第8話:ホテルイン、トライ、テイクオフ

 目を覚ましたとき、見知らぬ天井が見えた。

「ここは……?」

「良かった、気が付いた?」

 記憶喪失きおくそうしつから意識を取り戻した人間が言いそうなセリフ第一位を言う僕に、マリンから、お決まりの返事が返ってくる。

 少なくとも、誘拐ゆうかいとかはされていないみたいだ。

 周囲に目を向ける。

 ベッドの側に時計があった。デジタル盤に夕方5時と表示されている。となると、僕が気を失っていたのは、せいぜい1時間かそこらだろう。

 長時間寝ているのも、そばでずっと見守ってくれていたマリンに悪いと思い、掛け布団をまくり、枕に肘をついて体を起こす。

 ……ちょっと待って。

 ここはどこだ?

「あ、まだ安静にしてた方が良いよ……長めのプランを取ったから、時間はまだあるし」

 マリンにそう言われ、両肩を支え(押さえ)られながら、ゆっくりと布団に戻される。

 そうか、それなら、もう少し体力の回復に努めるとしよう。

 幸い、ここにはベッドも、空調も飲み物も、浴室まである。

 …………え?

 だんだんと、霞の頭が正常な思考を取り戻していく。

 なに? 長めのプランって。

 なんで? ベッドも空調も飲み物も浴室もあるの。

 いやいや、まさか、そんな、でも、ないない、ありえない、さすがにね? 被害妄想というか、単なる妄想がすぎるよ。

 真っ先に思いついた、この状況に合致する、一番妥当な選択肢を、思春期の男子特有の妄想と切り捨て、他の可能性を模索もさくする霞。

 しかし、マリンの、霞を気遣って言った一言で、状況が確定する。

「料金は気にしなくて良いよ、学割と女子会プランのクーポンを使って、安く済んだから」

 女子会プラン、そんな言葉が使われる場所は、飲食店以外でそこしかない。

 チラッとマリンの方を見る。ここに備え付けの、パンフレットをこちらに開いて向けている。

 サービスの内容は、どうでもいい。問題は、主語だ。

『当ホテルでは、若者の皆様に気軽にご利用して頂けるよう、各種割引をご用意してあります!』

 ホテルじゃねーか‼︎ ここ‼︎

 霞は驚き勢い余ってゴッ‼︎ と、ベッドの頭上の板に頭をぶつける。

 ポトっと、顔の横に、半透明の四角い袋が落ちる。指輪ほどの直径の、ゴムのリングが透けて見える。

 これは……ここは、やはり……ホテルはホテルでも……。

 バンッとその上に手を被せ、掴み、布団の中に引きり込んで隠す。

 これを使うことはない。いや使わないって訳じゃない。いやだからそもそも『そういうこと』にならないって。

 霞は、布団を引き上げて口元を隠しながら、ソファに座っているマリンを眺める。

 普段通りの凛々りりしい表情だ。

 ……一応聞いておこう、一応。

「あの、マリンさん、助けて貰っておいて誠に恐縮なのですが……なぜこの場所に?」

「それは……まず、私が買い物から戻ったら、ベンチの上でぐったりしている霞くんを見つけて……少しパニックになったけど、そのままそこに放置する訳にもいかないから、取り敢えず背負って外に連れ出したんだ」

 なるほど、流石はキャプテン、病人の救護きゅうごもお手のものか。

 それで?

「救急車を呼ぼうか迷ったが、単なる疲労だろうし、少し安静にすれば目を覚ますと思ったから、ゆっくりできる場所を探したんだ」

 状況判断じょうきょうはんだんも的確だ。僕が逆の立場だったら、マリンの様子も見ずに、すぐに救急車を呼んでしまうだろう。

 いや、そんなことも出来ず、ただその場でオロオロ、ウロウロする自分の姿が容易に想像できた。悲しいことに。

 それはさておき、それで?

「それで、近くにちょうどいいホテルがあったから、入った」

「それだ」

「何が?」

 黙って聞いていた霞が、そこでマリンの説明にストップをかける。

「いや、なんでそんなに躊躇ちゅうちょなく入れたのかなって……」

 恥ずかしながら、僕は、このような場所に来るのは、これが初めてだった。家派とかそういう話ではなくて、そういう経験がないだけだ。

 これがぞくに言う絶食系男子である。

 絶滅どころか増えているらしい。

 ダーウィンもびっくりの進化である。

 まあ、彼が現代に来たら、男子の変化よりも、変化した社会の方に驚きそうだけど。

「ここではないけど、前に、同じ系列のホテルは利用したことがあってね」

 そう、淡々と答えるマリン。

 それを、霞は、すました顔で聞く。

 彼女は、見た目の割に、その、結構している……のかな?

