第6話:僕はまだ霞のように消えない

「姉ちゃん、怒ってる?」

「別に〜?」

 スキンが帰ってからも、暫くの間、ミノリは、不機嫌な顔を浮かべて立っていた。

 私は弟を心から愛してる。

 だから、霞の望みは叶えてあげたいし、自由にさせてあげたい、元気になったら独立させて、普通にさせてあげたい。

 でも、今日、色んな女の子に狙われているのを見て、私の中の独占欲が牙を剥いた。

「ねえ、ちょっと寒いんだけど……暖房つけていい? ねえ、聞いてる?」

「え? 寒い?」

「うん……夜になったからからかな……それとも人が減ったからか、寒気ってほどじゃないんだけど」

「熱が下がったんじゃない? 良かった」

 そう言ってミノリは、服を脱ぎ始めた。

「いや……『私は暑いです』アピールされても困るんだけど」

「違う違う、お風呂入ってくるの。ちょっと待ってて」

「え? いや暖房……」

 霞の声は届かない。ミノリは下着姿で、既に浴室にいた。

 霞が、律儀に姉を待つこと数分。ミノリが戻ってきた。

 体には、バスタオル一枚だけ巻いた状態で。

「お待たせ、寒いんだっけ?」

「いや……もうちょっと待つから服を着なよ、不健全な服を好んで着る、不健康とは縁遠い姉ちゃんでも、その格好は流石に寒いでしょ」

「そうだね、あー寒い寒い」

「だから早く……ちょ⁉︎」

 ミノリは霞の言葉を聞き流しながら、バスタオルを足元に落とし、生まれたままの姿で霞の布団に頭から潜り込む。

「何やってんの⁉︎」

「霞が、寒いって言うから」

「理由になってない!」

「温めてあげようとしたんじゃん」

「理由は分かったけど、絶対に手段が間違っている!」

「あんまり動かないでよ、風が入ってきて寒いじゃん」

「動くのは姉ちゃんが布団に入ったせいだし、寒いのは裸だからでしょうが!」

 霞の正論極まりない文句を、ミノリは、霞の上に覆い被さることで黙らせる。

 さらに、仰向けになっている霞の首に両手を回して抱き締めると同時に、顔を首元に埋める。抗議のために暴れる霞の足に、自らの足をピッタリと沿わせることで制する。

 そして、上から下まで密着した体勢になると、微動だにしなくなった。

「姉……ちゃん?」

「……しいよ」

「え?」

 不穏な動きをするミノリから、不安になるような、か細い声が聞こえてくる。

 ミノリの手に、足に、より一層力が入る。寄り添うように、手足が絡まる。

 今度は、はっきりと聞こえた。

「寂しいよ……霞」

「……」

「どこにも行かないで……私から離れないで……1人に、しないで……」

 霞は何も言わずに、姉の頭に、そっと手を乗せた。


********************


 天気、快晴。

 気分、快調。

 霞は、いつも通りの、普通の朝を迎えた。

「……ん〜」

 布団から両手を出して伸びをする。昨日は朝から夜まで大変だったが、今日は平和な1日になりそうな予感だった。

 こんなに早く回復するなら、レオンとのお出かけできたな、なんて思いながら、時間を確認するために壁にかけた時計を見る。

 しかし、そこには普段見慣れた時計がない。

 というか、どこにも、霞の見慣れたものはなかった。

「……え」

 いや、霞のにとっては、ある意味懐かしさすら感じる、見慣れた、景色だった。

 自分の伸ばした腕を見る、肘のあたりから、チューブが伸びており、ベット脇の点滴に繋がっている。

 それにより、ここがどこか確信した。

 ガラッと、扉が開く、もちろんうちの家にそんな引き戸は存在しない。続けて入ってくる、白衣の医者も。

「おはよう、霞くん、元気かい? まあ、本当に元気ならこんなところいないんだけどね」

 朝から嫌なジョークを言う医者だ。

「あの、先生、僕はどうしてここに?」

「昨日の夜救急車で運ばれたんだよ、君のお姉さんの通報でね」

「昨日の夜……」

 姉が突然全裸で布団に入ってきて……それで、急に、迷子になった子供みたいに泣き出して、それをなだめて……落ち着かせて……それから、どうしたんだっけ? 

