第11話『再会』



 原田はらだの病室は、真城ましろとは離れた場所にあった。

 元々、真城が使っていた病室等の建物自体が、影人関連による被害者の診察、犠牲者の解剖や処理などを担う特別な場所だそうだ。

 この病院が、秘密結社“影狩り”に協力するにあたって、国からの命を受けて増築した箇所である。

 表向きは患者の収容施設拡張であり、その通りに建物を一つ追加したわけだが、それとは別に作られたのがこの場所だ。

 この施設は主に地下に展開しており、一般人が目に留めることはない。

 また、医師達の中でも限られた者、関係者しか出入りせず、知られることもない。


 この場所は主に三つのエリアに分かれている。


 エリアA。

 影人の被害者に対して、適切な診察、処置をした後、精神の安定や肉体の回復がすむまで隔離しておく為の場所だ。

 これも厳密には“影耐性”の有無で病室を分けている。

 “選択”を迫る際に“影耐性”を持たぬ者が近くにいては不便だからだ。

 因みに真城が目覚めたのがこのエリア。


 エリアB。

 未だに目覚めることなく眠り続ける犠牲者達を寝かせておく場所。

 曰く、まだ“死”が確定していない。

 しかしいずれ“死”が確定する者達を隔離しているエリア。


 エリアC。

 死んだ者達を安置しておき、必要に応じて解剖、または処理する場所。

 処理といっても無論ここで土葬や火葬をするわけでは無く、死体を運び出し、火葬場へと送る為の出入り口がある、というだけ。

 患者の死亡報告を“影狩り”へと送り、国の許可を経て秘密裏に火葬場へ送る。

 それだけだ。


 しんと静まりかえった薄暗い廊下に、真城と一ノ瀬の足音のみがコツコツと響く。

 誰一人ともすれ違わない。

 誰の話声も聞こえない。


 関係者のみが扱う場所だからだろうか。

 薄暗い廊下を照らす照明は点滅し、時折、ペッカンペッカンと耳障りな音を響かせる。

 そういった整備に業者を呼ぶこともできないので、色々と後回しとなった結果なのだろう。

 関係者である医師達は、本来での仕事に加え、こういった秘密裏な案件も請け負っているのだから仕方がないと言えばそれまでだ。

 脳裏に“ブラック”という言葉がチラつくが、だからといって何か行動を起こす意思は真城にない。

 なんでも普通の医師とは違い、文字通りにケタの違う給料を得ているらしいので、人によってはアリなのだろう。


 真城のいた病室の整備は行き届いていた。

 それは真城のいたエリアAが、“影人に襲われた程度”のような比較的に軽症な人達が通される、三つのエリア内で最も使用率の高い場所だったからだ。


 しかしそのエリアから出ると次第に景色が変わりだした。

 つまりそれは、真城のいた場所よりも使用頻度が下がった場所、ということになる。


 何故原田がそういった場所にいるのか?

 思い至る節があるとすれば真城のような、影人から攻撃を受けたという意味での被害者ではなく、自身の影に襲われた挙句に身体を乗っ取られたという意味での被害者であるという点だろう。


 設備の行き届いていない廊下。

 それは病院、薄暗い廊下、その他様々な要因が相まって、どこか廃病院のような雰囲気を真城に感じさせた。

 もしこれがホラー映画のワンシーンであったなら、突如現れる血だらけのナースにでも遭遇して追い掛け回される……、なんていったシチュエーション、イベントが起こるのだろう。



 真城が病室を出てから随分と時間が経過した。

 未だに一ノ瀬いちのせは歩くペースを崩さない。

 後どれほど歩けば原田の下へとたどり着くのだろう。

 そんな考えが脳裏に浮かび始めた頃、視線の先にポツリと明かりのついた部屋が目に留まる。


「ついたぞ、あそこだ」


 一ノ瀬がそう告げると、その存在に気付いたのか、病室から一人の医師が姿を見せた。

 医師は一ノ瀬と、その後ろを歩く真城を確認し頭を下げる。

 初めに切り出した「では、彼がご友人の?」、といった医師の話題から始まった一ノ瀬との会話。

 その内容は、「起きた原田に友人である真城が会いたがっていたので連れてきた」等の経緯を語るものであったが、次第に「何故原田一喜かずきくんをエリアBに置いたのか?」「九条くじょうさんが疑問符を浮かべていたぞ」と、いった医師の文句など、真城には理解できない話題へと様々に切り替わる。

