第10話『二つの選択肢』



 秘密結社ひみつけっしゃ


 ヒーロー。


 どうやら今日は、とことん驚く日のようだ。

 日本にそんなものがあったとは……驚きである。

 勿論、何でもかんでも鵜呑みにするほど単純ではないつもりだ。

 しかし目の前の女性、九条くじょうの真剣な表情はそれが真実だと訴える。


 遅れて「……実際、そう綺麗事ばかりではないのですが」と、九条が呟き、表情が少し曇るものの、真城ましろとしてはそれどころではない。


「驚きましたか?」


「えぇ、まぁ。

 なんて言っていいのか分からなくなるくらいには……」


「ですよね」


 心情を察する九条は少し微笑む。

 彼女としても簡単に信じて貰えるとは考えていないのだろう。

 当たり前だ。

 真城自身、今日起こった様々な出来事を経ていなければ、バカバカしいの一言で片づけているところだ。


「でも、そんなことまで俺に話していいんですか?

 ……質問したのが俺なんでアレですが」


 次いで沸く疑問。


 秘密結社。

 確かに存在するのだろう。

 しかし、そんなことを簡単に打ち明けて良いものか?

 確かに真城は今回の事件の被害者だ。

 なんの真実も知ることなくお払い箱というのも考えにくい。

 とはいえ、簡単に話して良いような事でもないように思う。

 

 つまりは、真城自身にそれを伝えるメリットがあるのか、あるいは……、


「えぇ、説明は追々いたしますが……、

 その結果によっては後に特殊な腕輪、或いは指輪を付けていただきます。

 『口外などした場合の命の保証が出来ません』と、言いましたね。


 我々は秘密結社ですが、もちろん国の許可を得て活動しています。

 その腕輪、指輪は国の許可の下、あなたを監視する為の物です。


 もしも、口外、或いは第三者に対し許可なくこれらの内容を打ち明けた場合……、国があなたを裁くことになります。

 もちろん、秘密の隠匿が第一ですので、処罰は速やかに行われます。

 事故死に見せかけた暗殺が主ですね」


(こえぇよ……。

 完全な脅しじゃねぇかっ!!)


 秘密を簡単に打ち明けられた理由。

 おかしいとは思ったが、どうやらこれが理由らしい。


 彼女達、秘密結社には、口封じの為の備えがあるわけだ。

 これだけの脅し文句があれば、まず大抵の人間は屈してしまう。

 真城だって例外ではない。


「それでですね、ここからが本題なのですが……。

 真城さんのような人たちには、今後の生活にあたって、ある“選択”をして貰っています。

 自身の今後に関わる重要な案件ですので、“選択”は慎重に」


 ふぅ。と息を吐くと、タイミングを見計らう様に真城を見つめる九条。

 次いでカバンから何か小箱を取り出すと、一拍子置いて本題を切り出す。


「真城さん。

 あなたには、今後の生活にあたり、二つの道が用意されています。

 一つは、今後“影狩り”に所属し、我々と共に活動していく道。

 もう一つは、この薬を服用して頂き、先ほど申し上げた特殊なアクセサリーを着用した上で、国の監視の下、元の生活へと戻る道です」


 九条が木箱を開け、カプセル状の薬が収められている事を真城に確認させる。


「……この薬は?」


「はい。こちらは真城さんが発現してしまった、ある“力”を抑制する為の薬です」


 真城に発現した、ある“力”。

 それは一体何なのか。

 

 真城によぎる疑念。

 もしかすると、それは燕尾服の男から貰った“力”ではなかろうか……、と。

 しかし、一ノ瀬いちのせという男はこうも言っていた気がする。


 ――この“力”と燕尾服の男のことは仲間には伏せる、と。


 ならば九条の言う“力”とは、何を指しているのだろう。


「ある“力”っていうのは……?」


 当然の疑問を口にする真城。

 先ほどから質問しかしていない気もするが、今回の件、真城には分からない事だらけなのだから仕方がない。

 九条もそれを弁えているからこそ、質問にはしっかり答えてくれる。

 後に真城の口を封じる手段があるのだから、九条からしても問題ないのだろう。

 ならばこの状況、真城としては全力であやかりたい所である。


「我々が、“影耐性かげたいせい”と呼んでいる“力”の事です。

 これは影人から、何らかの干渉を受けることで発現する恐れのある能力。

 この能力がどのようなものか簡単に言いますと、“影の変化に気づくことができる力”です」



 ――“影の変化に気づくことができる力”


