第35話硬くなった

 未練は粋な馬市にいた。

 月二回程度訪れ、コーポ馬骨台と力馬女子体育大学の間をウロウロとお散歩するのが習慣になっている。

 初めは違和感のあった元の世界と違うアパートの色も、もう慣れてしまい特に何も感じなくなった。

 残してきた恋人、寂子との思い出が詰まったアパートを見ると当時の情景が甦りはする。

 その思い出はそれなりに美しく感じられた。


 寂子は一般的には地味で控えめな女性であった。

 対外的にはあまりアピールをしない、出来ないタイプの女性。

 しかし未練の前では時折、可愛らしい仕草表情を見せる事があった。

 恋人なのだから当然といえば当然である。


 未練はそれを見てよくイラついた。

 可愛くないからイラついたのではない、可愛いと思ってしまった事にイラついたのだ。

 未練はよく不機嫌になり黙った。

 その度、寂子はおろおろとするのだ。


 なんであんな態度をとったんだろう。

 冷静に思い返し、未練は後悔している。

 もっと優しくすればよかった。

 しかし今その術はない。

 蟹江が言っていた元の世界に帰るチャンスとは何なんだろう、考えても分からない。

 数日前の訪問でもまた、夏美が邪魔で聞けなかった。


 蟹江直伝のカープはいよいよ次の試合で実戦使用予定だ。

 伝えれば蟹江は試合を見に来たがる。

 蟹江の体調があまり良くなさそうなので伝えなかった。

 しかしきっといい結果が持ち帰れるはず、絶対喜んでくれる。

 蟹江の言っていた事もいつかは聞けるだろう。


 元いた世界に本当に帰りたいのかどうか、未練は未だ分からない。

 こちらの生活もうまく回り始めている。

 もうこんなお散歩はやめてしまうべきだろうか。

 未練は感傷に浸った。




「おう未練、久しぶりだな。随分調子が良さそうじゃないか」


 知り合いなどいないはずの街で声をかけられた。

 この声には聞き覚えがある。

 江藤だった。


「お前返信も返さないし、電話にも出ないし、居留守も使うしで全然捕まらねえんだからよ。お前がこの辺うろついてるって話聞いて来ちまったよ」


 未練は、露骨に嫌な顔をした。

 それを見てポリポリと頭をかく江藤。


「お前さ、組合入らないの?入った方が何かと便利だよ。今は調子がいいかもしれないけど、それが続くとは限らない。もし駄目になった時、助けになれると思うぜ」


 未練は異世界人組合に加入していない。

 元いた世界に帰りたいのであれば、情報収集の面で入っておいた方がいいのであろう。

 未練は江藤が苦手、という理由一点で加入を見送っていた。


「おっと、今日の本題はそれじゃないんだよ。ちょっと付き合ってほしいんだ。これから暇だろ」


 この日、異世界人組合理事長との食事会があるとのこと。

 江藤は未練をそこに連れてくるように仰せつかっているらしい。


 未練は断った。

 そんな気の重い食事会に行きたくはなかった。

 しかし江藤は引き下がらない。

 何が何でも連れて来いと言われているのだろうか、尚も未練に迫った。

 それでも未練は断る。

 江藤の必死さをみるに、嫌な予感しかしない。


「俺が土下座したら来てくれるのか。だったらお安い御用だ」


 そういう問題ではない。

 そういう問題ではないが、江藤は本当に土下座をするつもりのようだ。

 地面に両膝をついた。


 ここで未練は折れてしまった。

 未練は江藤に連行され、都内料理区とないりょうりくにある高級焼肉店に向かう事となった。




 異世界組合理事長、加賀はこの時七九歳である。

 この年で焼肉とは元気で結構な事。

 という訳ではなく、若い未練に合わせてくれたとの事だ。


「理事長にちゃんと感謝するんだぞ」


 江藤の恩着せがましい言葉が、いちいち癪に障る。

 来たくて来たわけではないし、そこまで焼肉も好きではない。



 店員さんに丁寧に案内され個室の扉の前に。

 未練達の為にわざわざ扉を開けてくれる。


 広い。

 広い個室にはお客は三人しかいなかった。


「失礼します。岡本連れて参りました」


 江藤が深々と頭を下げる。


「やあやあ岡本君、活躍はいつも見させて貰っているよ。会うのは久しぶりだねえ、ふふふ」


 まず声をかけてきたのは加賀ではなかった。


 未練ににこやかに笑いかけたのは日本職業野球連盟理事長、村剛。

 この日の顔ぶれは村、加賀に東京野球団球団社長の福戸義久ふくどよしひさの三人。


 ――ややこしそうなメンバー!


 未練の顔と体は硬くなった。

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