第9話『病室で』
カラン。カランッ。
“
鉄パイプを構える男。
二人の男の衝突、その後の静寂に金属の落下した音が木霊する。
それは男の持つ、鉄パイプが中程から折れ曲がり、千切れ落ちた音だった。
今までの攻防でひしゃげ、曲がった鉄パイプがついに限界を超えたのだ。
「……チッ」
手元の鉄パイプを眺め、男は舌打ちをする。
「やれやれ……、やっと折れたか」
“黒鉄”も打ち合った腕をさすりながら溜息をつく。
そして、その腕が少し赤く腫れている事にも気が付き、再び深い溜息をした。
“黒鉄”の力を持ってして、硬度が強化された鉄パイプはへし折るのは一苦労だったからである。
とはいえ、もう鉄パイプは使い物になるまい。
“黒鉄”は腕がまだ動くことを確かめると、再び男に向き直る。
男の力がこの程度ではないことを“黒鉄”は知っている。
むしろ、ここからが本番だ。
「…………」
「…………」
無言のまま続く殺気の応酬。
が、“黒鉄”は気付く。
この戦いはどうやらお開きのようだ……、と。
「お待たせしました。
男の後ろ、路地裏の影が一部揺らぎ、水面の様な波紋を作ると、中から一人の女性が飛び出して来たからだ。
「……思ったより速いな」
「“
むしろこの一帯の人通りや情報規制に時間を要しましたよ……」
女性は男と会話を交わすと、小脇に抱えた物を男に手渡す。
「ほう……、いいのか? こんなところで」
「相手が“黒鉄”とあっては仕方ありません。
……見たところ、既に一部能力を使用してるようですが……、本部から能力完全使用の許可も下りましたし問題ないでしょう」
男は受け取った物、布の包みを開けると刀を取り出す。
それは鎖によって何重にも固く鞘に納められた太刀だった。
男の武器。
付け焼刃で使用していた鉄パイプなどではない。
本物の武器だ。
「どうするよ。
……このまま続けるか?」
男の問い掛けに“黒鉄”の表情も強張る。
額に汗が浮かぶ。
二対一。
それに加え、どちらも能力ありの万全状態。
男は本来の武器を手にし、女性のほうも何らか武器を有するのだろう。
……ここまでか。
仕方がないが、あちらの提案に乗るしかあるまい。
「いや、やめとくよ。
流石に分が悪いからな。
そちらさんもいくら許可が下りたとて、こんな場所でやりたくは無いだろう?」
「……まあな」
「そうですね。
互いの為にも、ここは引いていただけると幸いです」
“黒鉄”は拳を収め、男と女性も承諾の意を示す。
「……旦那にどう言い訳するかね」
“黒鉄”は道の端で倒れ伏す真城を一瞥すると、名残惜しそうに足元の影の中へと消えていった。
…… ……
“黒鉄”の気配が消えたことを確認すると、女性は息を吐いてその場に座り込む。
いくら二対一とはいえ、相手が相手なだけに決して油断できるものでは無かった。
先ほどの張りつめるような緊張から解放された反動だ。
「いい
男、一ノ瀬は地面に座り込み、気が抜けた女性、
ハッタリというのは“能力完全使用の許可が下りた”という点だ。
自身らは影人との戦闘の際に本部が定めた規約によって、“この地上において扱える能力の一部、武器を制限する”という処置、規約がなされている。
それはリミッターの様なもので強制されているのではなく、あくまで口約束ではあるものの、規約を破る能力使用が発覚した場合は、本部からの厳しい処罰が下ることになっている。
それは例え、一ノ瀬であっても例外ではない。
そして現段階、非常事態とはいえ、地上での戦闘で“能力完全使用の許可”が本部より下ったことなど一度も無い。
つまりは“黒鉄”に対し、『我々は本気で戦います』と偽りの宣言をして脅しをかけたのだ。
もしそれで、その気になった“黒鉄”と戦闘になるようなら事態は熾烈を極めたことだろう。
しかし二対一と、こちらが多少有利な状況に加え、持参した武器を一ノ瀬に渡すことで、“黒鉄”も不利を悟り、引いてくれると考えた。
賭けに勝ったのだ。
「そうですね。
……とはいえ、“黒鉄”も分かったうえで乗ってきたようでしたが」
「そりゃそうだろよ。
