第8話『“黒鉄”』



 辺りを静寂が包む。

 先程の攻防がまるで嘘であったかのように静まり返る路地裏。


 荒い呼吸を整える真城ましろ

 地面に倒れ伏し、寝息をたてる原田はらだ


 戦いは終わったのだ。


 原田の体を少し動かす。

 その体にはしっかりと影が付いていた。

 正確にいうのならば、原田の体に合わせ、在るべき所に影が出来ている。

 それは紛れもなく、原田自身の影だった。


 ふぅ、と軽く息を吐く。

 何せ、今まで戦っていた原田には影が無かったのだから。

 燕尾服の男の話を信じるのであれば、この影が今まで原田の体を乗っ取り操っていたのだろう。


 流石に体力的に限界だと感じた真城はその場で座り込む。

 戦闘での緊張が解け、自分の肉体がどれだけ疲弊していたのかを自覚する。

 原田を助ける為とはいえ随分と無理をしたものだと内心で苦笑いを浮かべる。


 次に、横で眠りにつく原田に目をやる。

 この後どうするか?

 そんな疑問が頭を過る。

 原田は今の今まで影によって乗っ取られていたのだ。

 目が覚めれば、状況の説明をしなければならない。

 その中には“ドッペルゲンガー”についてや、真城が原田を助けることが出来た“力”の出どころである燕尾服の男についても然りだ。


 どうしたものか……。

 と、頭を悩ませる真城の元へ慌ただしい足音が聞こえだす。


 突然の事に対し敵を警戒する。

 こんなオカルトチックな事があったばかりだ。

 原田と同じような状態の人間が他にいないとも限らない。

 もしかすると原田の影が倒れたのを察知した仲間が寄ってきたのかもしれない。

 如何せん原田を助ける為とはいえ、最後に原田へ浴びせた“力”、光はかなりのものだった。

 これが最後のチャンスとばかりに持てる力の全てを注ぎ込んだのだ。


 突如大量の光を発した路地裏に気付いた通行人辺りがやってきた可能性もある。


 倒れ伏す原田に座り込む真城。

 真城の体には所々打撲痕が出来ており、左肩の服は鋭利なもので裂かれたようにパックリと口を開けている他、中に見える肌からは血が流れている。

 普通の人間がこの惨状を見たのなら、間違いなく警察沙汰である。


 警察らにどう説明するか?

 原田以上に説明が面倒なことになる。

 なによりオカルト関連な話など信じてもらえるわけがない。

 頭がおかしいと思われるか、ふざけるなと逆に激昂させかねない。


 体を強張らせる真城の元に、ついに人影が現れる。



 それは一人の男だった。

 初めに原田から助けてくれた男だ。

 手には未だに鉄パイプが握られているものの、その鉄パイプは所々が凹み、拉げている。


 男は真城と原田、周りの様子を一瞥すると真城に向かって問いかける。


「何があった?」


 それは……、と言い淀む真城の下へスタスタと歩み寄り、その横の原田に目を向ける。

 正確には原田の影に、だ。

 男は少し驚いた表情になりつつ鉄パイプを強く握りしめる。

 真城が横で驚き、男を止めようとするものの、男はそれよりも早く鉄パイプを振り下ろす。


 途端、原田の影が蠢くとその肉体から離れ、驚くような速度で地面を移動する。

 スススーッ、と滑るように移動する原田の影は男から逃れる為、蛇行を加えながら一目散に道を進む。


 しかしそれを男は見逃さない。

 降り下ろした鉄パイプを地面に触れる寸での所で止めると、地面を蹴り、男もまた驚く速度で影を追う。


 ボフンッ!! という音と同時、地面のアスファルトが砕け散り、砂埃をあげる光景を見て、それが男の地面を踏み向いた音だと真城が気付く頃には、逃げる影に追い付いた男が影へ目掛けて鉄パイプを振り下ろしていた。


 ドスンッ!!


