第30話祝福した

 試合当日七月二二日は美修院、六〇の誕生日であった。

 祝還暦である。


 二回裏の守備中、誕生時刻十四時二十分を迎えると同時に、夏の青空に祝砲が上がり花束が登場した。

 笑顔で内外野のスタンドに手を振り、花の香を嗅ぐ美修院に大きな拍手が贈られる。


 三回表の攻撃中に打席が回ると、美修院はそこに赤いジャケットとハット姿で現れ観客を大いに沸かせた。

 赤いちゃんちゃんこではなくジャケットを選ぶ所に、美修院の美学が表れている。


 この日の主役は美修院であり、報道陣も彼の元に集まる。

 先刻の未練と美修院のブルペンでの会話にもカメラが向けられていた。

 そんな場においてエースという言葉が飛び出した事に、未練は尚更焦った訳である。



 この日の主役美修院の快投もあり、試合は六回まで両チーム無得点で進んだ。

 しかし実の所、美修院は一杯一杯であった。

 三回裏の投球の時点から肩で息をしている。

 夏の蒸し暑い気候に、齢六〇。

 当然といえば当然である。

 毎回のようにランナーを背負い相手の猛攻に晒される大ベテラン投手。

 それでも美修院は顔だけは涼しげに観衆の期待に応えるべく、気力を振り絞り投げるのであった。


 野球の得点こそ0を刻む展開ではあったが、採点において圧されている印象が東京野球団にはあった。

 美修院のフォームは美しく採点の面でチームを引っ張っているのだろう。

 しかしチーム全体に弱肩の問題を抱える東京野球団は守備でモタつく事もままあり、採点における差は徐々に開いているのではないかと予想された。




 七回裏の守備、打者は甘やかなる名残香。

 この回、もわっとした夏の空気にヒンヤリしたものが混じるようになる。

 積乱雲が発生し一部、日光を遮っていた。

 美修院は初球、ストレートを投げ込んだ。

 コツン、甘やかなる名残香が狙ったのはセーフティーバント。

 美修院は三塁方向に転がったボールを急ぎ掴み、一塁を振り返る。

 甘やかなる名残香の足は速く、既に一塁に到達しようとしていた。

 その場にはまるでワインのような芳醇な香りのみが残されていた。

 ノーアウトランナー、一塁。


 続く運命を背負いしベースボール王子との対戦は、フルカウントまでもつれ込む。

 美修院は渾身のスライダーを外角低めに投げ込むが、ほんの僅かばかり低めに外れボール。

 フォアボールとなる

 ノーアウト一二塁。


 戦場に咲く一輪の花は、美修院から火の出るような当たりを放った。

 投手方向やや右に飛んだ打球に美修院はとっさに反応、グラブを伸ばす。

 グラブは打球に届く。

 しかし強烈な打球は美修院のグラブをはじき、内野を転がった。

 美修院は膝をつき、唇を噛んだ。

 悔しさからか暫く動けない。

 ノーアウト満塁。

 更に日が遮られ、もう一段球場の暗さが増す。

 打席には四番、バッターボックスの芸術家が立つ。


 初球だった。

 美修院の球は軽く、いとも簡単に弾き返された。


 ホームランアーチストという言葉がある。

 只ホームランを量産するスラッガーではない、高く美しい放物線を描く打者のことをそう呼ぶ。

 バッターボックスの芸術家は、球界を代表するホームランアーチストである。

 力感のない柔らかいフォームで美修院の球を掬い上げた。

 打球はその名に恥じぬアーチを描き、左中間スタンドに吸い込まれた。



 美修院は打球の吸い込まれた先を見つめた、そのまま動かない。


 ポツリ、一粒の雨がグラウンドに落ちる。

 ポツリ、二粒目、ポツリ、三粒目。

 瞬く間に雨は激しくなり、グラウンドを叩く。


 レフトスタンドを見つめていた美修院は目を閉じ、天を仰いだ。

 雨は容赦なく、その顔を濡らす。



 試合はゲリラ豪雨の為、十分間中断された。

 雨で霞むマウンド、美修院はずっと立ち尽くしていた。






 先程の雨が嘘のように晴れた空が広がる。

 ゲリラ豪雨とはそういったものである。

 グラウンド整備を終え試合が再開、ここで美修院は交代となった。

 二番手投手は未練、準備は出来ている。

 敗色濃厚な試合での調整登板、安間からは打たれてもいいから残り三回を投げ切って欲しいとの要請。


 とはいえ美修院の力投を見た未練はそれなりに気合いが入っていた。

簡単に打たせるつもりはない。


 先程まで力投を見せていた美修院は今、俯いて表情が見えない。

 力なく腕をだらりと垂らし、重い足取りでマウンドを降りる所だ。

 ハットのつばからはポタポタと雫が垂れている。


 そんな美修院をなるべく見ない様、マウンドに向かう未練。

 すれ違う瞬間だった。


「残り打者九人、全て三振を奪いなさい」


 えっ、と思い未練は美修院へ目をやる。

 美修院は俯いたまま横目で視線のみを未練に寄越した。

 アイメイクが剥がれ周りが黒く汚れたその目には、しっかり力が宿っていた。





