36話「それは、ずるいと思う」



 ……やはりお互いに昨日のあのキス未遂の後では完全にいつも通りになることは出来ず、微妙にぎこちない感じにはなっていた。

 とはいえ、お互いにいつも通りに接しようとしていたし、しばらくすればあの時のはずかしさも薄くなって元通りになるだろう。


 ……まぁ、さすがに昨夜は一睡もできなかったのだけれど。


 とはいえ約束はあるし、僕は6時前に温泉の入り口に向かった。

 まだくるみは寝ていたので、何も言っていない。

 少しすると樹君がやってきたので、2人揃って中に入る。

 他愛のない話をしながら体を洗い、湯に浸かる。まぁ僕は下半身だけなのだけれど。


「やっぱりいい湯だよね」

「うん、めっちゃいい」


 お互いに語彙力が溶けている。

 とはいえ、このままではただ朝風呂に来ただけになってしまうので、いい加減に本題に移ろう。


「で、話って何?」

「……綾人兄ちゃんは、姉ちゃんがどうして綾人兄ちゃんを誘惑しようとしているのか知ってますか?」

「え、待って、なんで知ってるの。もしかしてくるみ家族に言ってるの!?」

「そこはどうでもいいじゃん」

「どうでもよくはないよ!?」


 普通なら家族にそんなこと言おうとは思わないだろう。

 家族でそんな会話をするなんて……理解できない。


「……まぁいいや。で、なんだっけ。くるみが僕を誘惑する理由、だったかな。

 うん、たしかに僕は知らないよ」

「なら、今ここで……」

「でも僕は樹君の口からそれを聞くわけにはいかないかな」

「え、どうして!?」


 驚く樹君。まぁそれはそうだよね。僕が逆の立場でも伝えようとするだろうし。

 でも、僕にはそれを聞きたくない理由がある。


「昨日、くるみに直接聞いたんだよ。でも、くるみは教えないって。最重要機密って言ってたし」


 まぁ、最重要機密のところはふざけて言ったのだろうけど。

 とはいえ、くるみが僕にそれを教えたくない、というのは間違いない。


「本人が教えたくないものを他の人から聞くのは違うじゃん。

 それはくるみへの裏切りかなって」


 それは、とてもずるいことだろうと思う。

 もちろん、ここでそれを聞いてしまうことは簡単なのだろうけど、人の秘密をそう簡単に、それも本人以外から聞くのは……なんというか、僕の信条が許さない。


「でも、大事なこと隠してる姉ちゃんが悪いから……」

「むしろ、大事だから隠したいんじゃない?

 僕だって、『くるみは真剣にやってるわけじゃない』って思ってたら樹君から聞いてたんだろうけど、くるみは本気だって知ってるからさ」

「だから、聞くのは嫌だって……?」

「まぁ樹君が僕のために教えてくれようとしたのはわかるんだけど、やっぱりそういうのは本人から聞くべきかなって」

「オレは、それでも聞いておくべきだと思う。たぶん、そうじゃないと2人とも足踏みしたままだよ」

「んー、実は僕もそんな気はしてる」


 このままダラダラとどっちつかずの関係のまま過ごしていそうだ、と思う。

 変わるきっかけもなかなかないだろうし。


「だったら!」

「でも、僕たちには時間はいっぱいあるし、慌てることはないかなって。時間かければ解決することだってあるし」


 もちろん、時間が解決しないことも多分にあるのだろうけど、これに関しては焦ればいいというものではないだろう。


「……そこまで言うなら言わないけど」


 明らかに不満そうにそう呟く樹君の頭を軽く撫でて、僕は温泉から出る為に立ち上がった。



◆ ◇ ◆



 車特有の揺れとともに、肩に重さを感じる。

 横を見るとくるみがすぅすぅと寝息を立てて僕の肩に頭を預けていた。


 ……やっぱり、くるみも寝れなかったのだろうか。


「あら、くるみ寝ちゃった?」

「みたいですね」


 わざわざ後部座席の真ん中(一番狭い席)に座ってまで僕のことを枕にするくるみの頭を撫でつつ、そう答える。

 ……寝てる人を見るとこっちまで眠くなってくる。僕だって寝不足だし。


「温泉はどうだった? いいお湯だったでしょ」

「はい、とても。すぐのぼせちゃうので長く入れないのが残念でしたけどね」

「ふふっ、それならこんどまた行きましょう。今度は3泊くらいして、ゆっくりしましょう」

「それはいいですね……ふわぁ……」


 口元を右手で覆って、あくびを見られないようにする。マナーだしね。

 とはいえ、音は聞こえていたようで、


「眠いなら寝ちゃいなさいな。着いたら起こしてあげるから」

「そうですね……なら、そうします」

「はーい、おやすみなさい〜」


 陽気なおばさんの声を聞きながら、僕はくるみとは反対にある車の窓ガラスに頭を預け、目を閉じる。

 車内に流れる音楽が、ゆったりとしたバラードに変わったのがわかって、すぐに眠りについたのだった。

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