第12話『“原田一喜”』



 原田一喜はらだかずき


 彼は横浜のある病院で生まれた。

 その後、何不自由なく成長する。


 問題が起こったのは小学生の頃。

 原田に与えられた称号は“落ちこぼれ”だった。

 勉強の出来ない原田のことをクラスメイトが馬鹿にした結果である。

 勉強だけではない。

 元々外で遊ぶことが苦手だった原田は、体育も苦手だった。


 子供というのは時として残酷な一面を見せる。

 それが“落ちこぼれ”というイジメに繋がった。


 子供というのは繊細な生き物だ。

 与えられた身の回りの環境によって精神を大きく歪ませる。


 『馬鹿だ』『馬鹿だ』と言われるうちに原田一喜は、自身が“世界で一番馬鹿”なのだと思う様になった。


 思って、塞ぎ込んだ。


 そんな原田に転機が訪れた。

 入学した中学で、原田は一人の男と出会う。


 『真城晴輝ましろはるき』。


 それは“世界で一番馬鹿”であるはずの原田よりも“馬鹿”な存在だった。


 原田が初めに抱いた感情は優越感。

 初めて見る、自分よりも下の存在。

 見下せる。馬鹿に出来る存在。

 それは原田が初めて知る感情だった。


 ……しかし、物事はそこで終わらない。

 それはある日のこと、『真城晴輝』が医者の息子であると知ったことに起因する。

 医者の息子。

 それは原田の思うところの“人生の勝ち組”だった。

 真城自身が“馬鹿”であっても……、“ソレ”を覆すほどのもの。


 原田よりも“馬鹿”な真城が、原田よりも“勝ち組”であるという事実が、許せなかったのだ。


 真城の存在に救われた原田。

 しかしその実態は医者の息子である“勝ち組”。

 幸か不幸か、ソレは原田の“落ちこぼれ”人生を変える切っ掛けとなった。


 こいつにだけは負けたくないという想い。

 こんな奴より“勝ち組”になるんだという強い意志。


 それは原田が、内心で真城を見下し、沸いた怒りを糧に勉学へと励む道を決意するには十分なものだった。



 最初に努力したのは数学。

 数式を覚え、それにそって数字を当てはめていくだけ。

 後は単純な計算間違いをしなければいい。


 次に頑張ったのが国語と社会。

 数学で数式を頑張って暗記してきたことが活きたのか、不思議と暗記という物が苦に感じなくなっていた。

 国語なら漢字、社会ならば歴史上の出来事。

 覚えることも格段に増えたが、日に日に上がっていく小テストの点数と、自分より“馬鹿”な真城との点数を比較し、嘲ることを楽しみとした。


 内心では真城を見下しながらも表では仲良く接する日々。

 原田自身が真城をどう思っているのかも露知らず、仲良く接してくる真城を見てほくそ笑んだものである。


 その後も努力を重ね、理科と英語も修得。

 この二つも暗記が必須。

 とは言え、ただ文字と文章を覚えるだけの国語、社会とは違い、理科では実際に薬品を使っての実験、またそれらで起こった結果の考察など自分で考えて自分なりに物事を理解する力が求められた。