 そういえば燕尾服えんびふくの男も言っていた。

 この“力”のおかげで真城は、原田はらだに影が無いと気づくことが出来た。

 そのきっかけが、原田から受けた黒いモヤであったらしい事も。


「影が自我を持つ現象。

 しかし、常人にその変化を観測することはできません。

 それを観測し得る“力”こそが“影耐性”です。


 例えば、自我を得た影は本体とは別の動きをしたり、本体から離れて行動することがあるのですが、“影耐性”を持つ者であれば、その動きを観測し、影の変化に気づくことが出来ます。

 しかしながら“影耐性”を持たぬ者からすれば、影が動いていようが無くなっていようが、ただ、いつも通り、そこに影があるようにしか見えません。


 ……不思議ですよね。

 写真や動画なんかであっても“それ”は同様なんです」



 “影耐性”


 “力を抑制する薬”


 なるほど。と、真城は理解する。

 つまりは、アクセサリーでの監視によって影人とそれにまつわる知識の公開を制限。

 アクセサリーでは出来ない“力”の抑制を薬で行う。

 それが、真城が元の生活へと帰るための条件というわけだ。


 今後、影人を相手にするのであれば必要不可欠な“力”。

 しかし普通の日常生活を過ごすには、この“力”は不要の代物。

 むしろ邪魔にさえなることだろう。


「現在、“影耐性”が発現する詳しいメカニズムなどは分かっていません。

 しかし“力”の発現には個人差が存在し、少しの干渉で簡単に発現する者から、どれだけ干渉を受けても発現することのない者まで様々、という点は判明しています。


 因みに、原田さんは“力”の発現をしていない可能性が高いですね。

 勿論、原田さんが目覚めた後に詳しく調べる必要もありますが……、“影耐性”を会得した我々は見ただけでも大体の判断ができます。

 原田さんは十中八九、白です」



 原田は“力”の発現をしていない。

 それを聞いて真城は胸を撫で下ろす。


 良かった。


 例えそれが真城のエゴであったとしても、親友である原田をこれ以上変なことに巻きこみたくはない。

 原田は真城とは違う。

 勉強が出来てスポーツも万能。

 原田だってやりたい事、叶えたい夢があるはずだ。

 昔、原田は真城の夢を笑わなかった。

 それどころか応援さえしてくれた。

 そんな奴の未来をこんなことで閉ざしたくはない。


 今ならまだ間に合う、ちょっと奇妙な、そう、不思議な体験をしただけだ。

 今は無理でも、いつかこの体験を、笑い話として語れる時が来るはずだ。


 そう……、原田はこのまま日常へと帰ることが出来る。

 そのはずである。


 彼女は言った。

 真城に『ある“選択”をしてほしい』、と。

 その“選択”は、“影狩り”の仲間として活動していく道。

 或いは、すべてを忘れたことにして日常へと帰る道。


 真城にそんな“選択”をせまる理由。

 それは……、真城に“影耐性”が発現したからに他ならない。

 

 “影耐性”の有無。

 それこそが“影狩り”へと勧誘する条件となっているのだろう。

 先程も脳裏をよぎったが、影人との戦闘には必須である。

 

 “影狩り”という組織が秘匿されている以上、大っぴらな勧誘活動は出来ない。

 ましてや、それが影人などという得体の知れない者達との戦闘であれば尚更だ。


 ならばどうするか?

 影人の被害者、或いはそれに巻き込まれた者達であれば、大なり小なり影人を良くは思わない者が多いだろう。

 しかも影人と接点を持ち、何らかの干渉を受けた者ならば“影耐性”が発現する可能性も大いにある。


 そんな、影人への不信をいだき、且つ“影耐性”に目覚めた者達こそが“影狩り”の狙い目なのだろう。



 真城の推測。

 これが事実だとするならば、“影耐性”が発現していない原田は対象外だ。

 この“選択”を原田が迫られることは……、無い。



「どうしますか?」


 九条が真城へと問いかける。

 問いの内容は勿論、例の“選択”だ。


「私としましても、真城さんの今後に関わる大事なことですので、じっくりと考えて頂きたい所なんですが……。

 如何せん、そう長く待つことも出来ません。

 信用していないわけでは無いのですが、今後、真城さんが我々の目を盗み逃亡する可能性もありますし、猶予が長ければそれだけ一般人に情報が洩れる危険度が上がります。


 ここ、“東京医療国立病院”は我々“影狩り”の息がかかった数少ない施設ですが、それはあくまでも上層部の者や限られた者達だけであって、大半は何も知らない一般人です。

 なので、いつまでも真城さんを収容しておくわけにもいきませんし、まだグレーゾーンな真城さんを開放する事も出来ません」


 九条蘭は、真城の瞳を真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと、しかし確実に言葉を告げていく。