 瞬間、霞の脳内に組み上げられていく、完全なるセクハラ的妄想を、自分の頭をぶん殴ることで瓦解がかいさせる。

 落ち着け、落ち着け、さっきヒントがあったじゃないか。

「じよ、女子会とか……で?」

「そうそう。私も最初に聞いた時は驚いたけど……やってみると案外楽しくって、『ラブホ女子会』」

 霞は、『最初からそう思ってましたよ』といった、余裕の表情を頑張って作り。マリンに向き合う。

 それ……本当にあったんだ。都市伝説かと思ってた。

 本当に最近の子は、先入観というか、そういうことへの抵抗感が少ないのか……。

 こんなことを言っているから、僕はいつまでも絶食系なのだ。

「あ、でも……」

 でも?

 なんだ?

 マリンの顔が、急速に、赤く染まっていく。

「男の人と来るのは……初……め、て」

「……」

 言わなくていいのに。

 言わなくて良かったのに‼︎

 そうすれば変に意識することなく、詮索せんさくすることもせず、僕はこのまま大人しく眠りについたというのに!

 彼女は、誤魔化ごまかし方とか、はぐらかし方を知らないのだろうか?

 世渡よわたり上手な秀才タイプだと思ってたが、やっぱり不器用な生真面目きまじめタイプなのか?

 その性格の真っ直ぐさこそが、マリンの、人望を厚く、人脈を広くする要因なのだろうけど。

 僕はどう反応すれば良い?

 こればっかりは、姉には聞けない。

「……」

「……」

 気まずい沈黙が、2人の間に流れる。

 次の瞬間。言ったマリンも、聞いた霞も、相手から目を逸らすように、顔をそむける。

 どうするんだ……この空気!

 ここで寝たふりを決め込むのも無責任だし(どんな責任だ)、どうにか平和的な話題を……と霞は頭を回し、目線を周囲に走らせる。

 そこで、マリンの足元に置かれている紙袋に目が止まる。

 ショッピングモールのお店の紙袋。けど、店員が詰めたにしては、歪に膨らみすぎている。持ち手を留めるテープも、切られた形跡けいせきがある。

 これが意味することは、つまり。

「買った服……どうだった?」

「え?」

「着たんでしょ、僕が寝てる間に」

「……うん」

 霞の推測は当たっていた。

 開けられた跡の残る紙袋だけでも、証拠としては十分だし、それ以前に、1時間もの間、マリンが、買った服を無視していたとも考えにくい。

 しかし……だとしたら惜しいことをした。

 もし意識があれば、カッコいい姿のマリンを拝見することができたというのに!

 もし意識があったら、そもそもこんな場所には来ていないけど。

「……見たい?」

「え? そりゃもちろん」

 マリンが、恐る恐ると言った口振りで聞いてくる。

 霞は、即答する。

 見たいと思っていたことがバレバレだった。まあ、その話題を出した時点で……ね。

 それに、ここまでの買い物で、ファッションショーのような試着に付き合い、その度に『綺麗だ』とか『似合ってる』とか『カッコいい』とかあれやこれや感想を言いまくっていた僕が、ここにきて『いや別に見たくないけど』などと言う訳がない。

 見たい、是非見たい、なんなら、買うまでと、買った後も苦労した分、1番見たい。

「分かった……見せて、あげる」

 そう言って、マリンは椅子からスッと立ち上がる。

 その声色には、少し迷いが滲んでいた気がした。

 迷い?

 買った服、自分ではあまり気に入らなかったのだろうか? それとも、何度も着替えるのが面倒なのだろうか?

 あ、そうか。

 霞は気付く。

 僕が見ていては着替えられないじゃないか。

 姉の着替えを長らく間近で見てきており、今や部屋の景色の一部として処理していた霞は、ようやく一般的な感性を取り戻す。

 さて、どうするか。

 ここで目を閉じて、『何も見てないよ』なんてことを言って信用できるはずがない。男のこのセリフほど信用できないものはないと、男の僕だから断言できる。 

 信用薄めの、信用のない薄目である。

 浴室の方に着替える場所がある、ベッドからは、僕が身を乗り出さない限りは死角しかくだ。そこならば着替えられるか?

