第40話仕事した
空振りをしたササロー、まずは驚いた表情そしてニヤリと笑った。
すぐに打席に立ち直し一回、二回、三回、四回と針を揺らす。
その目は生き生きとしていた。
誘っているな、と未練は感じた。
カープを待っている。
突然の強敵の出現にワクワクを抑えきれない表情。
天才打者の思考とはいかなるものか、未練には理解出来ない。
二球目もカープだ、出し惜しみする余裕はない。
今度はしっかりと球筋を観察するササロー。
カープは外角低めギリギリ、ストライクゾーンをかすめた。
カウント0-2
ホオと息を吐くササロー、打席を外し目を閉じた。
カープを仕留めるバッティングを頭の中でイメージしているのだろう。
イメトレが終わると再度打席へ。
次が勝負球、バッテリーは三球目もカープを選択した。
ササローのスイングは空気を切り裂くように鋭かった、がボールには当たらなかった。
空振り三振。
ササローは悔しそうに未練に目をやる。
未練はバックネット裏観客席を確認した。
蟹江がバチンバチンと拍手をしている。
喜んどる喜んどる、未練はよしと頷いた。
これでワンアウト、一三塁。
まだピンチを脱した訳ではない。
四番深刺にもカープを二球続けた。
ストライク、ストライク。
見逃しと空振り。
ササローの打席から数えて五球連続カープである。
追い込んだ三球目、内角高めストレート。
カープを警戒していた深刺のスイングは遅れた。
パッキンッ、内角へ食い込んだ未練のストレートは深刺の針をへし折った。
投手前に転がったゴロを未練が捕球、そのままセカンドへ送りアウト。
更にボールはファーストへ送球されもう一つアウト。
ダブルプレーとなった。
針を折られた深刺は、頭を抱え天を仰いだ。
大事な商売道具を折られた彼は、どうなってしまうのか。
しかし心配ご無用、健康な成人であれば二ヶ月ほどでまた元通り生え揃う。
ただし今シーズンの出場は絶望といった所であろうか。
これで3アウトチェンジ。
東京野球団はピンチを脱した。
五回裏終了後、一時試合は中断となった。
救急車のサイレンが聞こえ、内野席が騒がしい。
夏美は不安げな顔。
未練も同じく不安だ、でもなるべく冷静に。
六回表未練がマウンドに上がる。
案の定バックネット裏内野席に蟹江の姿はなかった。
だからといって試合を投げ出して病院に向かう訳にはいかない。
この回はササローとの三度目の対戦も控えている。
未練は胸騒ぎに蓋をし、仕事をした。
七回裏、リードを許す東京野球団にチャンスが訪れる。
ワンアウト、一二塁で打席には未練。
未練の仕事は送りバント一択だ。
未練は集中していた。
コツンッ、刺さりのいい球質も幸いしたのだろうか、未練は球の勢いを殺すいいバントを披露した。
しかしここからの針針が上手かった。
猛烈なチャージで打球を処理すると迷わず三塁へ、槍のような送球を突き立てた。
見事ランナーを刺殺し送りバント失敗、ツーアウト一二塁とする。
次打者は夏美。
ここでピッチャー交代。
マウンドには針の穴に糸を通すようなコントロールに定評がある左腕、
初球ボール、二球目ファールと続いた三球目。
ササークルチェンジを夏美は捉えた。
打球は右中間浅い場所で弾み、そのまま外野を刺さり転がっていく。
ファーストランナー未練は、二塁を回り三塁へ。
サードコーチャーが腕を回しているのが見える。
セカンドランナー木屋田は本塁に生還、同点。
未練は三塁を蹴った。
打球を処理したのはササローだった。
ササローは打撃だけではなく、守備でも一流だ。
その強肩はまるで矢のようだと評される。
ササローは本塁へ向け、低い軌道で矢を放った。
本塁に伸びてくる矢。
滑れ滑れ滑れー、誰の声かは分からないがベンチから未練に指示が飛ぶ。
未練は本塁に滑り込んだ。
捕手の棘棘が本塁手前で返球をカットした。
刺せぬ殺せぬ間に合わぬと判断した結果だ。
未練は生還し東京野球団は逆転に成功した。
夏美が二塁塁上でガッツポーズを決める。
夏美は未練の登板試合でよく打つ。
未練にとっては頼もしい存在だ。
未練もまたガッツポーズを返した。
未練は最終九回のマウンドにいた。
手心を加えるにはこの回しかチャンスはない。
まずは二番御突を三振にとる。
ワンアウト、ランナーなし。
続く三番ササロー。
初球カープをファール、さすが天才打者である、もうカープに対応し始めている。
未練は内角にストレートを三球続けた、全てファール。
ササローはカープを意識するあまりストレートを捉えきれない。
勝負球に選んだのはやはりカープだった。
低速変化球のカープはタイミングを取るのが難しい。
しつこくストレートを続けた後なら尚更だ。
ササローは下半身で溜めを作り、カープを待った。
まだ、来ない……まだ、まだだ……まだまだ……まだ来ない!
天才打者の針は我慢出来ず、くるっと回転した。
最後は代打、
試合終了
東京3-2兵庫
救急車に付き添った球団職員と連絡を取り、病院に駆けつけた未練、夏美、油。
蟹江は意識が混濁している状況。
医師、看護師が慌ただしく動き、未練達が入れる隙間などない。
事ここに及んで未練も覚悟をしている。
最後に勇姿を見せられただけマシだったのだろうか。
それでもやっぱり未練は蟹江と話がしたかった。
蟹江がふと開いた治療室の扉から外へ目をやった。
未練達と目が合っているのだろうか。
ぼんやりと三人のいる辺りを眺めながら蟹江は言った。
「死ニマス」
二〇二一年九月二三日深夜、異界から来た昭和の大投手蟹江捨実はその生涯を終えた。
享年七五であった。
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