第3話:階段、快談、ある意味怪談


 教室の電気を消し、ドアを閉め、階段の前で、彼女に追いつく。

 スキンは、立ち止まり、振り返り、霞に向かって言う。

 物凄く、嫌そうな顔をしながら。

「なんでついて来んの?」

「いや……僕も帰り道、こっちだから……」

 学校内だと、窓から飛び降りない限り、大抵の生徒は玄関まで一緒になってしまうと思うのだが。僕のこの行為は、ストーキングになるのだろうか?

「ああ、そっか、そうだよね、ごめん、私勝手に、心配されてんのかと思った」

「いやいや謝るようなことじゃ……え?」

 霞は、最後の言葉の意味を計りかねる。  

 心配は、そりゃあするだろう、普通。

 なのにその言い方……まるで、心配されることを拒否しているような……。

「じゃあね、もう私には関わらないで」

 そう突き放すように彼女は言い放った。

 しかし、直後、彼女の望まない通りに、僕は動くことになる。

 スキンは、階段に一歩目を踏み出し、そして、その一歩目を……踏み外した。

 彼女の体が、真後ろに倒れる。

 彼女の真後ろにいるのは、僕だ。

 関わるな、と、言われたところで。

 僕の反射神経では、避けられなかった。

 倒れてくる彼女を、咄嗟に両手で抱き止める。

 しかし、僕の筋力では、支えることなどできない。

 結果、二人して、後ろにひっくり返ることになった。

 ドスっと。僕の体を下敷きにして。

 本当、彼女が少しでも階段を降りていなくて助かった。もし階段の途中だったら、僕は段差と彼女にサンドイッチされていただろうから。

 江戸時代にそんな拷問があったな。ギザギザの板の上に正座させて、上に重い石を乗せるやつ。

 それでも、僕は彼女の安否を確認した。

「だ、大丈夫? スキン……」

「……何してんの?」

「え」

 スキンは倒れたまま、すなわち、僕の上に寝そべったまま、そんなことを言った。

 貝を抱くラッコのような姿勢。二人して天井を眺める。

 それは、この状況を見た第三者の言うセリフであって、当事者のあなたは一番良く分かっているはずだが?

 当事者というか、加害者というか。

 見方によっては、頭痛の被害者と言えなくもないのか?

 どう転んでも、どう倒れても、僕は被害者だと思うけど。

 文字通り、一歩違えば犠牲者になっていた。

「触らないで」

 確かに触れてはいるが、どさくさに紛れてどこかを触ったような、そんな冤罪えんざいを僕にかける口振りはやめてほしい。

 本当に肩を押さえてただけだ、土壇場で、別のことに意識を向けられるほどの胆力は僕になはい。

「病弱が移るから」

「病弱が移るか!」

 症状は移っても体質は移らないだろう!

 もしそうなら、今頃僕の姉は寝たきりになっているはずだ。

 中学生の時の僕のように。

 そんな突っ込みを入れている間に、スキンは手すりを掴んで立ち上がり、パッパと制服の埃を払っている。

 そこで払われると全部僕に降りかかってくるんだけど……。

 不衛生ふえいせいは、うん、移るな。飛び移るな。

「怪我してない? 立てる? 大丈夫だね? じゃあね」

 スキンは僕がノロノロ立ち上がるのを見て、一人で結論づけ、さっさと階段を降りていく。

 老人のように、手すりにもたれかかったまま。

 彼女の方が、どう見ても大丈夫じゃない。

 僕は、スキンと同じゆっくりとしたスピードで、一定の距離を離れて、それでいていざと言うとき手が届く近さで、階段を降りて行った。


********************


「だから、なんでついてくるの?」

「せめて正門までは許してくれない?」

「……部活とか、ないの?」

「幽霊を入れてくれる部活はないんだ」

「幽霊研究会とか行けば良いんじゃない? 歓迎されるよ」

除霊じょれいされるんじゃないかな……」

 そんなこんなで、僕とスキンは玄関までたどり着いた。

 背中合わせに、上履きをしまい、靴を取り出しながら、会話を続ける。

「スキンこそ……ないの? 部活」

「あるけど、行ってない」

「……なんで?」

「先に理由を聞くんだ、何の部活? じゃなくて」

「茶道部でしょ?」

「なんで知ってんの……気持ち悪い」

 クラスメイトの部活を知っているのは、気持ち悪いそうです。

 ごめん、レオン、マリン、僕気持ち悪かった?

 ところで僕がどうしてスキンの部活を知っていたかというと、単純に、入学当初……といっても僕の入学(編入)なので、2年の4月になるが、茶道部の部室前を通りがかった時に、彼女を見かけたことがあるからだ。

