第6話『走馬灯』



 ある高校生活の記憶。



「おはよう、ハル」


 朝礼前の教室。

 いつものよう、机で寝たふりを決め込む真城ましろのもとへ原田はらだの声がかかる。

 真城は机から顔を上げると原田に向かって挨拶する。


「あぁ……原田か。おはよう」


 原田か。などと言ってはいるものの、真城に話しかけてくる人物などそういない。

 授業中のコミュニケーション、クラスメイトとしての事務的な対応を除けば、原田くらいのものだろう。

 成績優秀、スポーツ万能。

 誰に対しても分け隔てなく接する原田。

 高身長なうえにイケメンときた。

 これだけ揃えば憎らしい気持ちも失せるというもの。

 中学時代に知り合って以降、なんやかんやと今までやってきた友人だ。


 思えば中学時代、出会った当時の原田はそれほど頭が良くなかった。

 しかし元が良かった為なのか、学力、運動能力ともにメキメキと向上し、気が付けば追い付けない程の差が出来てしまっていた。


 正直な話、頭の良い原田が真城と同じ高校に進学するとは思わなかった。

 しかし気の許せる奴がいるというのは、真城としてもありがたい。


 原田は真城のとなりの席へと腰を掛け、他愛のない会話を始める。

 会話の内容は決まっておらず、最近ハマってる曲がどうのだとか昨日観た番組がどうのといったもの。

 原田が喋って真城が相槌を打つ。

 まぁ、そんなもの。それがいつもの流れ。

 会話好きな原田はいつも誰かと喋っているように思う。

 誰とでも会話が出来てしまえる原田は正直羨ましい。



 キーン、コーン、カーン、コーン。



 朝礼開始の鐘がなる。

 少し話し込んでしまったようだ。

 時間を忘れていた。

 原田が急いで自分の席に移ると、タイミング良く担任が教室の戸を開ける。


「起立。気をつけ。礼」


 日直の掛け声で朝礼が始まる。

 クラスメイトの点呼から始まり、今日一日の大まかな流れを説明して終了するだけの退屈な時間。

 それが終わると担任は退室し、真城は一時限目の準備を始める。

 科目は数学。


 数分が経過し、数学の教師が到着する。

 小太りで最近白髪が目立ち始めた中年の男性。

 名前は中谷……だったか。

 教師は教卓に着くや否や、小脇に抱えた紙束を教卓に置く。


「今日は先週やったテストを返却する。30点未満の生徒はしっかり復習しておくように」


 順々に名前が呼ばれ、真城の番となる。


「真城……。

 今回も赤点だぞ? 分からない所は質問しろと言ってるじゃないか」


「……はい」


 少し呆れる教師に対し、真城は軽い返事を返して席に戻る。

 26点。

 それが今回のテストの点数。

 分からな所は質問などと言われても、分からない所も分からないのであれば意味がない。

 全てが分からない……だ。


 ただの計算式であれば多少の計算ミスはあれど問題はない。

 しかし暗記の出来てない計算式、文章問題に至っては惨憺たる結果だ。

 国語・数学・理科・社会・英語。

 五教科のどれをとっても得意とは言い難く、暗記でどうにかなっている国語や理科、社会に比べて数学と英語は特にひどい。


 テストの返却で教室が少し騒がしくなる。

 互いのテストの点を比べ合う者。

 間違えた問題を友人に聞く者。

 騒がしさに便乗し私的な会話を始める者。

 理由は様々。


「どうよ? 点数」


 原田からの声がかかる。


「……ん」


 隠しても仕方のない真城は原田にテストを差し出す。

 どうせ原田は満点かそれに近しい点数なのだろう。

 その表情からは余裕が窺える。


「26点か……。まぁ、今回は少し難しかったし仕方ねぇって」


「そういうお前は何点なんだよ」


「97。……凡ミスしちまった」


(嫌味かよ!!

 ……って、何を言っているんだ俺は)


 原田の点数が良いことなど分かり切っていた事ではないか。

 原田に点数を聞かれた為、とっさに真城も原田の点を聞いてしまった。

 完全に墓穴を掘った流れだ。


「まぁ……なんだ……。

 テストの点じゃ、人の良し悪しなんてわかんねぇよ。


 ……気にすんな」


 真城の表情を見てとり、原田も失敗したと感じたのか申し訳なさそうにそんなことを口にする。

 原田からすれば慰めのつもりかもしれないが、当の真城からすれば簡単に割り切れるものではない。


「ハルは将来、どんな職に就きたいんだ? 夢とか」


 突然原田がそんな事を聞いてくる。

 質問の意味が分からずに無言でいると、原田は更に付け加えるように言う。


「これは俺の持論なんだが……。

 学校の授業ってさ、俺らが大人になってから、どれだけ使う機会があるんだろう?