向こうも手練れだ、引き際くらいは弁えてる。
引き時を誤るなんて愚行、奴は犯さんよ」
一段落付き、九条蘭は落ち着いた様子で辺りに視線を向ける。
大小様々なクレーターを作り、抉れたアスファルト。
倒れ伏し、気を失っている青年二名。
折れた鉄パイプ、などなど。
目元を覆い、現実逃避をしたくなる様な惨状に九条は天を仰ぐ。
ほのかに感じる頭の痛み、頭痛。……それはきっと気のせいではない。
状況から鑑みるに、いくら一ノ瀬という男が強大な力を有しているといっても、“黒鉄”一人を相手取り、必要最低限の能力のみを使用して互角ということは考えにくい。
それは“本部の許可を得ないまま過剰に能力を使用した”ことを意味している。
(……見なかったことにしよう)
そう。
私は何も見ていない。
本部の許可無く能力を使用した場面など見ていない。
正直な話、この男なら問題もないのだろう。
この男の立場を考えれば、どうとでもなるというもの。
この男は本部、組織設立の貢献者の内の一人なのだ。
何かと融通が利き、厳重注意は数あれど本気で怒られている場面など見たことがない。
男自体も軽く手を振ってあしらう程度で、飄々とした態度を崩さない為、本部も半ば諦め、黙認している傾向がある。勿論、九条もその一人だ。
九条は一ノ瀬の問題を胸の内にしまい込むと、ふと浮かんだ疑問を投げかける。
「そういえば一ノ瀬さんって今日は本部で待機だったはずでは……?
突然連絡を貰って驚きましたよ」
「……ちょっと野暮用でな」
頭をポリポリと掻きながら答える一ノ瀬。
視線は、どこか明後日の方を向いている。
その仕草から何かしらの隠し事があることを察しつつも、九条はスルーを決め込む。
面倒事は御免だ。
なにより、仕事中であったにも関わらず、野暮用で勝手に本部を飛び出しこんな場所にいるという事態に溜息を吐く。
この男は色々と自由すぎるのではなかろうか?
彼女はどちらかといえば真面目な性格だ。
自身の仕事や任務もそつなくこなし、周囲への気配りや臨機応変の対応が出来る彼女は本部でも高く評価されている。
歳も20代後半ながら、現在では本部長の秘書をも務めているほどである。
そんな彼女が何故、この現場に駆り出されたのか。
それは偏に本部の人手不足が原因なわけだが、不足の事態への対応も彼女の役割の一つだからだ。
しかも連絡相手が、本部でそれなりの立場と権限を持つ一ノ瀬であることに加え、その一ノ瀬と戦闘中の相手が
それは本部で危険視される影人の一人。
生半可な戦力を送ったところで相手にならない。
むしろ悪戯にこちらの戦力を削るだけである。
識別名持ちを相手取れる者などそうはおらず、有能な人材ほど長期任務に駆り出される為、こういったケースには本部待機の彼女が対応することとなっている。
一ノ瀬も本部待機の為、こういった案件には彼も対応するのだが……。
その彼からの要請とあっては彼女が対応するしかない。
本部設立以降、一ノ瀬は本部待機組として戦闘員が対応しきれない識別名持ちへの対応が多く、また彼女も本部設立以降加わったメンバーの中では古株故、一ノ瀬とは多少なりとも長い付き合いとなっている。
その為、彼が持ち込む問題のほとんどが面倒事であることは彼女も嫌というほど理解していた。
以前はよく振り回されたものである。
故にスルーする。
彼女が一ノ瀬という男への対応で学んだこと。
どうせ彼なら一人でも解決出来るはずであり、彼に出来ないのなら彼女でも無理なのだ。触らぬ神に祟りなし。……つまりはそういうことである。
……とはいえスルー出来ない案件もある。
路上に倒れる二人の件だ。
二人、共に影を失っていることから、“影無し”状態であることは見れば分かる。
“影無し”には大きくわけて三つの意味があり、
・影人の証。
・影人へと堕ちる危険信号。
・影人から解放された被害者の総称。
と、様々な状況で使い分けられる単語であるが、今回はその三つ目が該当する。
察するに、影人となった青年二名と“黒鉄”を相手に一ノ瀬が戦闘をしたのだろう。
「現状までの経緯、説明を願えますか?
