第15話従った

 試合開始から約十五時間後、未練はまだマウンド上にいた。

 九回表ツーアウト満塁、3-2で東京野球団リード。

 最終盤を迎えている。


 未練はここまで十四の三振を奪った。

 自己の野球キャリアで最多である。

 バットに当てられると、スーパースピードの面々の俊足に翻弄される事になる。

 三振を狙うのが得策であった。

 ただし二種類しかない球種の一つスライダーを使えるのはランナーがいない、且つツーストライク目まで。

 ここぞの勝負球は全てストレートで凌いできた。

 未練自身もよくやった、と自分で自分を褒めたい気分である。


 未練は疲労困憊、肩で息をしている。

 足もふらつくし頭もボーッとする。

 遂に後ワンアウトまでこぎ着けたといった感じだが、只今大ピンチ中である。



 一回表終了後、未練はこそっと神保に提案をしていた。

 スライダーを捕れない海鈴よりも、捕球が安定している油の方がいいのでは、と。


「この試合を勝つだけならその方がいいんだろなー」


 ではでは油の方がいいのでは。


「先を見据えたときにだなー、お前も花毟もチームの中心になって欲しい訳よ。お前らの将来性に賭けて起用してる訳だからそうホイホイ代えれんよ」


 あんた辞めるんじゃないのかよ、未練は思った。

 監督業の煩わしさに嫌気が差しヤケクソ気味の神保であるが、目先の勝利よりチームの将来を考えてくれているようだ。



 スーパースピードに得点が入ったのは初回と三回、各一点ずつ。

 一方東京野球団は五回に一挙三点を奪った。

 五回に先頭打者の夏美がヒットで出塁、大谷川が倒れた後、五村が四球を選ぶ。

 鬼清が倒れ、続く海鈴の打席でスタンドが五十メートル先に出現した。


 一、二、三、本塁と同様にスタンドもランダムでその場所を変える。

 通常の野球場なら、外野スタンドはバッターボックスから百メートル前後と思って頂ければ良い。

 東京野球団にとっては千載一遇のチャンスだった。

 海鈴が近くまできてくれたスタンドにスリーランホームランを叩き込み逆転に成功したのだ。




 そして九回表ツーアウトランナー満塁、打席には四番バッターキューンッを迎えスタンドは未練の立つマウンドのすぐ後方一メートルに出現していた。

 バットに当てただけで簡単に届いてしまいかねない距離である。


 未練はベンチの神保を見る。やはりここは油がいいのでは、と。

 神保は目を合わせない。

 おそらくわざとだろう、頑固な男である。

 こうなっては仕方ない、未練も腹を決めた。


 初球ストレート、ファール。

 明らかに当てにきているスイング。

 二球目ストレート、ボール。

 外角外し目の球にバットがしっかりと止まった。

 三球目ストレート、ボール。また外角外し目。

 高く外せば打ち上げられてスタンドイン、低めに投げれば転がされて走力で翻弄される。

 ボール球を投げるのにも選択肢が限られていた。


 四球目ストレート、ファール。

 背筋が凍る。打球はギリギリファールゾーンに落ちたが飛距離は充分であった。


 追い込んだ。

 後はどこにストレートを投げてこの試合を終わらすか、やはり高めの釣り球で相手を誘い出すべきか……未練は思案を巡らせた。



 海鈴からのサインはスライダー 。

 え、未練の思考が一瞬止まる。

 一拍の後、首を横に振った。


 尚もスライダーのサイン。拒否する未練。

 サインが決まらない、海鈴がタイムをかけた。


「お前が私を信用してないのは分かる。確かに今日の私は言い訳しようがない位酷かった。それをこんな試合終了間際にしか認められなかったのも悪かったと思ってる。でもこれは私なりにお前の球を受けての判断なんだ」


 この試合楽な場面では何度かスライダーを投げた。

 しかしまともに捕球出来たのは僅かである。

 未練にとって 海鈴の言葉は疑わしかった。


「絶対に捕れる。信じてほしい。責任は全て私がとる」


 未練はこの言葉が好きではない。

 個人のコントロール出来る物事には限界がある。

 例えば人の気持ち。試合に負けて失望する人は勝手に失望するのであって海鈴がどうこう出来る問題でもない。

 未練が失う信頼に責任を取れるのは海鈴ではないのだ。



 とはいえ未練は既にスライダーを投げる気持ちを固めていた。

 試合を通して、海鈴がスライダーを捕ろうと必死に取り組んでいた事は分かっている。

 逆転弾も打った。

 失敗が許されない打席で、なり振り構わずボールに食らいついていたのを見ている。


 言葉には共感できないが気持ちは伝わった、疲労で頭も働いていない。

 未練はあっさり感情に流される事を選んだ。



 これで終わりにしたい、未練はスライダーを投げ込んだ。


 スポッ……手からボールが抜ける感覚。

 ヤバい!……未練のスライダーは高めにすっぽ抜け、間抜けな軌道を描き打者に向かっていった。


 渾身のストレートを待ち構えていたキューンッは気の抜けた球に面食らい、思わずバットを出してしまう。

 ずらされたタイミングをなんとか修正しようと試みるも、バットはボールが到達するより先に回りきった。

 運……かもしれないがとにかく空振り三振である。

 しかしボールはあらぬ方向に飛んでいる。

 これを抑えなければ、試合の行方は分からなくなってしまう。

 海鈴はミットを低めに構えていたがボールはその遥か上、彼女の頭上を越えようとしている。



 海鈴の伸ばしたミットにボールはしっかりと収まった。

 海鈴は落ち着いていた。


 試合終了

東京3-2宮城


 試合時間は十五時間十九分。

 六連敗中の東京野球団にとって久々の勝利である。



 未練はとりあえず海鈴に声をかけようと近付いた。

 最後の最後でやらかしかけたのは気まずいが、仕方ない。

 労いの言葉位かけるのが礼儀である。

 海鈴は片膝をついて動かない。

 下を向いて小刻みに震えていた。


「良かったあ……」


 これは聞いてよかったのか、未練は迷った。

 聞いてない振りしてとっとと立ち去った方がいいのかも、と思っているうちに海鈴が顔を上げた。

 一瞬のバツが悪い顔を誤魔化すように未練を睨む。


 未練も睨み返す、これは特に意味はない。

 なんとなくやってしまった。

 始めてしまった手前、引っ込みが付かずガンの飛ばし合いが続く。

 暫しの膠着状態の後、先に折れたのは海鈴だった。


「立てないんだ。手ぇ貸してよ」


 未練も折れて海鈴に手を貸した。

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