第10話:壁に耳あり障子に目あり家に姉あり

「どうだった? マリンちゃんとのデート」

「ブッ⁉︎」

 帰宅後、霞は、珍しく家にいる姉と夕食を取っているときに、突然そんなことを言われた。

 危うく、口の中の物を吹き出しかけた。一口が小さくて助かった。

「何で知ってんの⁉︎ いや、ていうかあれはデートじゃなくて……」

「嘘ー? 『カップルだって言ってた』って言ってたよ私の友達が」

「何者なの……? その友達」

「ただのカフェの店員」

 昼のパンケーキ。あの時の店員か……!

 霞は、もう二度と、カップル割引きを利用してパンケーキを食べないと誓った。

 嘘をついたバチが当たったのか? いや、そうでなくても、姉には話は伝わっていただろう。

 姉の顔が広いのか、僕の運が悪い(良い?)のか。

 両方だろう。そもそも、マリンに出会ったこと自体偶然なのだ。

 電車一本違えば、会えなかった偶然。改札を出る方向が違えば、見つけることも、見つけることもなかった偶然。

 ひとまず、この偶然の出会いには感謝するべきなのだろう。

「いや、勝手に良い話にして終わらせようとしないで。で? どうだったの?」

「どうもこうもないよ……ご飯食べて、ちょっと買い物して、終わり」

 『ちょっと』どころではないが。

 それに加えて、買い物以上の、異常なイベントがあったが。

「えー⁉︎ 嘘! それだけ?」

「それだけだよ」

 仮にそれだけでも、僕としては大変なイベントなのだ。

 まあ、コンビニに買い物に行くノリで、異性との逢瀬おうせを重ねる姉には、分からない感覚だろう。

 しかも立ち読みするノリで、体まで重ねていることが、今日判明してしまったからな……。

 倫理観どーなってんの。

 『うちの姉の倫理観がやばすぎる件』とかいうタイトルでラノベが書けそうだ。

 本当に血の繋がった姉なのだろうか?

 これで実はどちらかが養子で、『血のつながりはありません! 義理の姉弟でした!』とかだったら、大変なことになる。

 薄い本が厚くなってしまう。

「結構可愛かったって聞いたよ、そのマリンてっ子。もったいないなー、でもまだ霞にはホテルに連れ込む度胸とかないもんね」

 確かにそんな度胸は僕にはない。

 あったのは、連れ込まれる状況だけだ。

「あ、でもでも家には呼べたんじゃない?」

「姉がいるのに?」

「私よく連れ込んでるよ」

「この家に⁉︎」

 姉に、サラッととんでもないことをカミングアウトされる。

 おいおい冗談じゃない。

 だとしたら、一体どれだけの人間がうちのベッドで寝てるんだ! 俺も同じ場所で寝てるんだぞ! けがらわしい!

 姉が抱かれてるのは良いのかって? ご自由にどうぞ。それは家族が勝手に外食してるようなものだ。

 姉にとっては、好きなものだけ、好きなだけ食べる、バイキングみたいなものかな?

 バイキングなのは、多くの男性の純潔じゅんけつを奪いまくってる、姉自身か。

 奪いま食ってる?

 倫理観だけじゃなくて、道徳感もないらしい。

 僕はそんな人と、一つ屋根の下で暮らしていて、大丈夫なのだろうか?

「他に何か言っていた? その店員の友達は……」

 今のうちに食らえるものは食らっておこうと、霞は一旦食事の手を止め、覚悟を決めて姉に聞く。

 しかし、姉は、もうその話題は終わったとばかりに、興味なさげに答える。

「え? 別に? そんだけ」

「あ……そうなんだ」

 意外だった。

 そりゃあ、その店員にとっての一番の関心は、知り合いの身内である僕に注がれることに、疑問はないけど。

 マリンを見て……具体的には、あの背の高さを見て、何とも思わなかったのだろうか? 

 僕が女性といることしか認識していなかった? いいや、さっき『可愛かった』と言う言葉が出ていた。となれば、店員は、マリンの顔を見たはずだ。

 マリンの顔は、見上げなければ見えない。

 ……案外、他人の身長なんて、特別気にしないのかな?

 特に、大学生、大人ともなれば、もっと高い人や目立つ人は沢山見ている……のかも。

 高校だから、狭く、目立つだけなのかもしれない。

 マリンは、絶えず周囲の目を気にしていた。

 帰り際にマリンに聞いたのだ。どうしてそんなに、勉強も、品行も、良くできるのかと。

 答えは単純『目立つから』だった。

 中学生までは、イジメにも遭っていたらしい。

 体が大きいこと、そしてそれ以上に、運動音痴だったことが原因で。

 鬼ごっこや、かくれんぼや、ドッヂボール。

 どれも、高い背は、不利に働く。

 だから、努力して、運動音痴を克服した、自分が活躍できる、フィールドを見つけた。

 その才能を活かせる高校に入れるように、勉強した。

 高校に入ってからは、イジメられないよう、人付き合いも良くした。

 僕は、そんな話を、電車内で聞かされたのだった。

 マリンの、そんな苦労話と努力を聞いていた僕は、ただひたすらに、彼女を見上げるばかりで、頭が上がらない思いだった。

 しかし、電車から降りる時に、マリンから、今日一日買い物に付き合ってくれたことと、プレゼントしたヘアピンへの感謝をされ、少し誇らしい気持ちになった。

 実はあのプレゼントは、姉の入れ知恵である。

 異性からの好感度を上げるテクニックを、頼んでもいないのに、日頃から聞かされていたのだ。

 その時はうんざりしていたが、まさか、役に立つ日が来るとは。

 目の前に本人もいるのだし、一応、感謝を伝えておこう。

「ありがとう」

「え? 突然何? 何への感謝なの?」

 今日は、よく眠れそうだった。

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