第8話 昇格試験

 自分の体と同じくらいの大きさの電話の受話器を抱えながら、指先でボタンを押し、どこかに電話をかけたイタチ――、見守っていると、背後から意識を取り戻したトカゲたちが近づいてくると思いきや、しかし踏みとどまっていた。


「……? なにをしているの?」

「ルルウォンが恐いんじゃねーの? だって、実際に殴られたわけだし」


「えー? 優しく殴ったよー」


 威力の問題ではなく、殴られたこと自体がトラウマものなのではないか。

 幼児アニメの悪役の敗北シーンのように、空の彼方へ飛んでいった恐怖も加えられている。


 もじもじと告白するかどうか迷っている学生のように踏み出せないトカゲへ、ルルウォンの方から近づいていく。


 緑のトカゲはルルウォンの接近に気づき、慌てて逃げ出そうとしていたらしいが、赤と黄色に止められていた。背中をぐいぐい押されて、前に出されている。


 やめろよお前がいけよ的なやり取りが三人の中で交わされているらしいが、ルルウォンはそれを吹き飛ばす声の大きさで、


「よっ! 怪我はなかった?」


「お、おう。まあ体は頑丈だし、な。なんともねえよ」


 少し怯えが残っているが、いつもの感じに段々と戻ってきている。

 ルルウォンとトカゲたちの立場が逆転していた。というか、ルルウォンが男らしい。


「あははははっ! 良かったよー、慰謝料をよこせ! とか叫ばれたら、二発目が必要かなと覚悟していたんだけどねー」


「あは、ははは……、そんなこと、言うわけねえだろ。これは試合で、スポーツみたいなもんなんだぜ? ボクシングで殴られて怪我をして『ふざけんな!』って切れるやつはいねえだろ?」


 同じ笑い方でも、トカゲの方は乾いて、掠れていた。


 ばんばんっ、と相手の背中を叩くルルウォンの表情が、柔らかさを取り戻す。

 お金が絡むと、まるで別人格が顔を覗かせたように、豹変するのだ。


「あ、そうだ、疲れたのならなにか飲み物でも持ってきてやるぜ。

 まあ、なんだ、さっき散々、喧嘩を売っちまったお詫びに、だな」


「えー、そんなのいいのにぃ。でもまあ、貰っておこうかなー。せっかくだし!」


 現金なやつだった。

 頷き、急いで場を去るパプリカ兄弟を見送っていると、受話器を置いて通話を切ったイタチが、声をかけてくる。


「そっちもちょうど話が終わったみてえだな。タイミングが良い。

 喜べお前ら、これから下のフロアへいくための『フロアリーダー』への挑戦権が貰えたぜ」


「さっきも言ってたな。……フロアリーダー?」


「ここがフロア1だ。参加者とはまた違った、運営側の刺客だな。挑戦者のレベルを見て、このフロアに留まらせるか、下のフロアへいかせるかを判断するための、試験官だな。

 さっきの試合を見ていたフロアリーダーが、『ポイントやランキングに関係なくすぐに見る』って言ったんだ。良かったな。ポイント免除なんて、滅多にないぞー?」


 イタチは貴重な待遇に、祝福をしてくれているらしいが、システムが分からないドットたちはいまいちピンとこない。ポイント免除と言うくらいなのだから、実際は少なくないポイントを稼がなければいけないのだろう。


「フロアリーダー挑戦権は、1000ポイント必要なんだ。いまお前らがやったような試合で勝利することで貰えるポイントは、10ポイント程度。試合内容によって、ボーナスによって加算されるが、それでも長い道のりなのは変わらない」


 本当に長い道のりだ。

 ゴールを見ない方が、うんざりせずにペースを上げられそうなくらい。


「勝ち進めれば到達できる。ただ、如何せん、長過ぎる。

 だから、異常に強いやつは運営側が判断した場合だけ、ポイント免除でフロアリーダーに挑戦することができる。フロアリーダーだけは、さすがに素通りはできないがな。

 力だけではなく、咄嗟の頭の回転や事前の策略もあるのか見ているから、単純な強さだけでは分からないものもあるってことだろう――お前らは今、その免除扱いになったわけだよ」


「なるほどなー。じゃあつまり、凄いってことなんだな」


 漠然とした二文字の言葉で片づけた。だがまあ、分かりやすい言葉の印象だ。


 ぐだぐだと説明されたが、凄いこと、だというのは伝わった。


「ここでフロアリーダーを倒せれば、お前らはフロア2にいける。ここにいるやつらよりも強いやつらが待ってんだ。……お前らなら、最後のフロアまでいけるかもな――」


 期待してるぜ、と親指を立ててきたイタチに、一つ質問。テトラが恐る恐る聞いた。


「ええと……最後のフロアって、いくつ?」

「10だ」


 勝ち進んでいけば、このアリジゴクから脱出できる。

 つまり、あと九回、ポイント免除の扱いを受けるような好成績以上を連続で叩き出さないといけない……、しかも加えてフロアリーダーだ。

 先が長い。一年単位で活動する必要があるのではないか?