 それらに、軽く耳を傾けていた真城だったが、徐々に不穏な単語が聞こえ始める。


「それで、今はもう大丈夫なんだな?」


「えぇ、今はもう落ち着いています」


 それは真城にとって気が気でない内容。

 ……一体何の話をしている?

 もう大丈夫? 

 落ち着いている?


 原田に何があったというのか。

 原田は本当に無事なのか。

 不安。焦り。胸騒ぎ。

 今まで堪えていた感情が、扉一枚挟んだその先に原田がいるという状況が、真城の焦燥感を駆り立てた。


 自身が気付く頃には、既に身体は動いていた。

 驚いた医師の制止を振り切って大きく扉を開け放つと、真城は親友の名を呼んだ。


「原田!!」


 まるで数年越しにでも会ったような、熱の入った声。

 しかし、真城の声とは裏腹に、原田から帰ってきた言葉は驚くほどよそよそしく、平坦な声だった。





「……えっと、どちら様でしょうか?」



~   ~   ~   ~   ~   



 後遺症、というものがある。

 病気やケガといった症状が回復した後も残り続ける機能障害。


 影が人格を持つという、影人化かげびとか

 その“症状”から助かった被害者の中で、稀にそういった後遺症が現れる者がいる。

 原因は不明。

 そもそも後遺症という括りにしていいのかさえ、判断に困るというのが正直なところ。

 とは言えそんな被害者が、原因の分からい身体の不調を訴えるケースが稀にあるのだ。

 症状としては、腕や足が動かなくなる、視力が落ちる、或いは記憶が飛ぶといったように様々な形で現れる。


 影人化から救われた被害者は、“影狩り”から『“影無し”』と、言われることがある。

 これは、影人から解放された被害者の総称であり、


 ――“影人が斃されればただの影へと戻る。しかしその影はどこか一部形が欠けている”


 という現象から、……普通の影では無い、“影無し”。 

 と、言われるようになったのが由来だ。


 “影狩り”に所属する医師、或いは研究者らの中にはそんな“影無し”の状態と原因不明の後遺症を結び付け、『この二つには因果関係があるのではないか?』と、いったように考える者もいる。


 それは……。

 いわゆるオカルトの話になるのだが、“影”というものには色々な意味合いが込められて、語られる事がある、という点から始まる。

 それは良い意味であったり、悪い意味であったりと多種多様。

 その中には、“原像と影像”あるいは“人間の魂とそれを補完する影の魂”といった意味合いを持たせたものが存在する。

 この二つに共通しているのは『本体を補完する存在として影がある』という点だろうか。


 本体とそれを補完する為の影。


 そんな影が“欠けている”ということは……?

