第23話思い出した

 会食の話題は野球の話が中心だった。

 空が未練に質問をし、未練がそれに答えると言うスタイル。

 空は未練を乗せるのが上手かった。

 ついつい調子に乗って野球論、野球への熱き思い等々を語ってしまう。

 これはおそらく後で思い出して、恥ずかしさに悶えるやつである。


「二ヶ月間、野球から離れてなぜ戻って来ようと決意したんですか? この二ヶ月間、何を思って過ごしていたんですか? 」


 未練は別に二ヶ月野球から離れていた訳ではない、単に干されていたのだ。

 野球を続けているのは、この異世界で自分の幸せを掴むためである。

 しかしこれをそのまま話すのは少し格好が悪い。

 どうしても野球が諦められなかった……野球は僕の全てだから。

 未練は自分の中にある野球への真剣な思いを、無理矢理にほじくり出し語るのだ。


 意外と真面目な子だな、と未練は思った。

 取材をしたい、との言葉通り先程から野球の話ばかり。

 それによく勉強している。

 元の世界で平凡な高校球児だった未練なんかよりよっぽど詳しい。

 未練はへーへーほーほーと感心している。


 話題が野球ばかりなのは未練にとって都合がいい。

 プライベートな会食ではあるが、仕事のように振る舞う事が出来る。

 死ぬほどチーズのかかった魚、冷たいトマトソースの中に沈む肉、数々の創作料理を味わう余裕すらあった。


「ワインあんまり減ってないですね、お酒苦手だった?」


 最初の一口以来、口をつけてないグラス。

 料理は食っても酒は進んでいない。

 未練は首を横に振り、二口目に挑戦した。


 ――渋い!


 三口目。


 ――渋い!


 お酒の力もあってか、さほどの緊張もなく、会食の場を乗り越える事に成功した。



 支払いは自然と未練が持つ事に。

 入団時の契約金がありお金だけはそこそこ持っている。

 支払いは十万六千四十円。


 ――高い!


 契約金は入ったがここまで特に使ってこなかった。

 初めての高級店自腹に震えながら現金で支払う。

 異世界のクレカは怖いのでまだ作っていない。



「これからどうします? もう一軒いっちゃいます?」


 お店を出た空が聞く。

 行く事は既に決定しているかのような、一応確認だけしとくような聞き方である。

 未練には拒否権はない。





――ムーディー!


 二軒目に入ったバーの印象である。

 カクテルを注文した空に倣い、未練も同じくカクテルを選ぶ。

 カクテルなら甘いはずという算段もあった。

 未練が注文したのはお店オリジナルカクテル、キリンさんの涙。


 テーブルに届いたのは足の長さが五十センチほどある長いグラスに黄色い液体が注いであるものであった。

 未練は腕をプルプルさせながら、 キリンさんの涙を飲んだ。

 甘い、飲みやすい。

 カルアミルクを飲みながらその様子を見て、空がふふふと笑う。


「可愛い。岡本君て面白いね。不思議な人……今まで出会ったことのないタイプかも」


 未練みたいな人間は五万といる。

 空の勝ち組人生において、その目に触れる所にいなかっただけであろう。


 しかしどういうわけか、未練は空の目の前にいる。

 空の目にはこの瞬間、未練しか映っていないのだ。


「私、変なこと言ってるかな。酔ってるのかも」


 空はトロンとした目で未練をを見つめる。

 これはやっぱりそういうことなんだよな、潮目が変わっていることを未練は感じた。


 勇気のない未練は、途端にキョドりだす。

 そんな未練を見ていたずらっぽく微笑む空。


「私いいホテル知ってるよ。一緒に行く?」


 空は単刀直入に切り出した。未練の様子を見て埒が明かないと判断したのだろう。



 ついにここまで来てしまったのか、と未練は思った。

 只の大学生に過ぎなかったはずの未練が女子アナと関係を持つ寸前のところまで来ている。

 プロ野球選手の見る景色とはこういうものなのか。

 未練の心臓は既にバクバクと高鳴り、顔は火照っている。

 この世の中にはこんな世界も存在してるんだな、元の世界では冴えない女と付き合っていた平凡な自分がまさか。


 ここで未練は元の世界に残してきた恋人、内田寂子の顔を思い浮かべた。

 この世界に来てからほぼ初めて思い出したのである。

 良く言えば素朴、率直に言えば地味で垢抜けない女の子。



 その瞬間未練の頭はすっと冷めた。

 今までの興奮が嘘だったかのように冷めた。


 寂子に悪いと思ったのであろうか。

 未練にはいまいち分からない。

 とにかくこの時の未練は、突然そんな気が微塵もなくなってしまったのである。



 さて、困った。

 ムードは既に盛り上がってしまっている。

 この状況を一体どうするべきか。

 この瞬間の未練は断るという選択肢以外持っていなかった。


 未練はここで誠実な人間の振りをする。

 こういうことは段階を踏んでいきたい、もう少しお互いのことを知ってからにしたい、とかなんとか。


 空の頭も少し冷めたようである。


「岡本君って真面目なんだね」


 と笑ってくれた。


 すっかり気分が萎えてしまった未練だが、こうして先の可能性を残しておこうとするのがセコい所である。


 この日の会食はここでお開きとなった。

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