私も今回の件について報告書をまとめる必要がありますので。
一ノ瀬さんの能力使用の件には目を瞑るにしても、……まさかこの件まで内密になんて言わないでくださいね?」
「わかってるよ。
お前を寄越した時点で本部への隠し事なんて出来んさ。
隠すならもっと上手くやる」
「……せめて悪びれるフリくらいはしてください」
相変わらずの一ノ瀬に対し溜息をついた九条は、事後処理の為に専用端末を操作した後、腕に付けたブレスレット状の端末にいくつかの指令を送り、再び一ノ瀬に向き直る。
「私はこのまま被害者二名を“東京医療国立病院”へと送ります。
既に『収拾部隊』が到着し、近くで待機していますので、戦闘痕や影人に繋がる情報は全て隠蔽してくれるでしょう。
出来れば一ノ瀬さんには状況報告も兼ねて、このまま私について来ていただきたいのですが……」
「……はいはい」
「車も『収拾部隊』に用意してもらいましたので、それで向かいましょう。
あ、被害者二名を車まで運ぶのは頼みますね」
言うだけ言うと、スタスタと歩いて行ってしまう九条を余所に、倒れ伏す男二名へと視線を移す一ノ瀬は気怠げに呟いた。
「……俺が運ぶのか? ……コレ」
~ ~ ~ ~ ~
白い天井。
「……ここは」
次いで目に映る、天井も壁も真っ白な部屋。
ほのかに香るアルコールの匂いに加え、仕切りに使われる白いカーテン。
ベッド脇には呼び出しベルが置かれ、床頭台や、小さなテレビ、その他諸々が完備された清潔感漂う空間。
ここは病室で間違いないだろう。
仕切りのカーテンは開いておらず、辺りを確認することも出来る。
自身の他にもベッドを確認することが出来るものの病人が寝ていることもなく、真城一人がこの部屋にいることが分かる。
軽く痛む身体を起こし、こうなった経緯を探る。
「確か、
原田の影を、鉄パイプで殴り潰した男。
自身の身体が影へと沈んでいく異変。
自身を連れて行こうと、突如現れた謎の男。
「そうだ……、二人の戦いで吹き飛ばされて……」
自分で言って、何を言っているのか分からなくなる。
どうしたら人間二人の衝突で、人間一人を吹き飛ばすほどの衝撃波が起きるというのか……。
真城は思い出したように自身の身体を確認する。
……どうやら五体満足は保てているらしい。
身体を軽く動かすが、軽い痛みは感じるものの骨も折れてなさそうだ。
とりあえず、一安心である。
外の景色から大まかな時間を確認しようと、辺りを見渡すが、……おかしい。
この部屋には窓が一つもない。
仕方なく床頭台を探ってみると、小さな電子時計を見つける。
画面にはPM8:03と表示されている。
原田と待ち合わせていたのは12時。
実際はそれから1時間待ちぼうけを食ったので原田と会ったのは13時頃。
その後色々と問題が起こったわけだが、真城が気絶したのが14時過ぎだとしても6時間ほど寝ていたことになる。
元々、バイトのシフトは入れておらず、原田と会う以外の予定が無かった為、焦ることは無いにしろ、6時間もの時間を無駄にしてしまったことにゲンナリする。
……そういえば原田は何処に?