 英語なんてそもそも、外国の言葉である。

 赤ん坊の頃から無意識で覚えてきた言葉というものを、今度は一から意識的に覚える必要がある。

 さらに加えるなら、外国には外国の文法というものも存在し、非常にややこしく難解なものであった。


 最後は体育。

 元々身体が弱かった。しかし手軽にできる筋トレから始めてはや一年。

 五教科の努力も次第に実ってきた頃のこと、……結果が出たのが一番遅くなってしまったものの、身体には筋肉と呼べるものが身に付いた。

 五教科を覚えた、という成果が背中を押していたのもある。

 あれだけ苦手だと思っていた体育、スポーツも、いざやってみればなんてことない。

 面白いくらいに身体が動いた。


 もう努力も苦ではない。


 こうして、原田は高校に上がる頃には“落ちこぼれ”のレッテルを返上した。

 元々顔は良かったのも、恩恵としては大きいだろう。


 イケメン。成績優秀。スポーツ万能な男が誕生していた。


 それもこれも真城のおかげ。

 真城に沸いた怒りのおかげ。

 今まで見下してきた“馬鹿”のおかげ。



 ……しかし同時期、原田は、奇妙な感情も自覚するようになった。


 それは原田が真城を、とるに足らない存在だと認識したからかもしれない。

 成績優秀となった原田に生まれた、心の余裕かもしれない。

 或いは、原田自身がこれだけ変わったにも関わらず、未だに変われずにいる真城への憐れみか。


 いつしか原田は、真城のこれからを心配するようになっていた。


 原田に目覚めた奇妙な感情。

 テストの点が上がらない真城の相談にも乗った。

 真城を“馬鹿”だと罵倒する連中から助けた事もあった。

 真城の夢を素直に応援した。


 あれだけ憎かった真城との会話に、本当の意味で楽しめていることに気が付いた。

 親友。……なんて言うと、真城に失礼かもしれないが、真城のことを親友だと思うことが何度もあった。

 それは真城を見下す想いを、かき消すほどの感情だった。


『どちらが本当の自分なのか分からなくなる』


 そう思う原田がいた。



 次第に真城への妬み、怒りは失せ、真城との日常を楽しむようになった。


 平穏な日常。その中でも原田は努力を怠らない。

 勉学に勤しむ時間、結果が出る喜び。それもまた原田の楽しみであったからだ。



 そして……。

 時は流れ、成果が実る。


 大学受験。東京大学、通称『東大』に合格、進学することとなる。

 幸福だった。

 今までの努力が実ったのだから。


 問題が起こった。

 それは二度目の転機。


 自身の力を過信していたわけでは無い。

 とは言え、そんな原田であっても『東大』への進学にはかなりの努力を有したことに違いは無い。

 結果としてそれは“合格”という形で現れたわけだが、事態はそこで終わらない。

 ハッピーエンドでは終われない。


 簡潔に述べるなら、原田は大学の授業。

 “『東大』の授業レベルについていけなかった”のである。


 あれほど幸福だった高校時代。

 周りからもてはやされた原田一喜は……再び“落ちこぼれ”となった。


 日に日に開いていく同学生との差。

 次第に分からなくなる授業の数々。

 成績が落ちてゆくという感覚に、原田は絶望する。


 何故? どうして?


 考えに考えて至った結果。それは……、


 “ここでの『真城晴輝』を探そう”、というものだった。


 しかしそれも叶わない。

 どれだけ探しても“落ちこぼれ”は原田一喜ただ一人。

 見下せるもののいない世界。

 それは“今まで”の原田の在り方を許さなかった。


 ある日のこと、原田は“もう一人の自分”の存在を知る事となる。

 言い知れぬ不安が脳裏に過った。


 学校でのストレス。

 “ドッペルゲンガー”というストレス。

 募りゆくストレスが、原田の心を蝕んでいった。


『どうしてこうなった?』


『俺が何をした?』


『俺の望んでいた未来はこんなものでは無かったはずだ』


 歪んだ思想。歪にねじくれた心が導き出した一つの結論。

 それは“今まで”の原田一喜を生み出した根幹。

 この現状に至ることになった元凶。


 ……あいつさえいなければ。


 その考えは最悪のものだった。

 原田の“今まで”を否定するものだった。


 努力はした。

 しかし結果が実らない。

 何故、原田は“こんなこと”に努力をしていたのだろう。

 あれだけ楽しめていた勉学が、今はもう楽しくない。

 こんなつまらない道を歩む羽目になった理由なんて、……簡単だ。


 ――『真城晴輝』さえいなければ。


 それは数年越しに思い出した感情。怒りだった。


 『真城晴輝』と出会わなければ、原田は勉学に励もうとは思わなかった。

 勉学に励まなければ、こんな大学に行こうとも思わなかった。

 こんな大学に来なければ、こんな屈辱を味わうこともなかった。


 人生を無駄にした。

 一度しかない人生を、無駄にしたのだ。

 全ては『真城晴輝』と出会ったからだ。

 あの存在が自身の全てを狂わした。


 ――憎い。憎い。憎い。


 ――殺してやりたいほどに。




 とは言え、それを実行することは無かった。

 理由は明確で、それどころではなかったからだ。

 勿論それは、“人を殺してはならない”という倫理があった為でもあるのだが、一番の理由は“ドッペルゲンガー”という存在だ。


 自分と瓜二つの存在。

 最初は噂程度だった存在。

 しかし次第にその存在も鮮明となり、終いには襲い掛かってきた。

 

 初めて知る死の恐怖。

 なんの因果だっただろう。

 原田が助けを求めた相手。

 携帯で最初に目に留まったのが『真城晴輝』だったのは。


 人との付き合い方にも慣れていた。

 大学に上がり、出来た友人もいた。

 しかしそれも友人止まり。

 “落ちこぼれ”な原田一喜に、”親友”と呼べる者はいなかった。

 ……だからだろうか。

 “ドッペルゲンガー”などという突拍子もない話をしても、突き放さずに話を聞いてくれると思える存在。


 親友に助けを求めたのは。

 