 この数学一つ取ってみても、因数分解に二次関数、円だったりグラフだったり。

 計算式は数あれど、社会人になっていつ使う?

 もちろん、使う職業だってあるわけだが……。

 大抵は足し引きだったり掛けたり割ったり、そういうのさえ出来れば問題ないとは思わないか?」


「……そんなことねぇよ。

 社会でやっていくならば何かしら手に職を付ける必要がある。

 職を手にする為には入社試験は絶対だし、試験にだって五教科は付き物だ。

 良い所に就きたいなら尚更な」


 そう。

 五教科は必要だ。

 原田の言うようにテストの点では人間の良し悪しは図れない。

 そんなことは分かっている。

 原田も別に、そういう意図で言ったわけでは無い筈だ。

 真城を慰める為のものだろう。

 そんな事は真城とて分かっている。


 しかし同時に、真城も原田も、そういった子供だましだけでは、この先をやっていけない事も理解している。


 これは真城の持論。

 今の世の中は頭が良く、尚且つ良い人格を持つ者が求められる。

 どれだけ良い人格を持っていようとも頭の出来が悪ければ評価されない。


 『人間は見た目じゃない。中身だ』

 などと言う者もいるが、そういった事を言う奴に限って、そもそも身だしなみが整っていない。

 自分を良く見せる努力を怠れる人間の中身に誰が興味を惹かれると思う?


 理屈はそれと似たようなもの。



 学校の授業とは詰まる所、役に立たないかもしれない事に対してどれだけ打ち込めるのかという忍耐力が試される場だ。



 Q.学校の授業は何の役に立ちますか?


 A.テストの点を取る為。



 極論を言えばこうなる。

 授業の8割、9割は人生において役に立たない。


 しかし、そんな学業も社会へ出れば、判断基準の一つとして使われる。

 有能な人材をより多く確保し、無能な人材を早期に切り捨てる為の行為。


 履歴書やエントリーシートを送ってきた志願者一人一人に対して、一々面談や面接をしていてはきりがない。

 故に、何かで人数を間引く必要が出て来るわけだ。


 では何をするのか?

 答えは通学中の学校の確認。志望動機や自己PL。

 或いは……筆記テスト。

 これによって、その人間が学業に対してどれだけ励んだかが分かる。

 学業の良し悪しは、それぞれの人間をふるいに掛けて選別する為のもの。

 人間の内面の判断など、その後に残った人間から行えばいい。

 結局は“頭の良さ>内面の良さ”なのだ。


 『学生の本分である学業を疎かにしてきた人間の内面など高が知れている』ということなのだろう。

 わざわざ頭の悪い人間を欲しがる物好きでもない限り、誰であれ“頭は悪いが性格の良い人間”よりも“頭が良く性格も良い人間”を欲しがるものだ。

 もし自身が選ぶ立場であるのなら、真城も同じことをするのだろう。

 だからこの事に対して、何かしらを悪く言うつもりは毛頭ない。


 しかし、だからこそ、この学業において、テストの点は後に自身が社会で生きていく際に、真城自身の内面へと、目を向けてもらう為には必要なことなのだ。


 そう。


 内面や性格さえ、それさえ見てもらえれば、きっと真城は評価される。


 ……評価してもらえる。



「ハルは良い職に就くのが夢なのか?」


 はっ……!

 原田の声が、物思いにふけっていた真城の思考を中断させる。

 今は会話の最中だった。

 真城は訊かれた内容を把握し、答えようとするが……。


「……別にそういうわけじゃないけどさ」


 答えに詰まる。

 確かに真城は良い職に就きたいわけじゃない。



 その昔、真城にはある夢があった。

 医者になる事だ。


 両親は医者なのだから真城自身、医者に惹かれたのは当然かもしれない。

 真城にも人を助けたいという想いがある。

 理由がある。

 医者になりたいと言った時の両親の笑顔も忘れ難い。


 しかしその夢は諦めた。……諦めざるを得なかった。

 理由は明白。

 真城はバカなのだ。


 小学生で思い描いた夢も今やもう高校生。

 夢から覚めれば、現実と向き合うのが道理というもの。


 医者になる事の出来ない真城。

 テストさえ満足な点数を取る事の出来ない真城。


 馬鹿にされ、蔑まれ、価値のない真城は……。


 どうすれば認めて貰えるだろう?

 どうすれば評価してもらえるだろう?


 ……いつしか、そう考えるようになった。

 それだけしか、考えられなくなった。

 

 もう理解はできている。嫌というほど。

 どれだけ真城が足掻いても、テストの点は上がらない。

 真城の内面を見てくれる物好きがいたとして、こんな真城に評価するだけの価値が無い事も……。


 知っている。

 分かっているんだ。

 ……本当は。

 こんなことに意味は無く、価値も無いことぐらい……。


 しかしそれでも道は無い。

 勉学に励む以外の選択肢は残っていない。


 医者になることの出来ない真城など、一体なんの価値があるというのか?

