第8話:スキンシップ


 父親から、性的虐待を受けていた。

 それが、スキンの、円形脱毛を引き起こしたストレスの原因だった。

 スキンの家、僕は、制服をいつの間にか洗濯機にかけられていて、その間、半ば強引に、風呂に入れられたのだ。

 そしてそこに突然、スキンが乱入してきた。

 僕は最初に面くらい、続けて、慌てて出ようとしたが、スキンのその言葉を聞いて、その場から動けなくなった。

 彼女は僕を座らせ、石鹸を取って、それを僕の背中に押し付けながら、語り出す。

 初めは、本当にこんな、父親と一緒にお風呂に入るくらいのことから始まったらしい。

 母親も特には何も言わなかったため、そういうものなのかと、子供の時のスキン、まだ髪があった時代の彼女は、思っていた。

 この程度、普通のスキンシップだと。

 実際、子供であればその程度、普通のことだろうと、僕も思う。

 しかし、ことは次第にエスカレートしていった。小学校を卒業する頃には、着替えを覗かれたり、寝ている布団に入りこまれたり、マッサージと称して、身体のあちこちを触られたり。

 そしてある日、とうとう、無理やり服を脱がされ、そして、体を押さえつけられて……。

 何があっても、スキンがどれだけ泣いても、母親は、知らん顔をしていたらしい。何食わぬ顔で、食事を続けていたらしい。

 それ以降、スキンの体に変化が起き始めた、強いストレスの影響で、髪は抜け、肌は荒れ、それでいて、体の成長は……体の性徴は、早く顕れていった。

 しかし、スキンの体が、大人の女性を通り越して、まるで老人のようになっていくにつれて、父親の興味は薄れたようだった。

 そして、父親の愛情が妻に……つまり、スキンの母親に、戻った。

 妻はそれを喜ばしく思ったそうだ。

 母親が娘に、夫を奪われ嫉妬する。信じられないことだが、実際にはそういうことだったのだろう。

 こうして、夫婦仲睦まじい、幸せな一般家庭に戻ったのだった。

 ただ一人、ボロボロの娘を除いて。

 話の間、僕が何か口を挟もうとするたびに、スキンに背中をつねられて、口を閉ざされていた。

 同情も共感も、求めてられていない。そもそも、同じ経験をしなければ、理解なんてできないだろう。

 そこから先の話は、二人して湯船に浸かりながら、行われた。

 僕の家とは違う、広い湯船。

 しかもなんと、露天だった。

 カーテンで閉ざされたその先、ベランダに、商業施設でしか見られないような、モダンな露天風呂があったのだ。

 そんな設備も、そこから見える夜景も、快適な湯温も、肌に良いという入浴剤も、感動も、

 スキンの話の前には、無力だったが。

 しばらくして、両親が死んだ。と、スキンは話を続ける。

 仲睦まじく、旅行に行った先で交通事故に遭って。

 いや、浮かれていて、交通事故を起こしたのだろうことがすぐに分かったそうだ。

 借金取りが家に来たからだ。しかし、取り立てる相手がこの世にいない。

 残されたのは、一番の被害者である、不幸な少女だけだった。

 しかし、そこから先は、幸運の連続だったと、スキンは語る。

 親戚の中に、住職になった叔父がいたのだ。

 叔父は、その借金を代わりに支払うと共に、少女を自分の寺で引き取った。

 それからというもの、全てのけがれを払うように、少女を丁寧に育てた。

 その少女は、苗字も、名前も、変えられた。

 そして今の、間流山理空になった。

 やたらと物々しい名前は、そういう理由だったのか。

 僕のこの発言は許された。

 いや、ここから先は、全て『良い』出来事だから、コメントOKということか。

 その日が誕生日だったと、スキンは言う。少なくとも彼女の中では、冗談ではないだろう。

「じゃあ……その髪型は、その時に剃られたの?」

「剃られた、じゃなくて、剃ってもらったの」

 僕の言い方を、彼女はやんわりと修正する。

 初めは叔父も反対したそうだが、スキンの頑固さに押され、結局望みを叶えてやったそうだ。

 スキンが中学生の時である。

 強引なのは、その時からなのか……。

 そして、学校に通い、案の定、髪型のことで虐められつつも、全く臆することなく、勉強に励み、家に帰っては、お寺の仕事を手伝った。

「え? じゃあこの家は誰のもの? どうしてスキンが住んでるの?」

「今から話すから、黙って聞いててよ」

 気持ちがはやる僕を制して、スキンは今に至るまでの経緯を話す。

 スキンが高校に上がるタイミングで、叔父は彼女を一人暮らしさせた。お寺から高校までだと、かなり距離があることに加え、彼女には、大人になるまでに、一度一人で過ごす時間が必要だと考えたそうだ。

 大人でも、子供でもなく、一人で生きられながらも、誰かに頼っていい時期。

 そして、叔父は、学校に近く、買い物に便利で、セキュリティーの整った物件を探した。ちょうどいい場所に、ちょうどいいマンションがあったけど、最上階しか空いてなかったから、そこを『買った』。