~   ~   ~   ~   ~   

 

 

「なんて都合のいい……、虫のいい奴なんだろうなぁ。

 あれだけお前を身勝手に憎み、一方的な怒りをぶつけておきながら。

 命の危機に直面すりゃ、手のひらを返して助けをこう。

 随分と、自分勝手な男だと。……そう思うだろ? お前も」


 原田の人生。

 その顛末を語り終えた一ノ瀬いちのせはそう吐き捨て、持っていた書類の束から目を離す。


 一ノ瀬の語った内容。

 それは真実として受け入れがたいものだった。

 しかし、“真実”。……などと言い切るにはまだ早い。

 その書類に書かれていることが、全て偽りのない事実とは限らない。

 ましてや、この一ノ瀬という男が話の内容を都合よく改ざんしている可能性だってある。

 語られた内容のみを鵜呑みにし、信じ込むなど早計というもの。


 だが、しかし……。


「……この話を聞いて尚、お前は原田一喜という男に助ける価値があった、と?」


「……そんなこと」

 

 言葉に詰まる。

 次いで、言葉に詰まった自身を悔いる。

 “当たり前だ”と言えなかった自身を恥じる。


 しかしそれも仕方のないこと。

 真城にとって、原田という男はそれほどまでに大事な存在。

 これまでの人生において、唯一と言っていい心の許せる者。

 頼りがいがあり、真城の目標、憧れでもある人物。

 そしてなにより真城にとって、“親友”であったのだから。


「言っとくが全て事実だぜ。……ほれ」


 そういって書類の束を真城へと投げる一ノ瀬。

 それは緩やかな放物線を描き、ばさりと、真城腰掛けるベッドの上に着地する。

 その一枚。

 ちらりと視線を向けるも、その書類には上から下までびっしりと文字が埋められており、一ノ瀬の語った真実の他にも血液型やら家族構成等々、真城の知り得る情報も含め様々な内容が事細かに記されていた。


 それはもはや怒りを通り越し、呆れてしまう程に。

 

 原田は、真城のことを“親友”とは思ってくれていなかった。

 “親友”だと思っていたのは、真城だけ。

 

 ……いや、実際には一ノ瀬が語ったように、最初から最後まで全てというわけでは無い。

 一時は確かに、お互いが“親友”と呼べる状態にあったのだろう。


 しかし、しかしである。

 本当の意味で“親友”と呼べる期間があったとて、「なら良かった」「だったら問題ない」と割り切れてしまえる程、真城は大人でも聖人でもなかった。


 何より、原田との出会い。

 共に遊ぶようになった切っ掛け。

 原田が真城とつるんでいた理由。


 ――原田は真城を見下していた。

 ――内心で馬鹿にしていた。


 そのことが、真城を大きく凹ました。


 確かに他人の内心を知ることなど出来ない。

 友人や親友の抱いている感情が、必ずしも自身と一致、合致しているとは限らない。


 幼稚園、あるいは小学生低学年の頃。

 真城の周りには多くの“友人”がいた。

 真城が“馬鹿”でも、構わずに接してくる多くの“友人”が。


 でも、ある時知ってしまったのだ。

 その“友人”達は、真城自身を見ているわけでは無いのだと。

 その後ろ。真城の両親に興味があるのだと。


『真城家の息子さんとは仲良くしておきましょう』


『晴輝くんとは仲良くしなさい。きっと良いことがあるから』


 ある日の帰り道。

 そんな会話をしているクラスメイトの親たちの会話を聞いた。

 自分の子供にそう言い聞かせている親を見た。

 

 玉の輿、もしくは真城家のおこぼれが目当てなのだと。

 その意味を知ったのはもう少し大きくなってからだったが、その会話になんとなく嫌な感情を抱いたことは、今でも鮮明に思い出せる。


 だからこそ、……知っていたはずなのに。

 人間の裏の顔なんて、嫌というほど理解していたはずなのに。


 いつしか信じてしまっていた。

 原田なら大丈夫だと、何の根拠もなく。

 

 信じてしまっていたこと後悔し、それでも、あの高校の幸せなひと時は確かに存在し……。



(……そんなこと、知りたくなかった)


 力なく俯く。


「なんで、……なんでこんなことを」


 真城に伝えたのか。

 一ノ瀬も言ったように、これは『原田には助ける価値が無い』と真城に告げる為のものだったのだろう。

 しかし、本当にそれだけか?

 それだけの為に、そんなことの為に“影狩り”の権限を使ったのか?