 真城自身、『真城晴輝はるき』という存在に嫌気がさしていた。


 そんな真城が、自身の新たな“価値”を求め、他人から“価値”を認めてもらう為に選らんだ行為。

 それが勉学だったのだ。


 ただ闇雲に、無駄な勉学に、実りの無い事実に向き合っていくしかない。

 もう真城には、真城を真城として見てもらう為には……それしかない。


 そうすれば。

 もしかしたらいつか……。


『頑張っているね』


 と、評価してもらえるかもしれない。

 “それだけ”の為に、今の真城は生きていた。



 ……それでも。

 もし、あえて、“夢”として言うのであれば……。


 医者を諦めて尚、諦め切れずに残り続ける想い。


 医者ではなく、その本質。


 それは……。


「俺は……、人を助ける仕事がしたい」


 真城の本心。

 無意識の内に、ぽつりと呟いた言葉。

 呟いてしまった事に驚き、ハッとする。


 目の前で原田が少し驚いた表情を浮かべているのが見えた。

 顔が焼けるように熱くなる。


「あ……、いや……、今のは……」


 弁解をしようとするが上手くいかない。

 いつまでもあたふたする真城へと、原田の声がかかる。


「なんだよハル。良い夢持ってるじゃねぇか!!」


「……え?」


 笑顔の原田と驚く真城。


「結構心配してたんだぜ? 俺。

 ……今まで触れないようにしてたけどさ、両親が医者でいつも周りと比べられたり、バカにされたり。

 そういう奴を見つけたら、俺が今まで止めに入ったりもしたけれど……。

 いつまでも俺が一緒にいれるわけでもねぇしなぁ。

 将来のお前が心配で心配で……っ」


 大げさに涙を拭う動作をする原田。

 確かに原田が今まで真城を守ってくれた事。

 両親の話題にあえて触れないようにしてくれていた事。

 全て事実だ。

 本当にいい友達、親友を持ったよ……。いや、本当に。


 セリフからも原田の喜びが伝わってくる。


「いや……、それだって医者の夢を諦めて、それでも何か人の助けになる事をしたいなってだけで……」


 少し気恥ずかしさを感じた真城は弁解をするように口を開くが、それを聞いた原田は真面目な表情に戻ると、「ハルに向いてるよ。人助け」と一言告げる。


「何せ、俺も昔ハルに助けられたことがあるしなぁ」


 何かを思い出すように言う原田。

 しかし、真城が原田を助けたこと?

 逆はあっても真城が何かしたことなんてあっただろうか?


「それってどんなことだよ?」


「秘密だよ。ひ・み・つ」


 質問はしてみるが軽く流されてしまった。

 ……気になる。


「人助けか……。ハルがどんなことをするのかは分からないけど。

 もし俺が困った事に遭遇したら、その時は助けてくれるんだろうな?

 連絡するぜ?」


「当たり前だろ。俺がどれほどお前に感謝してると思ってるよ」


 少し冗談気味の原田に真面目に答える真城。


「助けるさ……。その時は、必ずな」


 真城は原田に。

 そして自分に言い聞かせるように、そう告げる。


 任せとけ、と。


 原田は真城にとって、掛け替えの無い親友なのだから。



~   ~   ~   ~   ~   



 真城は拳を握り締める。

 体に力を込める。


 体中が悲鳴を上げる。

 痛い。

 それでもなんとか立ち上がる。


 しかし、足腰はガクガクと震え、まともに立っていることができない。

 ガクリと力が抜けると膝から崩れ落ちるようにバランスを崩す。

 それでも、完全に倒れるわけにはいかないと手をついて踏ん張る。

 その繰り返し。


 視界がぼやけ、まともに原田を見ることが出来ずとも、それでも原田への視線は外さない。

 真城は既に気力だけで動いていた。


「おいおい。もう死んで楽になっちまえよ」


 原田の憐れむ声が聞こえる。


「……まだ、だ。俺が原田を救って」


「お前にこいつは救えねぇよ!! ここでお前も死ぬんだしなぁ!!」


 原田の怒声。

 しかしそれでも真城は怯まない。

 真城の目的は決まっている。


「必ず俺が救うんだ。原田を!!」


 そうだ。

 真城には原田への借りがある。

 真城の学園生活を……。

 両親と比べ、比べられ、嫌になっていた真城を救ってくれた大きな借りが。


 だからこそ、今度は真城が原田を助ける番だ。

 助けてやらなきゃいけない。

 でなければ、真城は、原田に何も返せない。



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