 ということらしい。

 坊主丸儲けとは言うけれど、儲かってるんだろうな……その住職。

 タワーマンション最上階を、入学祝い感覚で買うな。

 まあ……スキンのこれまでの境遇を考えれば、そのくらいのことは、したくなるだろうけど。

「あー……話せてスッキリした!」

「そう……それは……良かった……」

「何? さっきらボーッとして、あ、そろそろ効いてきたかな?」

 そう言うとスキンは、意識が朦朧としている霞に近づきーー唇が触れそうな距離にまで近づき、そっと、口付け……じゃなくして、告げ口した。

「睡眠薬入れたの。頭痛薬の、お返し」

「……」

 その『返』は、多分恩を仇で返すとかに使われるの『返』だ。

 変だと思った、会って間もない僕に、自身の異常な体に関して、体以上のことをペラペラと話すなんて。

 僕が高校に入る一年前から、この高校で、誰にも打ち明けず、内緒にしてきた秘密。

 それを僕に、まあ、打ち明けるというか、撃ち込むというか。

 どうやら、勝手に煮湯を浴びせられたみたいだ。リアルに。

 スキンは、出会ってから初めて見る笑顔を、こちらに向けている。もしかすると、その笑顔は、スキンが『誕生して』以来、最初の、最高の笑顔かもしれない。

 それを見ながら腹上死、ならぬ浴場死を迎えるというのも、悪くないのかもしれない。

 水死体は、体の表面が溶けて、悲惨な状態になると聞くが。

 悲惨な過去を経験したスキンには……慣れっこ……なのか……な、

 そこで僕は、ぷっつりと意識が切れてしまったようだった。


********************


「霞〜大丈夫?」

「ん……あれ? 姉ちゃん……」

「あ! 良かった、やっぱり、長く入れすぎたね。ごめんねー無茶言って、無理させて」

 それから、それから。

 自宅の浴室で、スキンとの会話をほとんど思い出した僕は、多分湯当たりで倒れて、部屋に運ばれ、寝かされてるって訳か。

 姉に、膝枕されて。

 ……このシチュエーション、もう一人のヒロインとの記憶が蘇りそうだ。

 まあ、あっちは思い出すまでもなく、鮮明に覚えてるんだけど。

 僕はすくっと起きあがろうとする。しかし、それを上から姉の手でおさえつけられる。

 なんかこれも……既視感。

「まだだーめ」

「もう大丈夫だって……」

 さっき自分でも確認してなかったか?

 それよりも、記憶があるうちに、スキンのことをしっかりとメモしておかなくては。

 本人は、『今は幸せだから』と言っていたけれど……そりゃあ、あの家での暮らし振りを見れば、誰しもその幸せに疑いを持たないだろうけど。

 僕は、彼女の学校での様子を知っている。

 多様性を尊重する校風と、それに同意する、どころか体現する生徒が多く在籍する高校だから、中学の時のような虐めはないけれど、

 誰も彼女に触れない、話題にも出さない。孤立、孤独。それを周りが、孤高と解釈して、距離を置いている状況

 彼女はそんな状況を『居心地が良い』と言っていたけれど、

 スキン、本当は、寂しいんじゃないのか?

 筆箱を落としたのも、実のところ、構って欲しかったんじゃないか?

 いや、頭痛が演技だとは思えない。実のところじゃなくて、頭痛のところか。

 頭痛。

 不摂生な生活習慣、例えば睡眠不足とかが原因でも起こり得る。僕の頭痛の種は、多分それ。

 しかし、彼女のあの、食事や入浴への気の遣いよう、手の込みようを考えれば、それは考えにくい。

 だとすれば、頭痛の理由は、ストレス。

 学校内での、ストレス。

 相手に無視されるまで、自分をひた隠し続ける、ストレス。

 やっぱり、このまま彼女を放ってはおけないよな。

 『今が幸せ』というならば、これからも幸せになるべきだ。

 自宅を見せるだけで、一躍有名人にだってなれる。

 ただし、秘密もバレる。

 どうすればスキンが、彼女自身だけでなく、社会に復帰できるのか。

 これから考え続けなくてはいけない。

 だから、早く起き上がって……。

「もう……そんなに起きたいならどうぞ、勝手にすれば?」

「え……?」

 姉が、今日に限って素直だった。僕がのぼせさせた負い目を感じているのだろうか?

 別に、記憶を思い出すために残り続けたのは僕の意思だから、自業自得なんだけど。

 まあいいや、解放してくれるなら、遠慮なく……。

「その前に……今日の混浴の、お礼♡」

「……え?」

 唇を、重ねられた。

 膝枕していた姉が、そのまま腰を曲げて、顔を近づけて来た時、強い既視感を覚えたのだが、

 まさか。

「……! …………⁉︎」

 しかも深い。

 ディープなキスだった。

 唇ごと吸い取られるように、むしゃぶりつかれるように、吐息一つ外に漏れない。完全なる接吻だった。

 ……息が出来ない!

「……っぷは、っん……んん……んぐ」

 姉は、自分の好きなタイミングで呼吸をしつつ、僕の全てを口から吸い尽くすかのような、熱く、激しく、それでいて……甘いキスをした。

「ああー……ご馳走様っ! たまにはこういうスキンシップも挟まないとね」

 姉はそう言って僕の頭から手を離す。

 僕は放心していた。

 スキン……シップ? 

 レイプでは?

 又は近親相姦?

 そこまでの追体験は求めてない。しかもスキン目線の。

 当の姉は、気にすることも臆することもなく、『こんなのフランスじゃ普通だよ』とか、絶対にフランス人が言わないセリフを言い、一人でベットに潜り込んで寝てしまった。

 未だに酸素欠乏で動けない僕に、寝る前に一言、言った。

「なんか、キシリトールの味がした」

 それは、スキンから貰ったお礼で、帰宅の時に思い出して、ずっと噛んでいたガムだ。

 なるほど、僕の口の中で、食材になっていたらしい。

 お礼がこんなオチに使われてしまった件について、このガムを作ったメーカー、仕入れたスーパー、並べた店員、そして買ってくれたスキンに、

 今のこの場で、贖罪しょくざいしたい。

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