 思えば一ノ瀬は“灰”、燕尾服えんびふくの男に対し何らかの感情を抱いているのは、もはや明確。

 『原田には助ける価値が無い』、というのも元を辿ればソレが原因である可能性は非常に高い。

 

 “灰”と交わした契約。

 真城が燕尾服の男と行った取引。

 それに一体どんな意味があるというのか。

 

 訪れた沈黙。

 一ノ瀬の言葉を待つ真城。

 ……しかし、一ノ瀬の答えは真城の考えから大きく外れるものだった。


「……あの影人の行動理由が気になったんだよ。

 影人の目的は、本体の人間の身体を乗っ取り、支配することだ。

 本来であれば、あの影人は原田一喜の肉体を乗っ取れた時点で目的を既に達成している。

 

 にも関わらず、お前の前に姿を現し、且つお前を襲った。

 ……それは何故なのか」


 何故。

 それは一ノ瀬、或いは“影狩り”からして見ても疑問と感じる部分だったのだろう。


 一ノ瀬が言うには原田の影人が取った行動は、稀なケースだという。

 影人の目的は先ほど述べられた様に、“本体を乗っ取り支配する”ことであり、今回の一件においてそれは既に達成されたものであった。

 この場合、次に影人のとる行動は“影世界かげせかい”と呼ばれる場所に籠り、更なる成長を待つというもののようだ。

 では何故、そういった行動に出なかったのか?

 “影世界”へと逃れてしまえば、それだけで“影狩り”に捕捉され攻撃を受けるリスクを減らすことが出来るというのに?


 原田の影人がとった行動は稀だ。

 しかしそれは、稀になら起こり得る事態ということでもある。

 そういった行動を起こす影人は、過去にも存在した。

 そしてそれらは例外なく、“誰かを殺すこと”を目的としていた。

 殺すターゲットは一人とは限らない。

 友人、親、学校の先生から仕事仲間と様々だ。


 今回のターゲットは真城晴輝。

 そういうことだったのだろう。


 ターゲットは様々だが共通項はある。

 それは影人に乗っ取られてしまった被害者達が知っている、出会っている人物であり、そして……、



 ――被害者達が殺したいほど憎んでいた存在だということ。



「……っ!?」


 真城の息が詰まる。

 心臓をギュウ と絞めつけられるような感覚が襲う。


 真城の信じたくなかった事実。

 それは、


『――憎い。憎い。憎い』


『――殺してやりたいほどに』


 原田のその感情が、真実であることを告げていたからだ。


「……っ、どうして!! そ、そもそもなんで原田は、……影人なんかに……」


 原田に訪れた影人化という不条理。

 それに対する怒りから声を荒げるものの次第に声は弱まり、か細くなっていく。

 確かに原田にも色々と問題はあったのだろう。

 しかし、それを差し引いても“影が自我を持つ”などというふざけた事態が起こらなければ、また違った道も確かにあったはずなのだ。


「ストレスだな」


 真城の考えを察したであろう一ノ瀬の放った言葉がそれだった。


「影が自我を持つ現象、影人化は人間が極度のストレスを溜め込むことで発現する。

 原田一喜は勉学に対するストレスに加え、『真城晴輝』に対する過剰なまでの憎悪を抱えていた。

 これだけ揃えば、遅かれ早かれ影人化は免れない」


(……無論、それ以外にも要因はあるが)


 「ハッキリした」と、一ノ瀬は納得する。

 つまるところ、この一件の要因は原田の抱いたストレスから始まったものだった。

 東京大学へと進学したことで、勉学についていけなくなった原田はストレスを溜めこんだ。

 そのストレスを発散する矛先として、『真城晴輝』へと怒りをぶつけた。

 それらの感情が募り、原田の影は自我を持った。


 更にいえば、影の状態が“フェイズ2”へと変化して以降は、“ドッペルゲンガー”という噂に悩まされることとなる。

 自身と瓜二つの存在、“ドッペルゲンガー”という噂もまた、原田へとストレスを加えた。

 それもまた、影人の成長に大きく貢献したことだろう。


 こうして、原田はストレスと負の感情を生み出し続けるだけの存在となった。


 最後、“フェイズ3”。

 肉体を乗っ取った影人が、原田の抱く強い憎しみに従い、真城を襲った。

 それが事の顛末なのだろう。



 すべてを知って、理解して。

 それでも、と……。

 真城の脳裏を過る原田との思い出。

 一ノ瀬の言う様に、原田は確かに“救う価値”が無かったのかもしれない。

 原田を悪と断罪する者もいるかもしれない。

 ざまあみろと、罵る奴もいるかもしれない。


 それでも。

 真城にとって原田とは掛け替えの無い親友である……あったことには変わりない。

 変えたく、……ない。

 『助けたかった』というこの気持ちも本物で、真城の頬を伝う、この涙、この感情も全て本物だ。

 だからこそ、


「……どうしても、原田を、……救えなかったの、かな」


 嗚咽を漏らすような声で一ノ瀬に問う。

 真城の唯一の心残り。失敗。


 ――『助けて、殺される』。


 原田が久しぶりに真城へと送ったメール。

 真城へと、確かに求めた原田からのSOS。

 あの時、すぐにでも真城が助けにいけたなら、こんな結末は無かったのではないか……、と。


 しかし、一ノ瀬はそれを否定する。


「行って、何が出来た?

