第9話 キリー・キルロック

 騒がしい声に、頭がガンガンする。うるさい。振動が眼球の奥の方を刺激する。

 眼球を引っ張り出し、繋がっている神経を指でこりこりしたい欲求にかられた。

 想像するだけでいくらか楽になったリドスが目を開ける。


「…………」


 枕とはまた違った生温かく柔らかい素材が頭の下にある。膝枕をされているのが分かった。不調のせいではっきりとは分からないが、ドットではないだろう。同じギルドメンバーでもない。


 自分を覗き込む、カエルのように緑色の、この不細工は誰なのか。


「――おらぁッ!」

「ちょ、やめっ、痛ぇ! なにすんだ!?」


「てめえ、ターミナルが席をはずした途端にリドスを自分の太ももに乗せやがったのか……?

 堂々としたセクハラだよ! どけ! 今すぐリドスを自分の太ももから下ろせ!」


 靴の裏を、カエル顔の男に押し付けるドットの姿が見えた。その後ろには、テトラとルルウォンが、他人の振りをしたように明後日の方向を見ていた。

 一切、関わり合いになりたくないらしい……。


 ドットに散々蹴られたカエル顔の男は、丁寧にリドスの頭をどかして、座っていた席に優しく置いた。太ももよりは当然、硬いが、不快感はまったくない。


「待て待て! この子がつらそうに顔を苦痛に歪めていたから、どうにかしようとしてだな!?

 嬢ちゃんたちは全然帰ってこないし、とりあえず膝枕で楽にさせてあげようと思っただけなんだ! 膝枕をしたら、すやすやとこの子が眠るもんだから、今更、別の方法に切り替えるのも悪いと思って……っ」


「マスター、この人は嘘をついています!」

「黙れ小娘ぇえええッ!」


 カエル顔の男が遂に切れた。状況を悪化させることに関して、まったく他人を寄せ付けないルルウォン……、ドットの暴力よりもルルウォンのその一言の方が、カエル顔の男にとって激怒の引き金になったらしい。


 自分がカエル顔の男の立場だったら、ドットよりもルルウォンに切れているな、と、リドスも彼に同情した。


 理不尽に切れられたと思っているルルウォンが言い返して、さらにヒートアップするカエル顔の男……、収まる気配がないので、そろそろ止めなくてはいけない。


 いつもは止めるテトラも、今は死んだような目で傍観を決め込んでいるし、ここは不調でも、リドスが動くべきだった。

 それに、セクハラまがいのことをされたとは言え、楽になったのは事実なのだ。



「わ、我はもう大丈夫、だからっ。ルルウォン、もうそのへんで許してやろう」

「リドスにそう言われたら、引き下がるしかないね。おじさん、悪運の強いやつぅ」


「おい、引き際がなくなって困っていたところに最高のパスがきたー! みたいな顔をしてんじゃねえ! ふざけて言って、事態を悪化させてしまった自覚があるなら、謝れっ」


「ドット、それだとお前も暴力を振るったことを謝るべきだと思うが……?」


 テトラが二人の背中を押して、カエル顔の男の前に突き出し、謝らせる。

 カエル顔の男も、元々温厚な性格なのか、実力の違いに萎縮しているのか、この争いを荒立てることはなく、小さないざこざは綺麗に収束した。


「……ドット」


 ちょいちょい、とリドスがドットを呼ぶ。

 隣のカエル顔の男に少し席をはずしてもらい、ドットが座る。


 さっきよりも観客が増え、施設内はぎゅうぎゅうだった。近くにいたルルウォンとテトラも、今は客の流れに持っていかれ、端の方にいってしまっている。


 顔を青くしていたテトラが心配だった。

 テトラは人混みが苦手なのだ。目立ちたがり屋のルルウォンとは正反対だ。


「体調は?」

「平気」


 素っ気なく聞くドットに、素っ気なく返すリドス。これは長年の付き合いのような信頼関係があるからこそできる、一言で長文の意味を持つ会話術だった。


「我が眠っている間に色々と話が進んでいると思うが、これはどういう状況だ?」


「平気と言いながら、座りってもふらふらしてんじゃねえか。いいから横になれって。

 年上だからって、甘えてはダメだってわけじゃねんだから」


「一歳下が生意気を言う」

「残念、今はお前のせいで十歳なんだよ」


 ドットがリドスの頭を乱暴に、しかし優しく自分の身に引き寄せた。そのまま倒して、頭を太ももの位置へ。さっきまでカエル顔の男がやっていたことを、ドットが再現したのだ。


