第5話:駆け付け、餌付け、掛かりつけ

「さて……ほら霞、マリンちゃん帰ったからもう起きて良いよ」

「……気付いてたんだ」

「そりゃあねー、弟の嘘くらいすぐに見破れるよ。嘘寝なんて、私の前じゃ無理無理」

 ミノリの指摘に、霞が目を開ける。

「で、なんで早く起きなかったの? マリンちゃん、話したかったでしょうに。あ、もしかして、裸見られたのが恥ずかしかった? それとも……見られたかったのかな?」

「僕の体は、マリンと違って人に見せられるものじゃないよ」

「ふーん、マリンちゃんの体、見たんだ」

「あ」

 時々、うちの弟は、体だけじゃなくて頭も弱いんじゃないかと心配になってくる。

 語るに落ちやすすぎる。

 落ちているのは、恋かもしれないが。

 ま、ホテルにいたところまでは、マイクで拾って聞いちゃってるんだけどね。体を見るところまではいったんだ。

 本当に、それで終わるもんかねえ。

 相手も、相手か。

「それじゃあ結局なんで起きなかったの?」

「その、マリンの体を見ちゃたことがあったから、こっちも見せないと不公平かなって、思って」

「なにそれ〜? 見たからって減るもんじゃないし、見せたからって増えるものもないでしょ」

「いや、マリンの尊厳が減って、僕の男気が増えた」

 そう自信満々に語る霞を、ミノリは呆れ顔で見る。

 霞って、そんなこと言うタイプだっけ〜? 

 全く、誰の影響を受けたのかな。なんて、分かりきってるね。

 ちょっとメンタル強くなったんじゃない?

 鋼にも鉄にも、程遠いけど。


********************


「こんばんは、私、朝山と同じクラスの間流山理空と申します。お見舞いに参りました。あなたは朝山の恋人か何かでしょうか?」

「こんばんは! 私は霞の姉の朝山実です。いらっしゃい。あなたは本当にただのクラスメイトなの?」

 夕方になり、日が沈むと同時に、玄関前に光が現れた。

 何……この子?

 今日初めて、ミノリの方が立ちすくんでいた。

 無理もない、玄関を開けていきなり、坊主頭の女子高生ーースキンが立っていたのだから。

「はい、本当にただのクラスメイトです。立ち話もなんですので、中に入れてもらってもいいですかか?」

「あ、ごめん、そうだね、いいよ……こっち」

「お邪魔します」

 ミノリの返答と同時に、スキンは服の埃を外ではたき落としたあと、大股で敷地に足を踏み入れる。

 さっき霞とメンタルの話をしたけど……この子、強すぎない?

 ミノリはそのリスキの堂々とした出立ちや一挙手一投足いっきょしゅいっとうそうくに、立ちすくむどころか足がすくむ思いだった。

 スキンは、そんなミノリの様子を気にもかけず、『こっちですね?』と言いながら廊下を歩いて奥の部屋へと向かっていく。

 すれ違う瞬間、ミノリはあることに気付いた。スキンから、独特の、それでいてまだ記憶に新しい、匂いが漂ってきたのだ。

 これ、あの時、霞の背中からした高級石鹸の匂い……! てことは、まさか、この子が……。

 しかし、それ以上の情報が分からなかった。それ以上、霞と何があったのか。

 そういえばその時、霞は髪は剃らなくていいだの変なことを言っていた。

 もう間違いない、あの日霞は、この子と何か大変なことがあった。

 ここにいてラスボスのお出ましね。

 ミノリは警戒心を最大まで高め、リスキの後を追う。



「おーい、朝山、生きてるか〜?」

「スキンまで……なんで?」

「マリンから連絡もらった」

 スキンは、寝たままの霞にスマホを振って見せる。

「あれ? そんな仲良かったっけ?」

「言ってなかった? それに聞いてないの? 私とマリンは去年から同じクラス、で、連絡もちょいちょいしてる」

 初耳だ、と顔で言いながらも、霞はどこか落胆した声を上げる。

「なんだ……心配して損した」

「私があのクラスで孤立無援こりつむえんだと思った? 別に、クラスでは話さないだーけ。でも優しいね。けど自分の心配をしたら?」

「それには及ばない、もう可愛い女の子が2人もお見舞いに来た」

「んじゃ、私で3人目だ、あーあ、幸せ者だなぁ霞は、このままハーレム作れるんじゃない? ラブコメの主人公のように」

「病弱も鈍感も、主人公のキャラとしては使い古されてて新鮮味がないでしょ」

「自覚あるんだ、あとそれに気づいてる時点で鈍感じゃない」

「う……、べ、別に良いし、僕はどうせ引き立て役のちょい役ですよー」

 霞は拗ねてそう言いながら布団に潜り込む。

 スキンはそんな様子を、今にも笑い出しそうな笑顔で眺めている。

 私の存在を全く気にかけず。

 ねえ、人の家に来て、人の姉がいて、どうしてそんな気兼ねなく喋れるの?

 まあ、寝て休んだことで体力が回復した霞のテンションがいよいよおかしいのもあると思うけど……そんな喋るタイプには見えなかったな。

 人は見かけによらないってやつ?

 見かけだけだと尼さんだもんね。

「あ、そうだそうだ、お見舞い持ってきたよ」

 スキンはそう言いながら、大事そうに抱える紙袋を開き、中身をそっと取り出す。

 今思い出した風を装ってるけど、絶対にタイミング見計らってたでしょ。

 それにあの紙袋……寝起きのレオンちゃんや、部活終わりのマリンちゃんとかと違って……何か用意して来てる!

