第39話使った

「蟹江さん来てたね、大丈夫かな」


 夏美は蟹江の健康面を危惧している。

 大丈夫じゃないかもしれない。


「なになになに?蟹江さんきてるの?なんで?」


 油がベンチからバックネット裏観客席を覗き込む。

 こっちが聞きたい。


 未練は蟹江の健康を気遣い魔球カープ初披露の試合日は教えなかった訳だが、実際の所バレバレであったのだろう。

 元一流アスリートの野生の勘というやつだろうか。

 正確な日取りは分からなくとも大体の時期は分かる。

 蟹江はその間の未練の登板試合、全てに通いつめるつもりでいたのだ。


「とにかく心配かけないように、いい試合しないとね」


 夏美が力を込めて言った。



 

 

 東京野球団は一回裏すぐに一点を返す。

 相手投手針針は刺さりの良い球質を持った好投手。

 しかし夏美は柔らかいバットコントロールでファールを連発、粘る。

 結局夏美は十球粘った末、四球をもぎ取った。

 八矢は遊ゴロ、ダブルプレーの危険があったが気迫のヘッドスライディングで一塁を死守する。

 続く五村は針針の渾身のササレートを刺さりながらもセンター前へ、その間に八矢は三塁まで進塁。

 鬼清倒れた後、大谷川が針針のササリットフィンガーを三塁線へ。

 サード尖利が好捕し一塁へ針のような送球をするも、バッターランナー刺せず八矢が生還。

 一点差となった。


 生還した八矢を迎え、盛り上がる東京野球団ベンチ。

 まだまだ試合は序盤である。

 


 未練はいたたまれない気持ちだ。

 八矢とのハイタッチも気が入らない。

 勝利を目指すチームメイトの中で未練だけは別の方向を向いていた。

 夏美と目が合うと屈託のない笑顔を見せてくれる。


「いい感じだね、このまま頑張ろ!」


 うん頑張ろう、未練は応えた。




 一回裏が終了した辺りから、予報通り小雨が振りだす。

 試合続行可能な弱い雨だ。

 蟹江はそのまま濡れていた。

 雨合羽位着てよ、と未練は思っている。

 蟹江は試合に集中するあまり雨にすら気付いていないのかもしれない。

 相変わらず心配そうな目を未練に向ける。

 いや心配なのはこっちだよ、未練は溜め息をついた。




 試合は三回表この回の先頭打者、尖利が打席に入る。

 マウンド上の未練は初球にストレートをえら――ブッスー!


 尖利は未練の初球を見事、狙い刺した。

 初回の中途半端な刺さりを反省し、それを活かした形だ。

 尖利は刺さり二塁打となる。

 ノーアウト二塁。


 次打者は御突、前打席は刺さりバントを決めた。

 またも初球、今度はセーフティ気味の刺さりバント。

 二打席連続のバントに面食らい、守備の処理が遅れる。

 海鈴がボールを確保するもどこにも投げられない。

 ノーアウト、一三塁。

 ササローが体を捻りながらゆっくりと打席に向かう。


 ピンチである。

 ピンチではあるが未練にとっては何も問題ないはず。



 バックネット裏観客席は見ないように心掛けても、どうしても目に入る。

 多少距離があるものの蟹江が目に涙を溜め、震えながら戦況を見守っているのが分かる。



 蟹江は泣き虫だ。

 今までこの表情は何度も見てきた。

 未練はズルいと思っている。

 蟹江の泣き顔はよく未練を困らせた。


 そして蟹江は優しい。

 未練や夏美をいつも、我が事のように心配する。

 本当に未練夏美と自分を区別出来ていないのでは、と思うほどに。



 未練はタイムをかけ、海鈴をマウンドに呼び頭を下げた。


「なんだよ結局カープ使うのかよ。……でもまあ、私も使うべきだと思う」


 未練はカープ解禁を決めた。

 ササローをカープで抑える、その姿を見せなければならないと。

 これ以上、点を取られるつもりもない。

 このまま逆転出来ず負けるかもしれないが、勝ってしまう可能性もある。

 その時はどうしよう……不安ではあるが、未練はなるべく考えないようにした。


 一回、二回、三回、四回、ササローが針を揺らす。

 天才打者の雰囲気抜群、何を投げても刺されそうだ。

 未練はササローに向け、記念すべき一球を放った。


 ササローは呆気にとられた。

 呆気にとられながらも体は反応しスイングを始めてしまう。

 そのスイングのタイミングは少々早過ぎた。

 天才打者はスイングしながらのタイミング修正を試みるも、大きく曲がり落ちる軌道の変化にまでは対応出来ない。

 ササローの針は空を切った。

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