第45話蹴った

 未練は言葉に詰まった。

 内緒にしていたはずだったが何故かばれている。


「同級生がよく見るって言ってるよ」


 そういえばそうだ、未練は今更ながらに気付いた。

 本人に気付かれないようにしていても、あの街には夏美の知り合いが沢山いるのだ。


 いやいや落ち着け未練、自分に言い聞かせた。

 未練は思い出の街をお散歩しているに過ぎない。

 上手い言い訳などいくらでも考えつくはずだ。

 例えば過去にけじめをつけこの世界で生きていくために、思い出にサヨナラするために、なんてどうだろうか。

 未練は急いで言い訳を見繕い口に出そうとしたが、機先を制して話し出したのは夏美だった。


「空さんとも会ってるよね。私知ってるよ。まあそれはいいんだけど」


 未練は背中に汗をかいた。

 思った以上に未練の生活は夏美に筒抜けのようである。

 さてどこから言い訳をするべきか、いやそもそも言い訳なんてする必要あるのか。

 別にこんな事で詰められる筋合いはないと分かっていても、心の底では夏美に悪く思われたくない未練。

 どうしても言い訳を考えてしまう。


「未練君は元の世界に帰りたいんだね。そりゃそうだよね……」


 うーんうーんと未練は唸ってしまう。

 慌てて否定するのは違う気がするし。

 考えた言い訳を差し込むタイミングを逃してしまった。

 ここは数拍、沈黙を作って切り出そう。

 一拍、二拍――


「私は帰って欲しくないよ……ここにいて欲しい」


 またもや夏美に機先を制された。


「私がお願いしたら未練君はずっとここにいてくれる?」


 帰るつもりはない、帰る方法も知らない。

 未練は夏美にそう伝えた。

 急遽用意した言い訳を並べる。

 こちらの生活が充実しているとも。

 チームメイトや蟹江と出会えて本当に良かったとも。

 この世界も野球も大好きだし、もちろん夏美の事も。


 ペラペラと調子のいいことを言いながらも未練はだんだんと自分自身に説得されていった。

 自分の言葉を自分で聞きながら、確かにそうだなぁと納得していったのだ。


 空と会ってるのは取材を受けてるから、最後に付け加えて未練は言い訳を締めくくった。

 未練の言葉に夏美は少し安心した様子。

 分かった、と未練を送り出す。            

 夏美は午後の練習があるため二人はここで別れた。






 見慣れた街並みを歩きながら、もうこれで最後にしようと未練は思っていた。

 この世界でもう何度もこの街をお散歩している。

 少しずつではあるが、元の世界の街並みを忘れてしまっている。

 思い出の街をお散歩していても未練の頭の中は今の生活で一杯だ。

 夏美の事、チームの事、ビッグフット戦の事。

 わざわざ千葉県まで出向いてこれじゃ意味ないよな、と未練は考えた。


 これで最後だと思うと感慨も湧いてくる。

 未練は街の景色を噛み締めるように歩いた。

 そこの角を曲がれば赤屋根、黄壁のコーポ馬骨台がある。

 角の左手手前に簑虫おじさんのこだわりカレーの看板が見える。


 ――あ


 未練の心臓は急激にざわついた。

 簑虫おじさんの看板を目にするのは約一年振りである。

 未練の足は自然と早足になった。


 角を曲がるとそこには青屋根、白壁のメゾン馬骨台があった。


 かつて未練の部屋であった扉の前で女性が何やらガサゴソとやっている。

 未練の目には残してきた寂子に見えた。

 確認出来る位置まで近付く、間違いない寂子だ。

 寂子は鞄から鍵を取り出し、扉に差し込んだ。

 鍵を開け部屋の中に入ろうとしている。

 未練は寂子の名を呼んだ、しかし反応はない。


 未練は直感的に悟っていた。

 これが蟹江の言っていた帰るチャンスであると。

 あの扉が閉まる前に滑り込めば元の世界に帰れる……気がする。


 未練は一切の躊躇なく走り出した。

 先程までの決意はどこへやらである。

 アパートの階段を大きな音を立て駆け上がった。


 寂子横顔が目に飛び込んで来る。

 地味だなと未練は思った。

 分かっていたはずだが本当に地味だ。

 今の未練の側にいる女性のような華やかさはない。

 それでも未練は足を止めなかった。


 寂子の体は部屋の中に吸い込まれ、その扉は閉まろうとしている。

 タイミングとしてはギリギリ、足先でもいいからドアの間に差し込めばいい。

 未練は足からのスライディングを試みた。



 ガンッ、と金属音を立て未練の足は閉まったドアを蹴った。

 そこは赤屋根黄壁のコーポ馬骨台。

 未練は音を聞きつけ、出てきた住人に本日二度目の言い訳をしなければならなかった。

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