「起きたか」
原田のことを思い出すと同時、真城は男の声で我に返る。
「えっと、あんたは確か……、ん?」
声のした方を向くと、そこには見知った男性と見慣れない女性が立っていた。
「初めまして。
……真城
私は、九条蘭と申します。そしてこちらが一ノ瀬龍牙。
今回の一件で、一ノ瀬さんのことは既にご存知かもしれませんが……。
まず、ここは“東京医療国立病院”です。
状況が状況でしたので、こちらの判断で気絶したお二方、真城さんと原田さんを運び込ませて頂きました。
原田さんも現在、治療を終え、別室にて安静にさせています。
私は今回、この一件を含め、真城さんに色々とお答え頂く為に参りました」
「は、はぁ」
九条蘭と名乗った女性からの挨拶を受け、畏まる真城。
横で佇む男、一ノ瀬と一緒にいるということは、彼女もまた、そういった関係者なのだろう。
一ノ瀬龍牙……、それが原田を殺した男の名か。
真城は原田の一件を思い出し、一ノ瀬を睨みつける……が、いやちょっと待て。
「……原田が生きてる?」
「え? あ、はい。
原田
未だ目を覚ましてはいませんが、命に別状はありません」
それを聞いて胸を撫で下ろす。
そうか、良かった。
……原田は生きている。生きている。
いつ身体を乗っ取られたのかは不明だが、自分の影に身体を奪われていたのだ。
それ以前からも“ドッペルゲンガー”によって精神的に参っていた節もある。
携帯で連絡をして来た時だって、切羽詰まったような状態だった。
睡眠には頭の中や自身の心を整理して落ち着かせるといった効果があったはずだ。
原田には、真城以上に長い休息が必要なのだろう。
とりあえずは原田が生きていることに感謝しよう。
――“影に取り込まれた人格は、影が殺されると一緒に消滅する”。
その話の真偽は分からない。
それとも貰った“力”の恩恵か?
分からないことだらけなのだ。
せめてこれだけでも良い方向に捉えるとしよう。
「既に一ノ瀬さんからも説明を頂いたのですが、今回の件について真城さんの見聞きした体験などを幾つか教えて頂きたい」
九条は持っていたカバンからゴソゴソとメモ帳とペンを取り出すと、真城へと向き直る。
「ではまず……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
早々に質問を切り出そうとする九条に待ったをかける真城。
その前にこちらも聞きたいことがあるのだ。
原田の件では安堵したが、先に聞いておきたいことはまだある。
「一体、何者なんですか? あなた達は」
そう。
一ノ瀬という男は原田の影、或いはそれよりも強いであろう男と対峙していた。
対峙出来るだけの“力”を有していた。
その“力”の由来。
真城と同じく、燕尾服の男から“力”を貰ったのではなかろうか?
一ノ瀬のみならず、もしかするとこの女性、九条も……。
気にならないわけがない。
「あー……、そうですね。
まずそちらから話した方が、真城さんとしても答えやすいかもしれません」
九条は納得すると、「今からする話は他言無用でお願いします。もしも口外などした場合、命の保証が出来ませんので悪しからず」と真剣な表情へ変わる。
「現在、ここ日本において人間の“影”が自我を持つ現象が起こっています」
影が自我を持つ現象。
そうだ、燕尾服の男も確かそんなことを言っていた。
「そんな自我を持った影。
真城さん達が遭遇した、自身とそっくりな姿形となった影達のことを我々は“
「……?」
九条の話に疑問が浮かぶ。
“真城さん
違う……、真城が出会ったのは影に身体を乗っ取られた原田だ。
首をかしげる真城。
そんな真城の元へ声が届く。
『お前の“力”や影含め、燕尾服の男のこと。
今回の一件は俺が辻褄を合わせるから、お前は口裏を合わせろと言ったはずだが?』
それも直接頭に響く声。
見れば一ノ瀬と呼ばれた男がこちらを睨んでいる。
これはまさか……、テレパシー!?
漫画やアニメなど見ることのない真城でさえも知っている。
それは、超能力と呼ばれる類のものであったはずだ。
驚愕をあらわにする真城だったが、そこへ再び一ノ瀬の声が届く。
『いつまで無言でいるつもりだ。
九条の奴が怪訝そうにしているぞ』
そ、そうだった。
この男の意図は分からないが、ここは一旦話を合わせるとしよう。
この男の力は理解している。
アスファルトを抉るほどの怪力。
口裏を合わせなければ、後がひどい。
「は、はぁ……、それであなたたちはその“影人”と戦っていると?」
「えぇ、真城さん達が遭遇した“影人”ですが、もし一ノ瀬さんの助けが遅れていれば、二人とも“影人”によって肉体を乗っ取られていたことでしょう。
“影人”は陰から忍び寄り、身体を乗っ取っては、その数を増やしていきます。
この日本、いずれは世界を脅かす存在です。
そんな“影人”を人知れず撃退、撃破する為に設けられた秘密結社。
それが我々“影狩り”です。
まぁ、分かりやすく言うのであれば、人知れず陰から人々を守るヒーローのようなものですね」
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