 あの頭は、着物姿よりも目立っていた。

 僕とスキンは同じタイミングで振り向き、靴を下に置く。見事にシンクロした動きだった。

 タイミングって、なんか変にずらそうとすると揃っちゃうことあるよね。

「……とにかく、もう私には関わらないで、余計な詮索せんさくはしないで」

「はいはい」

 部活の話題を振ってきたのはそっちなんだけどな……。

 僕はそう思いながら、手早く靴を履く。ほとんどサンダルのような構造の靴であり、履くのが非常に簡単だ。

 チラッとスキンの靴を見る。他人の靴なんて普段は気にしないが、仮にヒールの高い靴を履いていた場合、今の彼女には危ないと思ったのだった。

 大丈夫だった。なぜなら、彼女の履いてきた靴は、草履だった。

 草履て、やはり髪型も相まって、古式ゆかしさを感じてしまう。

 これならすぐに履いて歩き出せそうだ。

 僕がそう安心したのも束の間。

 スキンの足に、草履が上手くはまっておらず、彼女は前に踏み出すと同時につまずいた。

 ここは学校の玄関、元気な若者にとって往来の邪魔でしかないような手すり等は、設置されていない。

 スキンの体が前に……僕に向かって倒れてくる。

「え……ちょ」

 完全に不意打ちだった。しかし、今度もなんとかスキンの肩を押さえるとこに成功する。

 できたのは、それだけだった。

 スキンの体は止まらず、僕の体ごと、後ろに押し込んでくる。

 両足とも靴を履き終えていた僕は、下駄箱前の土足厳禁エリアに足を踏み入れることを躊躇し、そのせいで両足はその場に残したままだった。

 そのため、スキンの体を止めるための、足腰の踏ん張りが効かず、手押し相撲で劣勢になった時のような、背中を反った体勢になる。

 カッカッ、とスキンが数歩前に出てバランスを取ろうとする。

 そして彼女は対岸までたどり着いた。向かいの下駄箱を壁代わりに、手をついて体を垂直に保つ。

 僕はスキンの肩を押さえたままだ。そして僕の背中に下駄箱がある。

 今度は、下駄箱とのサンドイッチだった。

 側から見れば、抱き合っているようにしか見えないだろう。

 そして、僕から見れば、彼女に壁ドンされているとしか表現できない。

 えっと……これは……。

「何やってるの?」

 半ば呆れたような顔と声で、スキンが言う。

「それはこっちの台詞だ!」

 僕は、腰から背中を綺麗に反らした、大変な体勢のままで、反論する。

 今回ばかりは、僕には一切の非がないと主張させてもらう!

「良いツッコミだね、よく聞く台詞だけど、生で初めて聞いた。言ってて恥ずかしくない?」

 そう言いながらスキンは、『よっこいしょ』とか言いながら、手で下駄箱を押し、反作用で自立した姿勢に戻る。

「じゃあね」

「ちょ、ちょっと待って」

 スタスタとその場を去ろうとするスキンに、霞が声を振り絞って引き止める。

「まだ、何か?」

「いや、そうじゃなくて……助けて」

 言った台詞が恥ずかしければ、言っている姿勢も恥ずかしい。

 下駄箱に後頭部がめり込み、縦向きで首ブリッジをしているような状態の僕は、ひっくり返された虫のように、ジタバタとするだけで、自力で戻れなくなっていた。

「ほんとに……何やってんだか」

 そうやった張本人が、しかし、今度はどこか嬉しそうな顔で、僕のワイシャツの胸のあたりを掴んで引っ張り、元に戻す。

「あ、ありがとう……」

「変なの」

「え?」

「私が原因でそうなったのに、私に感謝するなんて」

 良かった。自覚はあったみたいだ。

 それと、一般的な罪の意識も。

「まあでも、これで、チャラってことで」

「何が……?」

 もしかして、頭痛薬をあげたこととだろうか。

 心配されたくないと言うよりは、借りを作りたくないのか?

 それで、これで……チャラ?

 頭痛を治してもらったことと、自分で倒した相手を引き起こすことが、彼女の中では等価なのだろうか。

 まあ、頭痛を治したのは僕じゃなくて薬だけど。

 その辺の貢献度もカウントされているのか?

 いや待て、それじゃあ階段の出来事はどうなる?

「あれは、たまたま後ろにいた朝山が、たまたま私の下敷きになっただけでしょ、それで、私は助かり、あなたは良い思いをした、だからノーカウント」

「良い思いって……僕をドMだと思ってる?」

 したのは、『良い思い』じゃなくて、『いい、重い』だ。

 そして僕はMじゃない、好きで怪我したり病気になったりしてるわけじゃない。

 MはMでもメディカル(医療)のMだろう。

「貸し借りが無くなったところで、一つお願いがあるんだけど」

 貸し借りが無くなっとという既成事実きせいじじつが、スキンによって勝手に作られていた。

 借りた側が一方的にチャラにできるとか、高利貸しも真っ青な権利の濫用らんようだろう。

 まあしかし断れる雰囲気じゃないし、(台詞からも僕が断る余地はなさそうだし)、どんなお願いなのか気になるところでもあるので、僕は表向き、快諾した。

「いいよ、部活もなくて暇だしね、僕にできることならなんでも……」

「買い物に、付き合って」

 その言葉を聞いた僕は、一瞬顔を引きらせた。

 ついこの前、同じことを、同じクラスの女子に頼まれて、そして大変なことになったのだ。

 ま、まあ、あの時とは状況が全く違うし、それに、あれも決して悪い思い出ではなかったから……そう身構えることもないだろう。

 そう身構えなかった僕に、スキンは、何かを含んだ笑みを見せ、僕の返事を待たずに、続けて言った。

「良いよね? この前、滝眺たきながと一緒に行ったんでしょ?」

「はい……」

 これはお願いではなく、脅迫ではないだろうか。

 マリン……あなたの方が噂になってるよ……。

 スキンはどこまで知っているのか、それを確かめるためにも、霞は彼女に従い、校門を出た。

 拷問のような、時間だった。

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