 

 冷たい人間だと、冷酷だと感じる者もいるかもしれない。

 それは九条蘭も理解している。

 理解して、尚、そうしているのだろう。


 “影狩り”として戦っていく道。

 影人との戦いがどれほどのものか、命を賭して戦い続けた者達の末路を彼女は知っている。


 平穏な日常へと帰る道。

 影人という存在を知ったにも関わらず、それらから自身を守る術を失うということ。

 全てを忘れたことにして暮らす日常。

 それは間違いなく平和なことだ。

 だが、影人によって脅かされる非日常と再び相対した時、心を保つことが出来るだろうか。

 薬によって“影耐性”を封じられ、目の前に迫っているはずの危険を目視出来ない恐怖。

 “それ”を知っていても、周りの人間に注意喚起さえ出来ない罪悪感。

 そんな者達の……、後に国の手により始末される末路を、彼女は知っている。


 この“選択”が意味する事を理解しているからこそ、九条蘭は真剣に真城へ問うている。



「……え、えっと」


 言葉に詰まる真城。

 無論、真城はこの“選択”について、本当の意味で理解出来ていない。

 突如提示された“選択”に対し、真城なりに考えていた程度だ。

 だからこそ真城は、言い知れぬ九条蘭の真剣さに呑まれてしまった。



 数分経って、尚も答えを出さない真城を察して、「……ふぅ」と息を吐く九条蘭。

 その瞬間、真城は張り詰めた緊張の糸が解れて行くのを感じた。


「まぁ、私の時も限られた時間で“選択”を迫られて、かなり焦った記憶がありますから……。仕方ないですね」


 先程までの真剣さは消え、砕けた表情になる九条蘭。

 それは、どこか昔の自分を思い出して重ねているような、そんな自身を見て少し呆れているような、優しい表情だった。

 少し間を置き、腕時計を確認した九条蘭は、「やれやれ」といったわざとらしい仕草をする。


「とりあえず今日はもう遅いですから一晩ここに泊まって頂き、また明日、そうですね……。お昼頃に伺いますので、その際に答えを頂ければ幸いです。

 すみませんが、これ以上は待てません。

 こちらにも色々ありますので」


「……は、はぁ」


 突然の事態に相槌を打つことしかできない真城。

 どうやら九条蘭は少しばかしの猶予をくれるようだ。

 もしかすると、彼女の独断かもしれない。


「あぁ、それと、今回の一件についての質問もその時に伺うことにします。

 今日はゆっくり身体を休めてください」


 そう言って一礼すると、次に一ノ瀬へと視線を移す。


「私は一度本部へ戻ります。

 今回の件も出来るだけ早く報告しておきたいので……、簡易なものですが一ノ瀬さんの情報を基に大まかなレポートくらいは作ってしまいます。

 まさかとは思いますが、万が一の事態になった場合の対処はお願いしますね」


 そう言うと一ノ瀬の返事を待つ間も無く、荷物をまとめ、早々に部屋を後にする九条。

 彼女なりの気遣いなのだろう。


 部屋に訪れる静寂。

 病室には真城と一ノ瀬の二人だけが残る。


「……」


「……」


「やれやれ、あぁいう奴だからなぁ……あいつ」


 沈黙を嫌ったのか、はたまた居心地が悪かったのか、一ノ瀬が口を開く。

 内容は先ほど九条の下した判断についてだろう。


「まぁ、これでお前が『元の生活に戻りたい』と言うだけで、お前は今まで通りの生活に戻ることが出来るわけだ」


 次いで一ノ瀬は例の“選択”についても語る。

 確かにこれで、一ノ瀬の言う通り、真城は今までの日常へ帰ることが出来るのだ。

 一ノ瀬が“色々”と真城の件について秘匿したおかげだろう。


 察するに原田と真城の二人が、影人となった自身の影に襲われている所を助けられたとか、そんな感じだろうか。

 しかし、灰色の燕尾服を着た男の件。

 真城の影と引き換えに不思議な“力”をくれた存在。

 そんな人物について一ノ瀬が九条、ないしは“影狩り”に対し秘匿する意味とは何なのだろうか。

 明らかに、その存在について“影狩り”に打ち明けた方が良いのではなかろうか?

 もしかすると“影狩り”も一枚岩ではないのかもしれない。


 “黒鉄くろがね”と呼ばれていた男、彼の言っていた“灰”という存在。

 それがもし、燕尾服の男のことを指していたのだとすると、影人も燕尾服の男を探していることになる。

 一ノ瀬もまた、そんな“灰”を探してやって来ていたとするならば、燕尾服の男は“影狩り”や影人とは別の勢力という事になる?