「じゃーん。風邪の定番、おじやでーす」

 スキンは紙袋から土鍋を取り出し、蓋を開けて中身を霞に見せる。

 まだほんのりと暖かく、鍋の縁から湯気が溢れ出でいた。

 その匂いを嗅ぎ、霞とミノリは同時に唾を飲み込む。

「美味しそう……」

「でしょ、うちの秘伝の出汁をふんだんに使って作ったからね、もちろん、栄養も満点」

「じゃあ早速、いただきまー」

「ストップ」

「え?」

 鍋に入っているレンゲを取ろうした霞の手を、スキンははたき落とす。

「風邪でしょ?」

「風邪だけど……あ、もしかしてうつるから、このレンゲ使っちゃダメってこと」

「そうだよ」

 そう言いながら、スキンはレンゲを鍋から引き上げる。

 一口分、すくいながら。

「使うのは私、ほら、はいあーん」

「……え?」

「はい、あーん」

「あの……?」

「何? 食べないの? あー勿体無いな、でも捨てるしかないか……ゴミ箱どこ?」

「食べます! いただきます!」

 そう言って大口を開ける霞の口に、レンゲが差し込まれる。

 霞はたっぷりと時間をかけて咀嚼そしゃくし、飲み込んだ後で叫ぶ。

「旨ーい‼︎」

「当たり前じゃん。ほら、二口目」

 今度は霞の方から、餌に食いつく魚のように、レンゲに向かって首を伸ばす。

 その様子を震えながらミノリは見ている。

 『はいあーん』からあんな風に餌付けするなんて……ど、どんな味なの?

「あ、お姉さんも食べます?」

 スキンがミノリの方を向いて聞いてくる。

「いや、私はいいや、それは霞のだし……」

 ぐー。と、その言葉を打ち消すように、ミノリの腹の虫が鳴る。

 音だけでなく、意味も打ち消してしまった。

「ひ、一口だけ……」

「はい、どうぞ」

 スキンはレンゲを手渡してくる。はいあーんは、私にはしてくれないらしい。

 して欲しくないけど。

 ミノリは、一口分、少し多めに掬って口へ運ぶ。

 ……! これは……⁉︎

「どうですか? 味、お口に合いました?」

「大変……美味しいです」

 大好きな霞との間接キスが、スキンの味付けに、完全に上書きされる程度には。

 このままだと全て食べ尽くしかねないので、ミノリはスキンに押し付けるように、レンゲを返す。

「お姉さんの太鼓判たいこばんも得たところで、あいあ〜……あ」

「え?」

 再び霞にレンゲを向けたスキンが、間の抜けた声を出す。

 霞が口を開いたまま、目を開けると、自分のお腹の辺りに食べるはずの物が落ちていた。

「ごめん、落としちゃった、なんか、吐瀉物としゃぶつみたいだね」

「食事中……しかも自分で言う? 大丈夫だよ、すぐに拭けば、姉ちゃん、何か拭くものを……」

「ああ、それなら丁度良かった」

 ミノリが、霞とスキンの間に、ずいっと体をねじ込んで来る。

「体拭くのと着替えるの、同時にやっちゃお」

「え……今?」

「そう、今、じゃなきゃ意味ないでしょ、シミになっちゃうし」

「それは、そうだけど……」

 霞が何を言いたいのか、よーく分かる。

 恥ずかしいんでしょ? スキンちゃんの前で。

 それは彼女も同じはず。

 さてスキンちゃんはどうする? 目を逸らす? 部屋から出て行く? それとも帰る?

「あ、それなら手伝いますよ、私が原因ですし……それに」

 スキンは飄々ひょうひょうとした表情で霞を見ながら言う。

「一度、見てるんで」

「⁉︎ ゲフッゲフッ!」

「ちょっスキン……! って姉ちゃん大丈夫?」

 動揺しながらも、霞は急にむせた姉を気遣う言葉をかける。

「だ、大丈夫、ちょっとおじやが美味しすぎて反芻はんすうしただけ」

「訳がわからないよ……ってスキン⁉︎」

「ほら、早く脱がないとシミになるでしょ」

 相変わらず、スキンはミノリを全く気にかけず、ベッドに上がって霞のシャツを脱がしにかかる。

「ほらほら暴れない。服が脱がせにくいでしょ」

「自分でできるから! ちょっと姉ちゃん⁉︎」

「そう、ね……早く脱がせないとシミになっちゃう……」

 足の方に回ったミノリは、布団を跳ね飛ばし、霞のズボンに手をかける。

 それからしばらく押し問答があったが、最終的に、霞は2人の女性に見られながら着替えるのだった。



「じゃー私、帰るから」

「あ、もう帰るんだ」

 霞の着替えと体吹きを最後まで見た後で、スキンはそう言って帰り支度を始めた。

「何? もっといて欲しかったの? ごめんねー私、この後お茶会に行かないといけななくて」

「お茶会……? あ、茶道部で?」

「そ、まあパーティーみたいなもんだけど、私が幹事かんじで、私の家でやるんだ」

「主催者かい。今度やるときは僕も招待してくれない?」

「あ、言っとくけど乱行パーティーじゃないからね」

「そんなこと期待してねえよ!」

「あと、参加者全員女子だから、霞の体力だとちょっと……」

「だから期待してねえって!」

「元気になったらまた、ね?」

「ん? ああ……それは、普通の意味だよな?」

「私を何だと思ってるの……? 頭がおかしいだけの常識枠じゃん」

 そう言ってスキンは、髪の毛一本ない後頭部を霞に向け、パーティー会場へと向かっていった。



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