 お前が持つその“力”は、今日、たまたま居合わせた“灰”から受け取ったものだろう?」


「……っ!!」


 正論だった。

 しかし、真城が言いたいのはそこではない。

 もしあの時、少しでも原田からストレスを取り除けたのなら、という話しだ。

 そうでなくとも、真城が近くにいることで、何かしら原田の助けになれたかもしれない。

 “ドッペルゲンガー”に対し、真城も一緒に策を練ることが出来たかもしれない。

 しかし、それすらも一ノ瀬は否定する。


「お前は見ているはずだ。あの影人が纏っていた“黒いモヤ”を。

 俺が割って入った時、確かにお前は黒いモヤに捕縛されていた」


 黒いモヤ。

 それは真城も覚えのあるものだ。

 原田のドッペルゲンガーが身体の周りに纏わせていたもの。

 燕尾服の男の話から鑑みれば、アレは確か“影”だったはずである。

 あのモヤは確かに危険なものだった。

 相手に向けて槍の様に射出できる他、ナイフ状に形を変化させる、纏わりついて相手を拘束するといった多種多様なことができるのだから。

 おまけに実体を持たない為か、こちらから触れることもかなわない。


 だがなぜ今になってその話が出てくる?


 真城の疑問。その解答を一ノ瀬は言う。


「アレもお前が持つ“力”や俺の持つ“テレパシー”といった特別な『能力』の一つ。

 “影を操る力”。それによって操られた影こそがあの黒いモヤの正体だ。

 あれは“フェイズ3”以降の影人なら誰もが会得している『能力』といっていい。


 影人にとっては影自体が人間でいうところの身体だ。

 “フェイズ1”では動かせなかった身体も“フェイズ2”の段階ともなれば自在に動かせるようになる。

 しかしその身体も“フェイズ3”となって肉体を手に入れてしまえば不要なものになる。

 人格のみを乗っ取った状態を保つだけでいいのだからな。


 なら今度、不要となって余った身体、影をどうするか?

 その答えが黒いモヤなんだよ。

 余った身体、影を肉体に纏わせ壁の役割を与えたり、攻撃する為の変幻自在な武器として使ったりとな。

 人間で例えるなら、生まれてから使い続けていた身体を捨て、脳みそだけの状態となり、別の身体を操作する。んで、ついでに今まで使っていた身体を武器や服に作り替え……って、なんか猟奇的だな。

 分かりやすく例えようにも良い例が浮かばん。

 まぁ、あれだ。ある瞬間を超えたら今までとは全く異なる肉体を操って生きてゆくことになる……ってことだ。

 そんな改革が起きるのが“フェイズ3”なんだよ。

 乗っ取った肉体の操作は、乗っ取り直後でも問題なく動かせるし、その時点までの記憶は影人も有しているから、成り代わるのは簡単だ。

 問題なのは自身の元肉体である影を、武器、黒いモヤとして扱える様にする為に必要な時間。

 最速で二日、長くとも四日かからぬうちに終了すると言われている点だ」


「……っ!?」


 驚く真城。一ノ瀬の言わんとしていることが理解できたからだ。


「お前が受けた原田一喜からのメール、その後の出来事なんかはお前から直接聞いていたが……、初めに受けた連絡は大学の夏休み期間に入る三日前だったそうだな。


 それに、次の日。

 連絡し直した時には、待ち合わせ場所の変更に文句一つ言わなかったようだし……。

 推察するに初めの連絡後、就寝している時にでも乗っ取られたんだろう。

 抵抗されることなく肉体を奪うならそれが最善だ。


 多分ではあるが、原田一喜が待ち合わせ時間に遅れた理由も、影の操作を会得するのに時間を割いていた為だろう。

 お前を原田側の駅に呼んだことも含めて、な。


 あの力を会得するだけで、人を殺すのが幾分か楽になる。

 お前を殺すのが前提なら尚更だ。


 ……つまりな?


 連絡を貰ってから動いた時点で、お前はもう間に合わない」



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