 路地裏に男が降り下ろした鉄パイプの音が響く。

 男の攻撃は高速で逃げていた原田の影をめがけ、寸分の違いも無く打ち抜くと、地面をも陥没させた。


 苦しそうに呻く原田の影は「あと少しで俺が……」と、忌々しげに呟くと、そのまま空気

 に溶けるように霧散して消える。


「あ……」


 それを見た真城は思い出す。



 ――『影に取り込まれた人格は、影が殺されると一緒に消滅しちゃうからね』



 “


「……っ!?」


 あの男が原田を殺した。

 そう意識した瞬間、頭の中が白一色に染まると男へ向かって走る。


「よ、よくも原田をっ!!」


 しかし、それまでだった。

 男は、怒りに任せて放った真城の拳を簡単な動作で躱すと、鉄パイプを握る手とは逆の手を使って真城の鳩尾部を殴りつけた。


 痛みに顔を歪ませ、倒れ伏す真城を一瞥すると、原田の影が霧散した箇所を見つめ、また自身の握る鉄パイプの感触を確かめる。


「さっき見た時は、明らかに“フェイズ3”以上だったんだがな……。

 どう見ても“フェイズ2”、……フェイズが上がる事はあっても下がった事例は無かったはずだが」


「フェイズフェイズって……っ!! 何の事だか知らねぇが原田に何をしたか分かって……」


 「影が死ねば原田は……」と、尚も男へと怒りを向ける真城を見てため息を吐く男は、「うるせぇ奴だなぁ」と舌打ちをすると、懐からタバコを取り出し一服する。

 その後、腕に付けたブレスレットの様な何かに向けて一言二言の話をすると、真城へと向き直り、まるで子供を宥めるように告げる。


「影の犠牲者に救いの道はない。

 対処が遅れれば、それだけ多くの被害者が出ることになる」


「……それでも、俺は……っ!! 原田を救えたかもしれないんだ……」


「何を言っている」



 限界だった。

 原田との戦闘は気力だけでどうにか持ちこたえていたのだ。


 “原田を助けたい”


