて、出過ぎないように気をつけながら黄色い卵の上に赤い線を引いていく。

 曲線を引いて、角をつけて、曲線を引いて……

 出来上がったのは、どう見てもハートマークだった。


「…………」

「…………」


 ここから、急に萌え声で「ご主人様っ!」とかメイド喫茶っぽいことを言うふざけをするのかと思って黙っていたのだが、何も言う気配がない。

 不思議に思って顔を上げると……


「わ、」

「わ?」

「わぁぁぁぁぁあああ!」


 と、何故か顔を真っ赤にして発狂しながら、ハートをケチャップで塗りつぶしてしまった。


「……塩分多そう」

「ふ、ふははっ。これはハートをあえて潰すことで世の中の無情さを表現した高度なアートなのだ!」

「ただ恥ずかしくなっただけじゃなくて?」


 僕が半ば確信を持ってそう尋ねると、くるみは黙り込む。

 恥ずかしいからしなけりゃいいのに……ふざけてるだけだと思わなければ僕も照れてたかもしれないけど。


「……だから」

「え?」

「な、なんか、ハート見たら不意に一昨日の夜のこと思い出しちゃっただけだから……」

「っ……!! 食べよう、ご飯、食べよう!」


 真っ赤な顔でそう言うものだから、僕も思い出してしまう。

 それから意識を逸らすために、そう言うと、くるみは頷いて、自分の分のオムライスに適当にケチャップをかけて、食べ始める。

 そのまま、会話のない昼食会が続くのだった。


 ……ちなみにオムライスの味は、少しケチャップが多すぎたけど、それを除けば美味しかった。

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