 ぶつぶつと頭の中を整理しているテトラ。


 すると、真上のディスプレイが一人の大男を映し出した。


 風船のように膨らんだ胴体。顔は鏡餅に乗っている、みかんのようだ。

 足は長靴が異様に大きく、足首がまったく見えない。

 腕は短く、これでは自分で尻拭いもできないだろう。

 常になにかを食べて、口をもごもごさせている大男が、特注の巨大なソファに座りながら、


「今の試、合に出て、いた、んー、赤髪の、子……どこだ?」


 飲み込んでから喋って、手に持つ骨付き肉にかぶりつくという一連の動作が速いため、言葉が変なところでぶつ切りになる。なかなか進まず、イライラする話し方だ。


「はいはいはい!」


 ルルウォンが元気良く手を挙げた。その行動が似合い過ぎている。


「わたしがルルウォン! さっきの試合に出ていた、いつも威張っている年下の男の子と偉そうに指図ばっかりする同い年の女の子よりも活躍しました、わたしが色んな意味で美人です!」


「「調子に乗んな」」


 左右から蹴りを入れられたルルウォンが、きゅうっ、と跳ねてお尻を押さえる。

 さっきの試合はルルウォンが先走って敵を倒してしまったため、残りの二人の見せ場がなかっただけで、別に劣っているわけではないのだ。


 個々のパラメーターでは劣っているとしても、総合的には勝っているはず。


 少なくとも人間性という面では負けるはずがない。


「見た!? 見ました今の!? 勝利の女神に蹴りを入れましたよね!?」


「あんたがフロアリーダー?」

「ドットぉ! 主人公をスルーしないでよぉ!」


 空気を読んだテトラがルルウォンの目と口を塞いで黙らせる。

 これ以上、自由勝手にさせたら話がまったく進まない。

 ご指名がルルウォンであろうとも、ここは強制的に、一時退室してもらおう。


「あー、ルルウォンと話したかったら、連れ戻すけど、なんだかあんたとルルウォンで話したら本題が終わるまで数時間はかかりそうだよな」


 暗に、俺が代わりに聞くけどどうする? と聞いている。


 骨付き肉の骨まで、ばりばりと咀嚼し飲み込んだ巨躯の男が、


「いや、いい。お前でも、構わない」


 ルルウォンにこだわってチェンジを宣言するほど、この男も馬鹿ではないらしい。


 ピエロのように膨らんだ丸い鼻。

 頭はつるっつるのスキンヘッド。


 幼児のような印象を抱く、くりくりっとした目が特徴的だが、これで印象通りなわけがない。

 年齢はドットたちよりも間違いなく上のはずだ。


「めんどい、けど、ポイント、免除って、指示が出たから、仕方ないな。……見てあげるから、三人でかかってきなよ。おれを気絶させたら、合格……」


 分かりやすい、シンプルな昇格試験だ。


 このまま、この場にいる三人で大男の居場所までワープしようとしたが、踏み出そうとした足を止めたのは、前に突然現れた、ターミナルだった。


「ここは私が出よう」


 うきうきと声の調子がいつもと違う。

 そして、軽くスキップしている。

 足の方が、どうやらうずうずしているらしい。

 溜まった鬱憤を晴らしたくて、仕方がないのだろう。


「じゃあ、俺かテトラがリドスの面倒を……」

「いいや、三人でリドスのところに戻っていてくれ。私一人で充分だ」


 でも、と言いかけたドットの口が塞がれる。斜め後ろから見えたターミナルの表情。

 口元がニヤリと笑っていた。彼女の自由なステージを、邪魔したくない。


「別に、三人でいかなくてもいいんでしょ?」

「そっちが不利になるだけ、だから、おれはぜんぜん、いいよ」


「じゃあ、決まりだな。

 マスター、ささっと片づけて、フロア2へのチケットをプレゼントするさ」


「気をつけて、ターミナル」



 背中を見せた彼女が、手を上げ、尻尾のように振って答える。


 ギルドの中で一番の戦闘員が、本領を発揮する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る