「なんだ、対抗意識を燃やしているのか?」

「……こめかみをぐーでぐりぐりしてやろうか?」


 不調の時にそれをやられたら、さらに体調が悪くなると思う。冷や汗をかきながらリドスががたがたと震え出す。冗談、と言ったドットの目を見たら、本気の目だったので、リドスの態度次第では、不調でも関係なくやっていただろう。


「……ターミナル、楽しそうだな」


 観客席は前にいくほど、一段ずつ下に降りるので、横になっているリドスでも湾曲ディスプレイはよく見える。

 映像の中ではターミナルが、くまのぬいぐるみのようなふっくらとしたボディの大男と対峙していた。


 ターミナルへカメラが寄ったところで、彼女が一つの笑みを作り、


 一瞬。


 ターミナルの姿が消えた。

 カメラが追えなくとも、軌道を予測して追えば、大体どの場所にターミナルがいるのか、いま暗記した映像の景色を俯瞰して見て、なんとなく分かる。


 大男の肩。そこにターミナルの踵が接触した。


 どこか、遠くでテトラがぶるりと震える予感がした直後――、

 想像通りの光景が、映像としてリドスたちに伝わる。


「出た……ターミナルの詠唱破棄――『キリー空刀キルロック』」


 肩に乗せられた踵が、すんなりと、真下へ振り下ろされる。

 なんの障害もなく股関節が回った。

 綺麗なフォームと飛び散る鮮血が調和し、和の演技を見ているような高級感が漂っている。


 現場を脚色して伝える映像の力。


 実際の現場では、大男の肩から先が両断されて、鮮血飛び散るグロテスクな光景が常時、人の目に届いているのだが。


 悲鳴が上がらない。

 いや、叫んでいる男の顔は映し出されている。ショックで声が出ないのだろう。


「え、え……? ターミナル、なんであんなにも本気で……?」

「いや、本気じゃないと思うけど……」


 映像の中のターミナルは、つまらなそうな表情だった。

 可愛らしい顔をしているが、あれで本気を出した時は猛獣のような顔つきになる。

 男子が憧れるような、熱い友情が絡んだ戦いを好んだりしているのだ。


 あの大男にそのレベルを期待していたわけではないと思うが、だとしても、ガッカリしたのだろう……でないとあんな顔はしない。


「あ、もしかしてとどめを刺す気かな」

「なにを平然と見ているんだ! と、止めないと!」


「病人が熱くなるな、それに動くな。

 ターミナルはそんなことしねえって……たぶん、きっと、恐らく、は……」


「不安だけが積み重なっていく!」


 倒れた大男の頭につま先をこつん、と当てたターミナル。しばらくしてから、近くを飛んでいたカメラを、がしっと掴んだ。観客席に投げかけられた声が届く。


『死んではいない。気絶していると思うが、これはどうなるんだ? 私の勝ちでいいのか?』


 あっという間に終わってしまったフロアリーダーとの一騎打ちの戦い。


 観客席、運営側さえも、ぽかんと口を開けたまま固まってしまっていた。


 返事がないことにイラッとしたターミナルが、カメラを掴む手に力を込める。

 レンズがひび割れ、ディスプレイの映像に反映された。


「あ、えと、勝利で大丈夫です!」


 普段は気まぐれな司会者が、真剣に仕事を全うする。

 ターミナルの威圧が彼の役目を思い出させた。


 勝利が決まった途端、観客席が一気に湧く。


 新たなエンターテイナーの登場に、ギャンブラーが祝福の喝采を浴びせかけた。

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