 いやいや、むしろ僕の方がどこか目の届かない場所、例えば、浴室の中とか、トイレの中とかにこもるべきか?

 霞は、部屋の空間で、互いに死角になる二点の座標をシュミレートして割り出していく。

 その目の前で、マリンは、腰を折り、手を下げる。

 紙袋を持って、マリンの方が移動するみたいだ。病人の僕を極力動かさない配慮はいりょだろう。

 と、霞はマリンの動きから、そう予想した。

 実際は違った。

 彼女は、そのまま腰に手をかけて、

 そして、ホックを外し、スカートを下げていた。

 その行為は、霞の度肝どぎもを抜いた。

 ……はぁ⁉︎ 何やってんの⁉︎

 霞は、布団の上で横に転がり、マリンから距離をとりつつ、背を向ける。

 さらに目を閉じ、布団も被り、マリンのその行為・行動に納得できるような理由を考えていた。

 どうして異性の前で着替えられる⁉︎

 姉の前は別としても、霞には、到底できないことだった。

 部活をやっていると、肌を他者に見せることへの抵抗感が薄れるのだろうか? 

 更衣室で、大勢の前で着替えることになるのだろうし。

 練習試合とかで、慣れない場所で着替えることもあるのだろうし。

 場合によっては、コーチの前とか、同じバレー部として男子と同じ場所で着替えることもあるのか?

 いや、それはないっ!

 つまり、説明がつかないっ!

 あとは、マリンがあまりにも鈍感どんかんか、露出趣味ろしゅつしゅみがあるかのどちらかだろう。

 後者はないとして……前者にしても、鈍感とか、そういうレベルなのか? 

 常識が、一般的な羞恥心しゅうちしんが、欠如していないか? それ。

 だとしたら心配になってくる。

 『ちょっと休憩するだけだから』、とか、『先っぽだけだから』とか、そういう、男子の極めて信用ならない言葉を信じてしまわないだろうか!

 布団の外から、『ファサ』……という音と、『プチ……プチ』という音が聞こえてくる。

 脱いだスカートを椅子の背もたれとかに引っ掛けて、ブラウスのボタンを外しているところだろう。

 一応言っておくが、僕は断じて見ていない。

 姉の生活音を四六時中しろくじちゅう聞いているせいで、女性の着替えの音から、具体的に何をどうしている最中なのか、わかるようになっただけだ。

 言葉にすると、気持ち悪いな、この能力。

 想像ハラスメントか、音ハラスメントか、着替えハラスメントか。

 まとめて想起ハラスメントと呼ぼう。

 ついでに言っておくと、最初に下ろしたスカートの中身も見ていない。

 マリンが腰を折ったことで、ブラウスの裾の部分が垂れ下がり、第二のスカートのようになって隠れたのだ。

 え? 見ようとしていたんじゃないかって? いやいや、最初から目線がその位置にあっただけだ。

 すぐに逸らすべきだっただろうという突っ込みは無しだ。あれは、不可抗力ふかこうりょくだ。

 などと、霞は、見えない誰かに向かって必死の弁明べんめいをしていた。

「終わったよ」

「……んー」

 その時、上の方から、マリンの声がかかる。

 霞が、あえて寝起きのような気怠けだるい返事を返した理由は、『この一瞬で眠りに落ちてしまったため、何も聞かず、何も想像していませんよ』というアピールのためだ。

 もっさりとした動作で布団をまくる。

 さて、どんなスタイルになったのだろうと、期待に胸を膨らませて、マリンを見る。

 見えた。

 そして……見えた。

 ベットの上の僕を見下ろす、ベッドの横に立っているマリンが、

 上下とも、下着姿でいるのが。

「……ピュィ」

 思わず変な声(音)が出てしまった。

 飲み込んだ唾ごと引っ張られた空気が唇を擦ったような音だ。

 霞は、布団から出していた手を、自分の両目に、叩きつけるようにして、視界を塞ぐ。

 しかし、それを、さらに速く伸びたマリンの手が止める。

 両手首が、掴まれる。

 そのまま、ベッドに、押さえ込まれる。

 ベッド上に磔にされたような体勢の霞は、最後の手段として、意識を失ったように目を閉じる。

「待って」

 マリンから、強めに言葉がかかる。

 いや、それ、僕が言いたいセリフなんだけど……!