 ただそれだけの想いでここまでやってきた。

 救えたと思った。


 しかしそれも叶わなかった。

 この男が全てを台無しにしたのだ。

 もう、どれだけ尽くしても失った原田が帰ってくることは無い。


 現状を理解して、その最後の気力までもが消え失せる。


 肉体的に、そして精神的に、真城は限界だった。



 既に立ち上がる気力などない真城は地面に蹲りながら、訝しむ男に打ち明ける。

 今までの出来事、燕尾服の不思議な男と出会った事、原田を救う“力”を貰う代わりに自身の影を失った事、その“力”を使って原田と戦った事の全てだ。


 真城が救えたかもしれなかった原田。

 そんな原田を躊躇なく屠った男へ、罪の意識、罪悪感の一つでもと考えたからだ。


 もう何も出来ない真城の僅かな抵抗だった。



……


…… ……



燕尾服えんびふくの男……。お前、あの男に」


 話をしている間、“燕尾服の男”という単語に対して憤りのような感情を露わにした男。

 その矛先が微かに自身にも向いている事を察する真城。

 男から感じる憤りや動揺、それは素人である真城でさえ分かるほどだった。


「……っお前は!!」


 突如、男に胸ぐらを掴まれて無理やり真城を立ち上がらせると、そのまま真城を壁へと打ち付けた。

 男の瞳は真っ直ぐと真城を捕え、睨みつける。


 既に気力なく俯いていた真城は抵抗する事もなく、突然の出来事に目を白黒とさせる。

 しかし、それが男からの攻撃だと分かると次第に怒りがこみ上げる。


 怒りたいのは俺の方だ、と。


 沸々と湧き上がる怒りが、原田を失い放心していた真城に再び気力を呼び戻す。

 真城は胸ぐらを掴み、離さない男の腕を両手で掴むと、離せと言わんばかりに力を込める。

 負けじと真城も男を睨み返す。


 この男が何に怒っているかなど知った事ではない。

 原田が殺された。

 その事実だけあれば十分だった。

 真城とてこの男を許す理由はない。

 両手に込める力を更に強めると反撃の期を窺う。


 数十分は続いたと思うほどの睨み合い。

 実際は数十秒の時間であったにも関わらずそう思えるほど濃密な時間が経過する中、先に怒りを解いたのは男だった。


「……あぁ、すまない」


 自身でも何故そんなことをしたのか分からないといった様子で、真城に謝罪をすると手を離す。

 真城も同じく両手を離すが警戒は忘れない。

 尚も男を睨み続ける。

 真城の怒りの理由は、何も胸ぐらを掴まれたからではないのだから。


「…………」


「…………」


 男は、場の空気を換えるように「ゴホン」と一つ咳払いをすると未だ睨む真城に語りかける。


「まぁいい……。

 とりあえず、この後すぐに仲間と合流することになった。

 状況の説明の為にお前にはここで待っていてもらう。


 ……それと、お前の言う“力”のことだが、仲間には伏せる。

 燕尾服の男の事も含めてな。

 この影人……、原田とやらは俺が始末したってことで口裏を合わせてくれ。

 それでお前は元の生活に戻る事が出来る。


 あぁ、それからお前の影の件だが、それもこっちで辻褄を合わせるから黙ってろ」



 散々な物言いだった。

 原田の件と合わせ、今にでも殴りかかりそうな心を必死に抑える真城。

 ここで怒りに任せてしまえば、今度こそ真城は死を迎える事になるだろう。


 原田を、影を屠った攻撃。

 アスファルトさえも穿つ一撃に加え、原田を凌ぐ移動速度。

 原田の黒いモヤとは違い、男の持つ鉄パイプは真城の“力”で打ち消すことが出来ない。


 原田とは明らかに各上の相手。

 そんな奴を相手にするのなら、現状はおろか万全の状態でさえ勝つことは不可能だろう。


 もし仮に、真城が鉄パイプを奪い取り、男を殴り倒す事が出来たとして……。

 真城の怒りが収まるのだろうか?

 最悪、殴り殺してしまうかもしれない。


 “殺人”


 それは常識を持つ者なら、倫理観や道徳意識を持つ者なら行う事のない行為。

 その行為に手を染めるということ。

 原田を殺したこの男と同罪になるということだ。


 それは先程までの原田との戦いとは訳が違う。

 人を殴る覚悟。

 それ以上の覚悟が必要だ。

 そんな覚悟。……欲しくはない。


 ましてや、躊躇なく原田を殺した、殺すことが出来たこの男が、真城一人に対して殺しを躊躇うことがあるだろうか?

 一人殺すも二人殺すもそう変わりない。

 この男はそれが出来る、出来てしまえるだけの力を持っている。


 尚も警戒を解かない真城に対し、ため息まじりに肩をすくめる男。

 その理由が自分にあると分かっているが故に少しばつが悪そうにしている。




 異変は突如起こった。



 視界の影が揺らめく。


 路地裏、周囲の壁により日光を遮られ、そのほとんどを影がしめる空間。

 真城の周囲もまた、同様に影が差している。

 その影のいたる所が、まるで水面に広がる波紋のように歪む。


 驚く真城。警戒を強める男。


 刹那。

 影の揺らぎが強さを増すと、何十という黒い球体が影から飛び出し、男を襲う。

 野球のボールほどの小さいものから、サッカーボールほどの大きなものまで様々な黒い球体が雨のように降り注ぎ、視界を黒く染め上げる。


 男は鉄パイプを振り回すと、黒い球体を撃ち落し、あるいは他の球体と衝突させて軌道を逸らす対応、それでも捌ききれないものは瞬間移動にも見えるほどの足捌きを駆使して回避する。

 黒い球体は何かに触れると弾け、辺りに衝撃波を撒き散らすが、男はそれすらも回避し、また、鉄パイプで叩く際は絶妙な力加減と俊敏さをもって、球体が触れられた事に気付くより先に遠くへと叩き飛ばす。

 球体が弾け、衝撃波を飛ばす頃には男は既にその範囲にいない。


 無数の球体に対し難なく対処していく男に唖然とする真城。

 無数に飛び交う黒い球体の現実離れした異様さもさることながら、それに対応出来ている男の異質さが際立つ。


 俺はこんな男に攻撃を仕掛けようと考えていたのか……、と真城は自身の愚かさを自覚する。

 と同時に、やらなくて良かったという安堵が過る。


 しかし真城も、ずっとここにいる訳にはいかない。

 度々、黒い球体が真城にも降り注ぎ、その度に男が割って入り対処をしていた。


 いくらなんでも足手まといだ。

 これ以上迷惑をかける訳にもいかない。

 守ってもらう事も癪だ。

 原田を殺した男になんぞ、と。

 真城は重い腰を上げ、何処か遠くへ逃げるべく思考を練る。


 しかし、グラリと傾く視界。

 下半身、主に足元の踏ん張りが出来ずに片膝をつく真城。


(なんだ……? 身体が思うように……)


 自然と足元に視線が向く真城。

 そして気付く。


 即ち、自身の体が沈んでいる事に。



「これは、……いったい!?」



 頭上から降り注ぐ黒い球体に気を取られ、足元への注意が疎かになっていたが故に気付くのに遅れた異変。

 それは真城の身体を中心とした、半径1メートルほどの影がより黒く変化し、その中へと真城を沈み込んでいく様だった。


 不意の事態に動揺する真城。

 一刻も早く黒い箇所から抜け出そうともがくが、既に沈み込んでしまった足元は、まるで水の中にでもいる様な抵抗を感じ、思うように動かせない。

 身体を捻ったり力んだりしてみても、黒く変化した箇所は水面のような波紋を広げるのみで、沈みゆく身体を止めるには至らない。


 しかも事態はそれだけに止まらない。

 既に沈みこんでしまった片足を何者かにより、強く黒い影の中へと引っ張られたことによって、ズボリと一気に脇の下まで真城の身体が沈みこむ。


(……っ!? 中に誰か!!)


