第31話巡らせた

 鯖味スタジアムの監督室、安間は頭を悩ませていた。

 二週間前、鬼清が古傷の膝の状態を悪化させ一軍登録抹消となった。

 症状はそれほど大したことはなく、まもなく鬼清は一軍に復帰する。


 鬼清不在の間、友多がその穴を埋めた。

 その間の友多の成績は、打率三割七分五厘、本塁打四、打点一三と安間の抜擢に応えるものであった。

 友多は守備もよく、男子選手の中では比較的肩も強い。

 その影響でセカンドのレギュラーだった五村が、ファーストに押し出される形となっている。


 鬼清復帰後は誰を起用するべきか。

 五村の成績はここまで三割四分四厘、二四本、七二打点。

 レフトのレギュラー八矢は三割五厘、二〇本、六六打点。


 一方鬼清は一割九分九厘、六本、三〇打点となっている。

 安間が就任時言い放ったチーム内競争の原理から行けば、鬼清を外さなければならない。

 しかしそれは簡単な事ではない。


 鬼清の実績は絶大で、かつてはチームに多大な貢献をしてきた功労者だ。

 チーム内での影響力も悪い意味を含め、無視できないものがある。

 チーム内外に熱心な支持者もおり鬼清を外すとなれば、それなりに横槍も入るであろう。


 何よりも鬼清の性格がアレである。

 腐らせると周りに悪影響を振りまく可能性が高い。

 それを抑える力は安間にはなかった。

 安間は鬼清の後輩にあたる。

 実績、年齢全てで上回り直情的な性格の鬼清に、体育会系どっぷりの安間が一言物申す事は難しかった。





 鬼清は一軍復帰に先駆けて練習に合流、チームの雰囲気は、ピリついていた。

 五村も八矢も、鬼清の取り巻きである。

 だからといって、鬼清にポジションを譲るつもりはない。

 仕事なのだから当然だ。

 五村と八矢は鬼清に会うと笑顔で挨拶し練習復帰を祝ったが、そこにはどこかぎこちなく薄ら寒い空気が漂う。

 鬼清も取り繕ってはいるが、対抗心を隠しきれていない。

 いつもつるんでいる三人だが、この日はまるで会話が弾まず各自でバラバラに練習する運びとなった。


 一方友多も勝負所である。

 無駄なちょっかいをかけられぬよう、鬼清軍団を避けて練習している。



「いい気味だねっ、あいつらっ。ピリピリしちゃって笑えるっ。未練君もそうでしょっ」


 美々はチームの緊張感に可笑しさを抑えきれないようでくすくすと笑っている。

 未練は苦笑いでそれに答えた。


「あれっ?あんまり嬉しそうじゃないねっ。未練君あいつらの事っ嫌いでしょっ」


 嫌いである。

 嫌いではあるが果たして自分がこの争いを茶化していいものかどうか、という思いが未練にはあった。

 この争いは本物のアスリートの人生を賭けた戦いであって、強肩のアドバンテージで戦う自分が何かを言うべきではないのではと。

 美々は反応の悪い未練に口を尖らせた。


「いい人ぶっちゃって~っ。本当は楽しんでるくせにっ」


 口を出さないのと楽しむのはまた別の話。

 未練はニヤリとした。





 屋内練習場に鬼清の姿があった。

 滝のような汗をかき、一心不乱にバット振っている。

 邪魔しちゃ悪いし、関わりたくない。

 未練はそのまま素通りしようとした。


「おい岡本、ちょっと付き合ってくれないか」


 露骨に嫌な顔をしてしまった。

 思わず顔に出てしまい、しまったと思う未練。

 そのしまった、も顔に出ている。

 しかし鬼清はさほど気にせず言葉を続けた。


「打席に立つから、ちょっと球を放ってくれないか。タイミングを取る練習をしたいんだ。チームじゃお前が一番いい球を放る。頼むよ」


 未練は断った。

 これは未練の仕事ではない。

 先発ローテーションを守る立場の未練は、易々とはこの要望を受ける事は出来なかった。

 鬼清が食い下がる。


「十球でいい、頼む。打ち返したりもしない。この通りだ」


 訴えかけるその目は、バッキバキに血走っている。

 未練は、あっさり折れてしまった。

 怖いものは怖い。




 バットを構え、打席に立つ鬼清。

 十球の約束だ。

 ストレート

 スライダー

 ストレート

 ストレート

 スライダー

 ストレート

 ストレート

 ストレート

 スライダー


 鬼清は一球一球を噛み締めるようにボールを見送る。

 その目は真剣そのものだった。

 さて最後の一球。

 未練は鬼清を見据えた。


 口角が上がり目が爛々としている。

 何かを思いつき、うずうずしているようなその様子。

 打つ気だなこいつ、未練は悟った。

 最初から警戒心バリバリだった為、すぐに気付く事が出来た。

 ちょうどいい、試したいことがある。


 未練は最後の一球、カープを投げ込んだ。

 いまだ実戦で使用していない、蟹江直伝のカープ。

 まるで鯉の泳ぐ様のように、大きく雄大に曲がり落ちる所からこの名が付けられた。


 カープはスライダーよりも遅い。

 バットを振りだした鬼清は完全にタイミングを崩され、前につんのめるような形で空振りした。



「おいおいなんだよ、今の球。びっくりして思わず振っちゃったよ」


 恥ずかしさを誤魔化す鬼清の顔が、ひくひくと痙攣する。

 未練は適当に返事を返しつつ、先ほどの球を反省していた。

 本来低めに決めたいカープが高く浮いてしまった。

 コントロールに改善の余地がある。

 実践で使うのはもう少し先か、未練は考えを巡らせた。

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