第14話疲れた

 マウンドに戻る未練の足取りは重かった。

 あれだけ走り回って結局アウトを取ることが出来なかった。

 しかも一階から八階まで階段で戻らなければならない。

 疲労した心身に容赦ない客の野次が突き刺さる。

 言い返したい気持ちをぐっと抑え八階へ急いだ。



 バッターボックスには既に二番バッターピュンが控えている。

 未練は一息つく暇もなくマウンドに追いたてられた。


 初球スライダー、ピュンのバットは空を切る。

 ガスッ、ボールはミットに当たりはしたが収まらず海鈴の足の間を抜けていった。


 守備側がボールを失っている隙を突き、ランナーは次の塁を狙う事が出来る。

 一塁ランナー、ッを止める為にまた塁を探し回らなければならない。

 未練は気合いを入れ直し捜索に走り出したが、これは結局徒労に終わる。

 先に目標物を見つけだした、ッに二塁まで陥落させられてしまう。

 一回表ノーアウトランナー二塁カウント0-1。



 東京野球団にとって何も進展がないまま徐々に事態が悪化している。

 特に未練にとっては苦しい状況である。


 海鈴は二球連続でスライダーを捕れなかった。

 スライダーは使えないな、未練は察した。

 例え使えても限られた条件下でのみ、大事な場面では厳しいだろうと。

 球種の選択はサイン交換をして、投手捕手のバッテリー間で共有されている。

 なのに捕れないのでは致し方ない。



 バッターは未だピュンのままである。

 二球目ストレート、ファール。

 この試合初めてバットに当てられた事になる。

 スライダーが捕球出来ないのを察して、ストレートに狙いを絞ったスイングである。


 三球目ストレート、捕手ゴロ。

 球威に押され全く前に飛ばず、足元に転がった。

 しかしピュンにはそれでも充分であった。

 海鈴が球を拾う間に、さっさとその場から逃げ去るだけの走力を持っている。

 ピュンもやはり速かった。


 東京野球団の面々はまたもや走り回る事になる。

 結果として三塁は死守する事に成功するもののアウトは取れず、一二塁を確保され更にピンチが広がった。



 一回表ノーアウトランナー、一二塁。

 バッターボックスには三番ギュルンッ。

 初球ストレート、ファール。二球目ストレート、ファール、と続いて三球目。

 未練のストレートにギュルンッが食らい付いた。

 投手ゴロ、弱々しい打球だ。


 未練はある程度予測をつけており、いち早く前方にチャージをかけていた。

 さっと打球を処理すると目の前のギュルンッにタッチすべく手を伸ばす。


 ギュルンッは鮮やかに宙を舞った。

 アクロバティックに空中で体を回転させ、未練のタッチを掻い潜る。

 着地と同時に全身のバネに力を溜め、一気に解き放った。

 やはりこいつも速い。


「ボール持ってここに待機しろ!」


 海鈴が走り出した。

 中間階の八階にボールがあれば、どこにベースが出現してもある程度対応出来る、という戦術である。



 八階を捜索しながら待つと、夏美がやってきた。

 敵ランナーはボールの近くを見張っている事が多いので、あわよくば挟撃する為だ。


「もう嫌になってるでしょ」


 夏美は意地悪く聞いた。

 いや全然、と未練は答える。

 嘘である、もう帰りたい。


 観察すると確かに、こちらを監視する敵ランナーを確認出来た。

 挟み撃ちを警戒して遠巻きながら、七から九階辺りの周辺階をうろちょろしている。

 客間の陰から覗いているのはッだ、ギュルンッもさっきから東西北の階段の辺りで見る。

 ピュンだけは見当たらない。

 ランナーも三人いるので役割分担でベース探しをしているのかもしれない。


 ここにいてはいけない、未練は感じた。

 同じ階層にいては走り負ける。

 例え一か八かになっても場所を変えた方がいい。

 未練は夏美との距離をぐっと詰めた。


「な、なにっ?どうしたの?」


 夏美は突然の事に焦っている。

 体を緊張させる夏美に更にゼロ距離まで近付き、ここを離れる旨告げた。

 夏美と接近する事で、どっちがボールを持っているか攪乱する意図もあるが果たしてどこまで通用するか。


 納得した夏美に送り出されて未練は上階へ旅立った。

 付いてきたのはギュルンッのみである。

 ッは訝しげに見送るのみだった。

 とりあえず十一階辺りへいってみようか、ランナーの動向を気にしながら歩いて階段を上る。


 十一階に足を踏み入れた瞬間だった。

 無線が鳴る。

 七階に一塁発見の報。

 全くの逆方向、移動が裏目に出た形である。

 振り向くと階下でこちらを見るギュルンッと目が合う。

 ギュルンッの標的はまさに一塁だ。どうしよう……。

 ギュルンッは未練を見つめたまま無線で仲間に連絡を取っている。

 こちらサイドが塁を発見した事は気付いているのだろう。

 さて、どこまでバレているのか……見つめあったまま動けなくなった。


 暫しの沈黙の後、ザッ、今度はギュルンッの無線が鳴る。

 ギュルンッは下の階へ向け走り去った。

 一塁の場所が分かったのだ。


 なぜ分かったのか。

 他の二人が一塁を発見したのか、無線の音声を聞き取って見当をつけたのか、それとも観客の野次情報から?

 全部可能性はある。

 スーパースピードの面々は試合に使われそうな日本語を勉強し、客からの情報も分析利用している。

 情報戦において東京野球団は後れをとっていた。


 ギュルンッの姿は小さくなり今や豆粒大だ。

 まもなく見えなくなるだろう。未練は見送るしかない。


 その時無線が鳴った、十四階に三塁発見、と。


 あ、ギュルンッを見送ってすぐの急報に未練の時は一瞬止まった。

 が、すぐに我に返る。未練は走り出した。



 十二階、振り返る、敵は来ていない。

 十三階、振り返る、敵は来ていない。

 十四階に入ると発見者の五村が廊下の遥か先に見えた。あそこだ。

 ダンダンダンッと木造の廊下は音が響く。

 ダダダンッダダダダンッ、あれ音が重なっているよ。


 振り返る……来てる!

 ッである。


 未練は逃げたが走力が段違いだ。

 瞬く間に差は縮まっていく。

 ならばと未練は、ッとの位置関係を調整する。

 すれ違う瞬間を狙ってタッチアウトを取る、と。

 ッは遂に未練のすぐ後ろまで迫った。

 未練はグラブを伸ばす。


 スカッ、未練のグラブは空を切った。

 ッは華麗なターンを決めタッチをかわし、そのままスピードを落とさず未練を置き去りにした。

 ッの背中が遠くなっていく。



 未練は焦ってはいなかった。

 走りながら、ッのスピードと自分の肩力、五村との距離を測る。


 まだ、もう少し待て、もう少し、もうすぐだ、あとちょっと、そろそろだ、もう来るぞ、ここだ!

 未練は全力疾走の勢いそのままに五村に向け、ボールを投げ込んだ。


 ッは速い、が投手の送球の速さには勝てない。

 ボールは低い軌道を描き、ッに一瞬で追い付いた。


 バシッ、三塁上の五村のグラブにボールが収まる。

 一拍遅れて、ッの足がベースに到達した。

 アウト、神の裁定がくだる。


 一回表ワンナウト、この試合ようやく一つ目のアウトである。

 試合開始から二時間が経とうとしていた。

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