 影の欠如によって不安定な本体を補えなくなった状態。


 それこそがこの“後遺症”の正体なのではないか? といった考え方である。


 確かに、言われてみれば納得がいくかもしれない。

 ただ難しい言葉を引用してきて、それっぽく聞こえるだけかもしれない。


 考察するのも面白いが、少なくともこの考えには穴がある。

 まず指摘するなら、その不調・後遺症は“稀”にしか起こらない点。

 影が欠ける現象は、影人化をした被害者達なら誰しもが起こすものなのだから“そう”というだけの決定打にかける。

 なにより一番のツッコミ所は真城のような存在だ。

 真城は現在、“影が欠ける”といった騒ぎではない。

 “自身の肉体、全ての影が無い”のだ。


 まぁ、推測に推測を重ねていったとて、結論が出るわけでもない。

 頭の片隅に、くらいが丁度いいのだろう。



 だいぶ話が逸れてしまったが、要は原田がその“稀”にあったのだ。

 それにより、原田は今までの記憶を全て無くした。


 という事である。



~   ~   ~   ~   ~   



 真城は自身の病室へと戻ってきていた。

 その理由を挙げるのなら……。


 原田が記憶喪失になった事。

 それにより、頭が真っ白になった事。

 医師からも、『一度一人で気持ちの整理をつけた方が良い』と言われた事などなどだ。


 一人、静かにベッドに腰掛け、物思いに耽る。


 どうして原田の話に耳を傾ける事が出来なかったのだろう。

 どうしてもっと親身になってやれなかったのだろう、という自責の念。


 なんで原田がこんな目に、という憤り。


 自分は最善を尽くしたはずだ。

 運に見放されただけ。

 仕方がない、という弁解。


 様々な感情が真城の中で渦を巻く。

 どうにかなってしまいそうな程のマイナスの感情が真城を深く深く沈めてゆく。


「医師から連絡が来た時には驚いたよ。

 その“力”とやらはマジらしい」


 そんな真城に声をかけたのは一ノ瀬だった。

 体を動かすことなく、視線のみを一ノ瀬へ向ける真城。

 ずっと一人っきりだと思っていた為、いきなり声がかかり驚いたのは内緒の話。

 一ノ瀬に病室まで再度案内されて以降、真城は心ここにあらずといった状態にあった。

 それ故に失念していたが、一ノ瀬もそれからずっと同じ病室にいたのだろう。

 