「な、何?」

 目を閉じたまま、霞は聞く。

 正直、この訳の分からない状況に、さっきから混乱しっぱなしである。

 目を開けたら、着替えているはずのマリンが、下着姿であり、見ないようにした僕の動きを、ことごとく封じてきた。

 何を考えているのか、何をしようとしているのか、何を待つのか、

 全てひっくるめての『何?』だった。

 それに対するマリンの返答は、とても短く、簡潔で。

 理解できなかった。

「見てよ」

 ……そうすれば、僕の完全なる犯罪(略して完全犯罪)が成立するからだろうか。

 服ハラや腹ハラの件もまとめて、僕を社会的に殺すつもりなのだろうか?

 まあ、こんな手の込んだことをしなくても、彼女の人脈を使えば、僕1人、少なくとも学校での居場所を奪うことくらい容易だろう。

 サヨナラ、俺の高校生活……最後に、良い餞別せんべつを貰ったよ。

「私……どう、見える?」

 マリンの言葉が少しかすれて聞こえる。

 そんな冗談を言っている場合じゃない。

 霞は、意を決して目を開けた。もう犯罪でも何でも良い。

 今は、この状況を、そんな声でそんな言葉を出させる、マリンの心情を、理解するべきだ。

 分からないことに目を閉じていても、何も分からないままである。

 彼女は、今にも泣きそうな表情を、こちらに向けていた。

 もし空間的な立ち位置が逆だったら、これはもう強姦ごうかんの現場として言い逃れできないのだが……。

「ど、どう、って……」

 霞は既にオーバーフローした情報によってキャパオーバーし、オーバーヒートしている頭を回し、この場における最適解さいてきかいを求める。

 何を求められているんだ? 何が正解なんだ?

 しかし、その答えは、彼女自身の口から語られた。

「女の子に、見える?」

「…………」

 マリンがそのままベッドの上に上がってきた。

 四つん這いで、霞をまたぐように、覆い被さるように。

 何度でも言うが、今、マリンは下着姿である。

 こんなことは、姉にもされたことがない。

 もちろん、姉以外もない。

 霞の理性は、限界を迎えつつあった。しかし、この不可解な状況に、理性を手放し、身を投げ出すほど。

 無責任でもなかった。

「可愛く、見える?」

 マリンは、こちらに顔を近づけ、首を傾げる。

 その、切り揃えられた、ショートの髪が揺れる。

 何かの爽やかな良い香りが、霞の鼻腔びこうをくすぐる。

 そのことが、かえって、霞の脳をリフレッシュせることに繋がった。

 なるほど、そういうことか。

 なんとなく、分かってきた……気がする。

 霞は、横目で、ボーイッシュなコーディネートの入っている紙袋、乱雑に服が詰め込まれた、紙袋を見つつ、答えた。

「なんで、そんなことを聞くんだ?」

 いや、問うたのだ。

 マリンの、先の2つの質問の答えは、考えるまでもなくイエスだ。

 今日一日、現在進行形でも、ずっと近くで見てきた僕が保証する。

 マリンは、どう見ても、『可愛い』『女の子』だ。

 しかし、考えなければならない。

 彼女のその質問の意図を。

 この問いは、きっとどんな答えよりも正しい。

 『答え』が来ることを期待していたであろうマリンは、少し面食らっていた。

 しかし、その後、何度か口籠くちごもった後で、語り出す。

 自らの、コンプレックスを。

「私は……普通の女の子に比べて、背は高いし、手足も長い」

 そのおかげで、バレーでは良い成績を修めることができたんだけど……とマリンは言う。

 良い成績どころじゃないのを、僕は知っている。

 流石に、ダンクの出来る女子高生、夕輝ゆうきレオン程じゃないにしても、マリンも十分有名人で、化け物じみた能力を持っている。

 ただ、地味なのだ。

 マリンは好戦的なタイプではないため、試合において、身長にものを言わせた、力任せのスパイクを打ったりしない。

 相手選手が怪我することを案じているのかもしれない。

 そのため、試合では、それでも十分強いが、ネット際のトリッキーな動きで攻める。もしくは、自分を囮に、仲間に打たせている。

 しかし、その身長が真価を発揮するのは、守備の時である。

 マリンが前にいる限り、相手はスパイクが打てないのだ。

 マリンは多少無理をしてでも、ブロックに行く。離れていても、長い足で距離を詰め、追いついてしまう。

 今度は、チームメイトの身を案じているのだ。

 だから、スパイクを撃たせない、自分より後ろに、通させない。

 そんな彼女についたあだ名は、シンプルに『鉄壁てっぺき』である。

 しかし、それは……体育館の中、バレーボールコート上での話である。

 普段の彼女は、ただの女の子であり、プライベートでも、そんな名前で呼んでほしくないことは、目を見れば分かる。

 火を見るよりも明らかだ。

 マリンは、女の子になりたいのだ。

 普通の、女の子に。

「やっぱり、考えてしまう。私は、本当に女の子なのかって。友達と出掛けると、私は彼氏になる。後輩と出かけると、私は王子様になる。男女のグループで出かけると、私は男友達になる」