 すぐに僕も寝たと思うけど。

「お姉さんもびっくりしただろうね〜。なんたって、寝ている弟の心臓が急に止まったんだから。それにしてもよくすぐに気づいたと思うよ、家族の絆ってやつかな? 救命措置も行ってたみたいだし、これは訓練の力だね」

 心臓が止まった? 

 え、死にかけてたの? 僕。

 もし、昨日の夜、姉と一緒に寝てなかったら……いや、一緒に寝ていても、ただ隣にいるだけだったら……気付かれてなかったかも。

 その想像をした瞬間、霞の背中に悪寒が走った。

「良かった……本当に」

「ね、危うく僕の仕事が無くなるところだった……痛っ!」

 不謹慎を通り越して謹慎処分を受けるレベルのジョークを飛ばす医者の背中を、後ろに控えていたナースが蹴っとばす。

 良かった、まともな人がいてくれて。

「それじゃあ僕はこれで帰れるんですか?」

「いや、これから手術だからしばらく帰れないよ」

「え?」

 医者がナースに蹴られない。冗談ではないようだ。

 突然の手術とは、冗談じゃないけど。

「それも心臓のかなり難しい手術だからね……家どころかこの世に帰れなくなる……なんてことのないように! 努力する! から! もう! 蹴るの! 辞めて!」

 リズミカルに尻を蹴られる医者のせいでギャグみたいになっているが、冷静に考えて大ごとである。

 一難去ってまた一難? 

「あの……手術はいつ頃行いますか?」

「体調が安定すれば、早くて今日の昼ごろだね」

「分かりました……」

「じゃ、またしばらくしたら来るから、それまでに何かあったらナースコールで呼んでちょうだい、ああ、心配しなくてもうちのナースは患者を蹴ったりしないから」

 そう言って、最後まで冗談を飛ばしていた医者は部屋を出て行った。

 いつか首が飛ぶんじゃないだろうか。少なくとも、ナースの方が安心できる。

 まあ、僕の体質を知った上で受け入れ、手術までしようとするのだから、腕は確かに確からしい。

 さて、と。

 病室に1人取り残された霞はぼんやりと考え事をする。

 手術をして、結果がどうあれ、経過観察のために来週は学校を休むことになりそうだ。

 せっかくレオンが来れるようになったのに、今度は僕が、休むなんてな。

 一応、彼女達には伝えます方がいいのかな? 

 そう思ってスマホを探すと、机の上に置いてあった。

 その下に、何やら紙と封筒があった。

「……?」

 霞は、スマホをどかし、紙の方を手に取る。

 それは、特定の形式に則り、法的効力ほうてきこうりょくを発揮するフォーマットの、遺言書用紙ゆいごんしょようしだった。

 あの医者……!

 やっていることは確かに正しいのだが、家族が遺族になったら、訴えられそうな行為だった。

 せめて何か言えよ! 励ますとか! 元気付けるとかさ!

 少なくとも、こんな縁起の悪い物を黙って置いていくのは優しさではないと思う。

 まあ、でも……黙って死ぬよりはいいのか。

 最後に、伝えたいことを、伝えたい人に、伝えることなく死んでいく。

 そういう若い患者を、あの医者は、多く見てきたのかもしれない。

 看取ってきたのかもしれない。

 霞は、ペンを手に取った。

「それでも、まだ死ぬつもりはないよ」

 そして、太字でデカデカとこう書いてやった。

 『棺桶かんおけでなく、レオンの膝枕に僕の遺体を置くこと』

 こんな遺言が見つかったら、末代までの恥である。まあ、僕で途切れることになるけれど。

 だから、レオン達と、この遺書を残して死ぬことは出来ない。


 僕はまだ、天を翔けるには早すぎる。

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イケメン女子に囲まれる。朝山霞の学園ハーレム? アイデアの女神に溺愛されて夜も眠れない @azuma_light

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