 しかし、だとするなら、やはり“影狩り”に情報を開示しない一ノ瀬の行動は引っかかる。

 “影狩り”に伝えず、一ノ瀬自身が“灰”と接触したい、或いは“影狩り”に“灰”を捕捉されたくない事情がある?

 まぁ、ここら辺の話は一ノ瀬自身に聞いてみない事には分かるまい。

 教えてくれるわけも無かろうが。


「……どうした、嬉しくないのか?」


 いつまでも無言のまま、考えに耽る真城を訝しんだのだろう。

 一ノ瀬の声がかかる。


「まさか、“影狩り”に入ろうなんて考えてるんじゃねぇだろうな」


 少し怒気をはらんだ声。

 一ノ瀬の言葉。

 その真意を真城は理解することが出来ない。

 しかし、言葉の意味をそのまま受け取るのならば、「お前は“影狩り”に入るんじゃねぇよ」という事になる。

 そういえば、一ノ瀬は元から真城が“影狩り”へと加入することを嫌がっているふしがある。

 燕尾服の男の件、原田や真城の真実を九条に伏せている点だ。

 もしも燕尾服の男、“灰”と真城が接触している事実を知られれば、事件に巻き込まれただけの被害者とはゆくまい……。


 一ノ瀬としても“灰”の情報を“影狩り”に知られたくないのなら、今回の一件に“灰”の介入があったと“影狩り”に感づかれる可能性を秘めている真城は、危険分子以外の何者でもない。

 “影狩り”に入れたくないというのも分かる。

 しかし、それだけだろうか?

 本当にそれが理由なのだろうか?



 再び訪れる沈黙、静寂。


 そんな二人の耳に携帯のバイブ音が届く。

 「チッ」と舌打ちをした一ノ瀬は自身のロングコートを弄ると、携帯を取り出し耳に当てる。


「何だ?」


『原田一喜様が目を覚ましました』


「そうか……、わかった」


 通話の相手は原田を担当した医師からのものだった。

 “影狩り”を認知している、この病院での協力者。


 最小限の会話を済ませ、通話を切ろうとする一ノ瀬。

 しかしそこに制止の声がかかる。

 真城晴輝だ。


 無音の病室。

 一ノ瀬と通話相手以外の雑音の無い状況が幸いした結果だった。

 携帯からのくぐもった声で、ハッキリとした内容までは分からなかったが、ただ一言『原田』という言葉だけは、真城にも聞き取ることが出来ていた。


「原田が起きたのか? ……合わせてくれ、お願いだ!!」


 ベッドから落ちる程の勢いで布団から跳ね起きた真城は、一ノ瀬の持つ携帯に向かって大声で話しかける。

 鬱陶しそうに顔をしかめた一ノ瀬は距離をとるように数歩後ろへ下がると、


「んで、原田の容態は?」


 真城を無視して医師へと問いかける。

 次いで病室の扉の前へ移動すると、真城へ向け「そこで少し待っていろ」と一言告げて部屋を出ていく。

 無論、待ってなどいられない真城は一ノ瀬を追おうとするも、激痛が走り、思う様に体を動かせない。

 それでも諦める訳にはいかない。

 原田は生きている。

 命に別状は無い。

 九条蘭は確かにそう言っていた。


 しかし、自分の目で見て確かめない限り、信用できないのが人間というもの。

 何よりも、燕尾服の男が言っていた言葉が、真城の不安を駆り立てていた。


 先程、九条から聞いた時は不安よりも安堵が強かった。

 しかし、時間が経てば心境も変わってくる。

 一ノ瀬の行動も原因の一つだ。

 もしも原田が無事であったなら、わざわざ病室を出ることも無いのだから。

 ふらつく足取りで何とか扉の前へと移動した真城は、取っ手を掴む。


 ここは病院。

 時間も既に9時半だ。

 消灯時間を超えているだろうから、あまり物音を立てるのもよろしくない。

 

 そんな些細な常識を置き去りにして勢いよく扉を開いた真城の意識は、扉の前で立っていた一ノ瀬の放った右ストレートによって一瞬で刈り取られた。


「病室では静かにしろ。他の人間が迷惑するだろうが」



~   ~   ~   ~   ~   



「……オラッ!!」


 男の声。

 それに続く、身体への衝撃が真城の意識を覚醒させる。


 ズキズキと痛む顔をさすり、目を覚ました真城は、目だけを動かし辺りを確認する。

 歪み、グラつく視界。


 気か付けば、真城は病室の床で倒れていた。

 いったいどれほどの時間、真城は気絶していたのだろう。

 意識が鮮明になるにつれ、それまでの記憶もハッキリとしてくる。

 心なしか後頭部も痛い。

 倒れた拍子に後頭部を打ったのかもしれない。

 