 一ノ瀬の言う“力”とは、真城が燕尾服えんびふくの男から貰った“力”のことだろう。

 そのことについては、既に一ノ瀬に説明済み。

 とはいえ話を聞くに、実際にその効力を見るまでは一ノ瀬も半信半疑だったのだろう。

 一応“力”を発動させ、淡く光る右手を見せたわけだが……不十分だったらしい。


「俺が初めて奴と対峙した時、あいつは確かに“フェイズ3”以上だった」


 さらに言葉を続ける一ノ瀬。

 そういえば原田の影を斃した時も、そんなことを言っていた気がする。

 一人で考え、自分を責める事にも疲れてきた真城はその内容に耳を傾ける。

 単純に言えば好奇心。

 一ノ瀬が、今のタイミングになって語る内容、というのが少し気になったからだ。


 一ノ瀬の話。

 聞くところによると、“影狩り”では影人の成長、強さの段階をいくつかの“フェイズ”にわけて区別しているようだった。


 まだ影が自我を持った段階であり、“自我を持つ”という以外に何もない状態から、影が本体の人間の動きとは別に動き始める段階を“フェイズ1”。


 本体から離れ、自由に動きまわる段階。

 まるで人間のシルエットの様な姿の影人から本物と瓜二つな、……いわゆる“ドッペルゲンガー”が可能な状態の影人に変化する期間を“フェイズ2”。


 本体の人間を取り込んで、自我と肉体を乗っ取った段階を“フェイズ3”。


 そこから更に成長した存在を“フェイズ4”といった具合だ。


 余談だが、“フェイズ4”にはそれぞれ識別名コードネームが与えられる。

 真城を連れ去ろうとした男、“黒鉄くろがね”がまさにそれ。

 説明を受けた今だから言えるが、もしかするとあの時の真城の状況は一ノ瀬がいなければ、かなりヤバい状況だったのだろう。


 そして、そんな影人の“フェイズ”には、ある境界線が存在する。

 燕尾服の男も同様の事を言っていた。


 ――影に取り込まれた人格は、影が殺されると一緒に消滅する。


 というものである。

 影に取り込まれる……、つまりは“フェイズ3”以降を指す。


 “フェイズ1”、“フェイズ2”の期間内であれば、自我を持った影、影人を討伐するだけで済む。

 それでも稀に起こる後遺症、リスクは孕むものの命に別状もなく、普段通りの生活へと戻ることができる。

 問題となるのが件の“フェイズ3”以降。

 影人を斃したとしても本体の人間、つまりは被害者が意識を取り戻すことは無い。

 そのまま植物状態となり、適切に処置を施しても原因不明のまま衰弱して死に至る。


 理由は、原因不明の“後遺症”。その度合いの問題だ。

 稀に起こる後遺症、それが“フェイズ3”以降では確実に起こる。

 それも、腕や足が動かなくなる、視力が落ちる、或いは記憶が飛ぶといった生半可なものではない。

 二度と目覚めることのない眠り。……植物状態になるものだ。

 一ノ瀬曰く、“フェイズ3”以上の影人へ成長してしまった犠牲者達は一人の例外もなく、目を覚ますことが無かったそうだ。

 燕尾服の男も、『今の人類には無理だ』という話をしていたので、間違いは無いのだろう。


 真城と原田の病室が離れていた理由。

 それは一ノ瀬の目撃時、原田が“フェイズ3”であったことに由来する。

 植物状態のまま、死ぬまで眠り続ける犠牲者達を安置しておく為のエリア。

 エリアB。

 それこそが原田の収容された場所なのだ。



「……にも関わらず、原田一喜は目を覚ました。

 考えられる要因。それは俺が二度目に駆け付けた時、……斃した時には、奴が“フェイズ2”に戻っていた事だろう。

 最初は見間違いか、何らかの『能力』を疑ったが、お前のその“力”が影人の“フェイズ”を巻き戻したとするなら合点がいく。

 お前が、『“フェイズ3”以降の、影人に取り込まれた人間の救済』を“灰”に願ったのなら尚更な……」


 そう。そうだ。

 原田を助ける事。救えないと言われた人間、原田を救う“力”。

 それこそが真城の望んだものだ。



「お前は後悔をしていないのか?


 “灰”と契約を交わしたことに」


「……どういうことだ?」


 一ノ瀬の問。真城はそれに問い返す。


「お前が影を失ってまで、この男、原田一喜を救うだけの価値があったのか……?

 ってことだよ」


 一ノ瀬の放つ言葉。

 それを聞いた真城から「……なんだと?」と、怒気の孕んだ声が漏れる。

 救うだけの価値? あるに決まっている。

 そもそも、価値のあるなしで判断するような事ではない。

 原田は掛け替えのない、唯一無二の親友だ。


(原田のことを何も知らないくせに、偉そうなことを言うんじゃねぇよ……!!)


 沸々と湧き上がる怒り。

 確かに原田は記憶喪失となった。

 本当の意味で、真城は原田を救えなかったのかもしれない。

 それでも、それでもだ。

 原田は生きている。

 “本来死ぬはずだった原田”を真城は確かに救えている。

 そもそもこの一ノ瀬が、真城と原田の関係に、真城のその行いに、口出しする権利なんてない。

 余計なお世話だ。



「原田一喜。19歳。10月27日生まれ。現在は東京大学に在籍」


「……!?」


 突如放たれた言葉に、真城の思考が止まる。

 この男、一ノ瀬は今何と言った?

 原田が東京大学……、だって?

 それが本当だとして、何故、一ノ瀬は真城も知らない原田の情報を知っている?


 見ればいつ取り出したのか、一ノ瀬の手には十数枚の書類の束が握られていた。


「なんだよ……その紙」


 当然の疑問だった。


「原田一喜という男が辿ったこれまで経歴、その全て。

 国の許可さえ下りれば、“影狩り”はあらゆるデータバンクへのアクセス、収集が出来る。

 これはその賜物だ」


「……そんな事までして原田を調べ上げたってのか? “影狩り”が」


「いや、これは俺の私情だ」


「なんでそんな事を……」


 私情で調べたという原田の情報。

 そういったことが出来てしまえる“影狩り”の権限も恐ろしいが、それを私的な理由で扱う一ノ瀬には怒りしか覚えない。

 権限があったとしても、そういった情報を原田本人の同意なく調べあげ、且つ許可なく開示しようとする男。

 その行為に一切悪びれることのない態度。

 それは、普通の倫理観、道徳意識を持った真城には到底理解し難いものだった。


(そんなもの、今すぐ破り捨て……)


 不快感を露にする真城。

 それを見て取った一ノ瀬は制止の言葉をかける。


「まぁ聞けよ」


 そう言うと一ノ瀬は、十数枚からなる書類から必要な情報を掻い摘んで語り始める。

 原田一喜という男の、人生の一部を。



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