 マウンドに上がった未練は美修院の言葉を思い返す。

 九人全て三振に取る、これは安間の采配など比にならない位、無茶な要求である。

 随分簡単に言ってくれるが、実現すれば一種の記録になる類いの事だ。

 しかし美修院の目は本気だった。

 何の意図があってあんな事を……


 只、どうせ負け試合だし挑戦してみてもいいではないか、未練もやる気にはなっている。


 打者は金色に輝く麗しき獅子、初球、二球目とファール。

 カウント0-2。

 どちらも空振りを狙った球だった。

 追い込んだが、思い通りに事が運んでいるわけではない。

 未練はストレートスライダーを織り交ぜ臭いコースにボールを配球したが、金色に輝く麗しき獅子はボール球をしっかり見極め際どい球は上手くカットし甘い球を待つ。

 ストレートスライダーのコンビネーションにも徐々にタイミングを合わせてきている。


 未練は二種類しか球種がない事に改めて限界を感じる。

 カープの実用化を急ぐ必要があるかもしれない。

 この場は二球種で凌ぐ他ない、未練は内角高めボールゾーンへ釣り球ストレートを投げた。


 釣り玉に、金色に輝く麗しき獅子のバットは反応する。

 振りだした後でボールに当てる事が出来ないと悟った金色に輝く麗しき獅子は、必死にバットを止めにかかる。

 しかし一度振り出したバットの勢いを止める事が出来ず中途半端なハーフスイング、金色に輝く麗しき獅子は三振となった。

 三振を一つ取るのも簡単ではない。

 九者連続三振まで、後八人。

 未練には全く実現出来る気がしなかった。



 結果を言ってしまうと、未練は八者連続三振まで達成する。

 充分に凄い事である。

 そこに至るまで一筋縄では行かなかった。

 甘やかなる名残香のバント攻撃には手を焼いたし、運命を背負いしベースボール王子のポールギリギリの大ファールにはホームランを覚悟した。


 最後はバッターボックスの芸術家を追い込みながらもフェンスぎりぎりのセンターフライを打たれ、九者連続三振は儚く消える。

 奮闘した未練だが打線は沈黙し4-0、リードを許したまま試合は終了した。






「本日のヒーローインタビューは還暦を迎えた貴公子、美修院益造投手! そして記念日に奪三振ショーで華を添えた岡本未練投手です!」


 インタビュアーの空が声を張り上げる。

 試合後、神による採点を加えた結果、116.75-117.5で東京野球団が勝利を手にした。


「勝負の決め手は、ホームランを打たれた後の哀愁のある佇まいだったと思います。どういった気持ちでマウンドに立たれていたのですか」


 被弾後の美修院のドラマチックな立ち姿は神から高く評価された。

 ワンプレイとしてはこの試合最大の15.25点が加点されている。

 美修院はボロボロだったメイクをばっちり直し、タキシード姿で答える。


「僕は投げるからには打たれていいとは思っていません。しかし打たれた以上はその気持ちを、思いを皆様に届くよう表現するのも役割だと思っています。只々その一心でした」


「還暦を迎え未だ現役、その思いには特別なものがあったと思います。どのような気持ちでマウンドに向かわれましたか? 」


「はいまずは感謝です。応援していただける大勢の皆様に感謝しかない。 皆様本当にありがとう。そして若手にバトンを繋ぐ、この事を最初から意識していました」


 大ベテラン美修院の魂の投球を受けての、ルーキー未練の力を見せつけるような奪三振ショー。

 これも神は高く評価した。

 試合を通しての構成には、34.5点の高得点が付けられている。


「僕はまだまだ辞めるつもりはないけど、最近は若手の活躍も著しい。そして彼らはもっと伸びると思います。未練君もまだ自己演出に不器用な面がありますが今日の魅せる投球を見るに、この先どんどん成長する可能性を秘めている。更に上を目指す為には、形から入ってみるのもいいかもしれないですね。例えばマントを纏って風格を演出してみるとか、仮面でミステリアスな雰囲気を醸し出すとかね。仮面には薔薇の紋章なんてあしらってみてはどうかな」


 これでは自己演出ではなく、美修院演出である。

 未練は美修院の提案を誤魔化すように笑顔で返したつもりだが、緊張で顔が引きつっている。

 未練にとって初めてのヒーローインタビューの場であったからだ。

 その様子を見て美修院は苦笑した。


 美修院は重ねてチームメイト、スタッフ、観客に感謝の言葉を述べ、ヒーローインタビューを締めくくった。

 爽やかに手を振る美修院を、割れんばかり拍手と歓声が包む。

 次は未練の番である。


「岡本投手は試合前、美修院投手から次期エースに指名されました。その思いを受けての投球、どんな気持ちを込めて投げましたか」


 空は未練が緊張しているのを分かった上で、意地悪な目を向けた。

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