 病室を飛び出した真城が見た最後の光景。

 それは自身の顔へと目掛け、迫りくる右拳だった。


 文句の一つでも言ってやろうと一ノ瀬を睨みつけるが、そこで真城は腹部の不自然な痛みに気付く。

 頭部の痛みは理解できる。

 それが真城の気絶した理由だからだ。

 では腹部は?

 真城が覚醒出来た事を踏まえると、この男。

 寝ている真城を起こす為、殴るなり蹴るなりしたのだろう。……真城の腹を。



「まさか気絶するとは思わなくてな。

 そのまま朝まで眠りこけてくれても良かったんだが、アイツがいない現状は都合がいい」


 一ノ瀬が脳裏に浮かべるアイツ、九条蘭。

 “影狩り”の仲間がいない今、一ノ瀬にはやっておきたいことがあった。

 運よく今しがた、原田一喜も目を覚ましたところだ。

 真城が気絶するというハプニングもあったが、それも数分間の出来事。

 まだ時間は残っている。

 絶好の機会だ。


「いつまで横になってるつもりだ。早く行くぞ」

 

 一ノ瀬は一言告げると、そのままスタスタと歩き出す。


「おい、待てって! 何処に」


「会いたいんだろ、原田に」


「……!?」


 それで真城は理解する。

 それだけで十分だった。

 文句を言うタイミングを逃し、或いは言おうとしていた事さえ忘れ、真城は一ノ瀬の後に続く。


 目を覚ました原田には、現状が呑み込めていないだろう。

 真城でさえ、気が付けば病室のベッドという状況を理解するまで時間を要した。

 しかし、それはまだ良い方で、原田は少し違ってくる。

 いつ影に襲われ、身体を乗っ取られたのかは不明だが、影に襲われて以降の意識は無く、次に目を覚ましたのが病室というのは、原田とて理解し難い事だろう。


 原田から例の連絡があったのが三日前。

 待ち合わせ場所を決めたのが、その次の日であることを踏まえると、最悪の場合、最低でも一日以上の記憶が無いことになる。

 しかも原田からしてみれば、今日は真城と会う約束をしていた日でもある。

 意識が無く、記憶もない。

 剰え真城との約束をすっぽかし、気が付けば病室のベッドの上。


 携帯を確認していれば、真城からの着信が何件か入っている事にも気づくだろう。

 実際、待ち合わせ時間になっても現れない原田に対して真城が送ったものなのだが、今し方目を覚ました原田からしてみれば、“自分から呼び出しておいて、約束をすっぽかした挙句、真城からの連絡にも応答しない原田”、という図式が成り立つ。

 もしそれが真城の立場であったなら、と考えると卒倒ものだ。

 一刻も早く原田と会い、事情を説明して安心させてやる必要があるだろう。


 しかし、どうしたものか。

 今に至るまでの経緯を説明しようにも、影人の件を踏まえずにどこまで納得のいく説明が出来るだろう。

 原田は“影耐性”が覚醒していないとはいえ、非常にグレーな状態にあるはずだ。

 この説明で影人の事を知ってしまったが故に例の“選択”を迫られる、……なんて事態になれば目も当てられない。



 ……いや。

 そんなことは会ってから考えればいい。

 まずは原田の無事を確認しよう。

 大丈夫だと分かっていても、知っていても不安は拭えない。


 影人、燕尾服の男、“影狩り”、秘密結社。

 今日だけで、色々なことがあったのだ。

 心配しすぎるぐらいが丁度いい。



 ……いやいや、それよりも。

 まずは原田に謝ろう。

 タイミングや状況が重なっていたとはいえ、“ドッペルゲンガー”という単語に嫌悪感を抱いていたが故に、原田からの助けに応じることが出来なかった。

 あの時確かに、原田は助けを求めていたというのに。

 原田なら、大学にだって友人はいたはずである。

 にも関わらず、だ。

 真城を選び、真城に助けを求めた原田を、真城は無下にした。


 真城が走馬灯で見た記憶。

 原田は覚えていたのかもしれない。

 そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。


(原田……。

 お前を信じられなかった事をまずは謝らせてくれ。

 そんでこれまでの経緯を話して……それからそれから。


 今度こそ、お前を日常に戻す手伝いをさせてくれ)



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