「助けっ……、んぐ!?」


 男へと助けを求める為に口を開くものの、その口を何者かの手が塞ぐ。


「お~と、静かにしてもらおうか。

 お前を殺すのは簡単なんだが……、聞かせてもらったぜ? さっきの話。

 如何せん“灰”の気配も消えちまったし……、“灰”が接触したお前には興味がある。

 ……貰った“力”とやらは第一級警戒対象だしな。

 このまま、お前は連れて行く」


 男は真城の右腕を掴むと後ろ手に縛り、さらに身体を黒いモヤで拘束する。

 恐ろしい力で捻りあげられた右腕が発する痛みに耐えながら藻掻く真城をよそに、男は真城ごと影の中へと沈んでいく。

 焦る真城は必至に藻掻くものの原田の時と同様に黒いモヤが絡みつき、こちらからの抵抗を寄せ付けない。

 まるで雲を掴むが如く触れる感触がしないのだ。

 されど確かに感じる圧迫感が自身を捕えて離さない。



 しかし真城も、されるがままではない。


「っくそ……、なら!!」


 突然の異変に沈む身体、突如背後に現れた謎の男と、あまりの出来事に思考が追い付かずにいた真城だが、ついに抵抗を試みる。

 黒いモヤには真城も覚えがあったからだ。

 十中八九、原田が纏っていたものと同様のモヤだろう。


 もし仮に、このモヤと同様に自身をいまだ沈め続けるこの水面の様な現象もまた、影を応用した何らかの現象であるのなら、真城自身の持つ“力”は強力なアドバンテージになるはずだ。


 “影を霧散させ、消失させる”あるいは“無効化”する能力。


 その力は原田との戦いで実証済みだ。


 真城は意識を集中し、右手に“力”をこめる。

 途端、自信を中心に眩い光が辺りを照らす。


「……これはっ!?」


 溢れんばかりの輝き、またその効力を察した男が真城から飛び退く。

 拘束を解かれた真城は水面のように波打つ影から吐き出されるように飛び出すと、アスファルトの地面に尻餅を付く。

 真城自身もまさか吐き飛ばされるとは思わず、完全な不意打ちのように尻を叩きつけられてしまったが、軽く涙目になりながらも尾てい骨を摩って起き上がる。


 この謎の男はいったいどこから現れたのか?

 考えられる点としては水面のような影の中からだろうか。

 察するに、真城を引きずり込もうとした水面の中には何かしらの空間が存在しているのだろう。

 原田の見せた高速移動とは別の移動法。

 水面の中へと姿をくらませば、その位置を捉えることは不可能だ。

 そのうえ、水面とモヤで二重に拘束されることを考えると原田以上に厄介と見るべきか。


 謎の男への警戒を強める真城はジリリと後退りをする。



 しかし、その謎の男へと一本の鉄パイプが振り下ろされる。


 ガキィン!!

 と、金属同士がぶつかるような音を響かせ、男二人が対峙する。


「まだ帰ってなかったのか“黒鉄くろがね”。……“灰”の気配ならとっくに消えたぞ」


「まぁそうなんだがな。今は“灰”が接触したその青年に用があるのよ」


 鉄パイプを振り回し、右へ左へ攻撃を加える男と、それを両腕で受け止める“黒鉄”と呼ばれる男。


 気が付けば、豪雨のように降り注いでいた黒い球体は止んでいた。


 実のところ、真城が拘束から逃れる為に放った光の脅威に驚いた“黒鉄”が黒い球体の豪雨を止めてしまっていたのである。

 それにより豪雨を脱した男が“黒鉄”への攻撃に転じられたわけだが……、真城本人が知る由もない。


「……どうしたもんかね。

 その青年がお前ら“影狩り”の手に渡るくらいならいっそのこと……ってのも悪くないが、“影狩り”トップの懐刀さんと殺し合うってんなら本気でやらないと……いけねぇよなぁ……」


「……そんなんじゃねぇよ」


 “黒鉄”は苦笑いを浮かべ、鉄パイプを構える男は溜息をつく。

 互いに距離を取り、出方を窺いつつ睨みあう。


 ビリリッ……と、肌で感じるほどの殺気を放つ二人は……、刹那、一気に距離を詰めると渾身の力でぶつかり合った。



 衝撃波、爆風。

 二人の衝突で起こった空間、空気の振動が真城をも吹き飛ばし、ビルの壁へと打ち付ける。

 今日、何度目かともわからない痛みが真城を襲い、……真城の意識は、完全にフェイドアウトした。



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