第24話読んだ

 部屋に戻った未練は後悔の中にいた。

 千載一遇のチャンスを自ら手放してしまった訳である。

 最後の最後になぜあんな判断を下してしまったのだろう、悶々としながら眠りに落ちた。


 翌朝も後悔は続き、しばらく布団から起きられない未練。

 昼過ぎにようやく布団から出ると、鯖味スタジアムに向かった。

 やるせない気持ちを紛らわすため、更にもう一つ気になる事があったためだ。



 未練の目的地はスタジアムの地下にある資料室だ。

 資料室には球界の歴史を扱った書籍や資料が保管されている。

 未練はその中から 異世界関連の資料を探した。

 未練の元いた世界と東京野球団との関わりをまとめた本でもあればちょうどいい。

 本当は野球関係なく異世界関連の資料であればなんでも良かった。

 その場合、異世界人組合に連絡を取ればもっと良い資料が見つかるはずだ。

 しかし未練は江藤とは連絡を取りたくない。

 そこでとりあえず鯖味スタジアムの資料室を漁ろうと考えた訳だ。



 こっちの世界に来た当初こそ元の世界に帰りたいと願っていた未練であったが、すぐにそれが難しいと分かり、次第に日々の生活に追われその気持ちも忘れていた。

 しかし前日に寂子の顔を思い出し未練自身、説明出来ない感情に襲われた。

 ここにきて自分の生まれ育った世界をもう一度意識せざるをえなくなったのだ。

 調べてみよう、どうにもならないかもしれないがとりあえず調べてみよう、と未練は資料室を訪れたのである。


 一冊の本が未練の目に留まる。

 プロ野球異世界人選手列伝。

 過去にいた異世界人のプロ野球選手を伝記調にまとめた本である。

 この本には未練の欲しい情報はおそらくないのではないか、と思えた。

 しかしとりあえず読んでみよう と手に取った訳だ。


 未練はプロ野球異世界人選手列伝を読みふける。

 特に未練の欲しい情報はない。

 やっぱりか、本を閉じようと考えていた時に声をかけられた。


「未練君、何読んでるの?」


 夏美だ。

 未練が本を隠すべきかどうか、頭を働かせる前に夏美はタイトルを素早く確認した。

 ふーん、と夏美。


「なんでこんな本読んでるの?」


 なんと答えれば良いものか、迷う未練。


「もしかして帰りたくなっちゃったの?」


 なかなか鋭い。

 一応否定する未練、嘘をついたわけではない。

 果たして帰りたいのかどうか、未練にもよく分かってはいなかった。

 続けて未練は答える、異世界人プロ野球選手としての心構えを学ぼうかと思って……。

 これは嘘である。

 またまたふーんと夏美。


「で、勉強になった?」


 なったよと未練、例えばこの人とその時開いていたページを指差す。

 そのページは元プロ野球選手、蟹江捨実かにえすてみの項であった。



 蟹江はまだ強肩男子選手がバリバリ活躍していた頃、その猛者達の中に混じり通算二三四勝を挙げる活躍をした異世界人一流投手である。

 彼の操る変化球カープは魔球と呼ばれ、数え切れない空振り、凡打の山を築いてきた。

 生きていれば七五歳になる過去の名選手だ。


 未練の持ち球はストレートとスライダーのたった二種類、この先を考えれば不安である。

 カープとはどんな球なのか興味がある、もし教えてもらえるものなら教えてほしいなと。

 いつになく饒舌に語る未練。

 本当はそんな気さらさらない。


「じゃあ教えてもらえるか聞いてみようよ。球団に頼めば連絡を取ってもらえるんじゃないかな」


 と、あろうことか夏美は言い出した。

 え、嘘、と未練は思ったが夏美は既に未練の手を引いて歩きだそうとしていた。





 蟹江と連絡はすぐに取れた。

 蟹江は都内におり、今日会いに来ても良いとの事である。

 とんとん拍子に話が進み、未練は眩暈を覚えた。

 この日は試合がなく夏美も午前中の練習を終えており、ついてくるそうである。


 逃げ場なし。

 未練は夏美とともに蟹江の元へ向かうしかなかった。




 国立生き生きて病院、ここが蟹江の居場所である。

 蟹江はこの病院に長期入院中であった。

 尻込みする未練の手を引いて夏美は面会手続きやら、なにやらをぐいぐいと進めて行く。


「ここだね、三〇二号室」


 着いてしまった。

 全く気が進まない未練をよそに夏美は止まる気配がない。

 さっさと病室に入って行った。



 病室の扉の近くに蟹江のベッドはある。

 蟹江はそこに座っていた。


 蟹江の年齢は七五のはずであったが、その見た目は九〇歳以上に見える。

 弱々しい産毛がまばらに分布するのみの頭はユラユラと不安定に揺れつつも、全身はプルプル震えている。

 口はパクパクと開いたり閉じたり開閉を繰り返し、そこから覗く歯はやはりまばらだった。


 初めましてと、夏美が真っ先に挨拶をする。

 夏美に目配せをされ、未練もまた挨拶。

 蟹江は 未練たちの方を見ている、と思われる。

 しかしその目は虚ろで焦点が定まっていない。

 果たしてきちんとこちらを見てくれているのか確証が持てない。


 夏美は蟹江と目線を合わせ、 話しかけた。

 夏美はかつて一流投手であった蟹江の名は知っている。

 映像で見たこともあるようである。

 夏美はリスペクトを持って、蟹江の投球について熱っぽく語った。


 蟹江は都度、ハイ……と返事をして一応反応を見せているようだが、返事のタイミングが微妙にずれており本当に分かっているのか疑わしい。


 一通り夏美は話し終え、未練の方に目をやった。

 今日の本題を切り出せ、との顔である。

 夏美に促され未練は、仕方なく口を開いた。


 折り入ってお願いがあります、と。

 蟹江さんの伝家の宝刀カープを教えて欲――


「教エマス」


 未練が言い終わる前に蟹江は応えた。



 こうして未練は定期的に蟹江の元へ通い、魔球カープを伝授される事となった。

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