「……」

 誰と居ても足手纏あしでまといになる僕とは大違いだ。

 サラッと、交友関係の広さを披露してくれるなあ……男女グループでお出かけって、青春かよ。

 青春だよな。勉強、運動、容姿、全て兼ね備えている。

 才色兼備。

 しかし、悩みも……完備か。

「そして今日、初めて、男の人と2人きりで出かけて、どうなるのかなって思った。もしかして、こんな私でも、少しは女の子らしくなれるのかなって……でも、ダメだった」

 なんか、遠回しに僕がディスられてないか?

 ダメなのは、その『男』のチョイスでは?

 僕が男らしくないのは、まあ、自他ともに認める、疑いようのない事実だけど。

 しかし、このお出かけに、そんな意味合いがあったとは。

 マリンは、最初から、自分をプリンセスにするために、僕をナイトに仕立て上げようとしたのか。

 抜かりない。やはり秀才タイプか。

「けど、女の子らしい行動はできなくても、褒められたりした時に、少し、女の子っぽい反応が出来たかなって……自分で言うものなんだけど」

 本当に自分で言うのもなんなセリフだな……。

 言葉選びが下手すぎる。やはり生真面目タイプか。

「それで、霞くんは、どう思ってるのかなって」

「え?」

 急に自分の名前が出されて驚いた。一番の当事者とうじしゃなのに。

 霞はパッと顔を上げる。

 自分にのしかかる、マリンと目が合う。

 彼女は、まだ霞の両手をベッドに押さえつけたままだった。そして、霞の足を挟み込むように両膝を突き、体は、霞と並行に保っていた。

 控えめに言って、押し倒されている。

 このアングルはまずい……!

 マリンは、僕が自分の目を隠そうとした両手を押さえていることで、自分の身体を隠す、手も手立ても手段も持たない。

 下着だけの、その長身を、程よく鍛えられた肉体美を、余すことなくさらしていた。

 事前に腕を見ていても、肩を見ていても、足を見ていても、お腹周りを見ていても、

 どうしても、目が、そこに吸い寄せられてしまう。

 重力に引っ張られる、控えめながらも、確かに存在感を放つ、二つの、胸の、膨らみに。

 身につけていたのは、飾り気のない、水色のスポーツブラ。

 姉も、似たようなものを持っているから、分かる。

 それは、運動時の着用を想定して作られている。だから、動きやすやと吸汗性を高めるため、

 生地が、薄いのだ。

 これ以上、会話を引き伸ばすことはできなかった。

「可愛い……よ」

 それを口にした僕は、いったいどんな顔をしていたのだろう、熱くなる頬から、赤くなっていることだけは、嫌なほど分かる。

 しかし、手を押さえられている以上、隠すことはできない。

 それは、マリンも同じだった。

「あ、えと……その……」

 彼女は、明らかに、取り乱すくらいに、照れていた。

 そんなに恥ずかしがるなら言わせるなよ‼︎

 卑怯ひきょうなことに、マリンは僕から手を離して体を起こし、てのひらで顔を覆って隠す。

 全く、しょうがないな。

 霞は、すかさず、自由になった両手を伸ばし、マリンの肩を抱き寄せる。

 つもりが、彼女の体幹たいかんが強すぎて引き倒せず、霞の方が引き寄せられることになった。

 まあ、これでもいいや。

 「え」と小さく声を上げるマリンに構わず、霞は、正面からハグをしながら、耳元でささやく。

「可愛いよ、マリン」

「ーーーーー‼︎」 

 抱きしめているマリンの身体が、一瞬大きく震える。

 さて、お望みのまま、二言目、三言目にどんな男らしいセリフを言ってやろうかと、霞が意気込んだところで、

「……ぐはっ!」

 背中から落ちるようにして、ベッドに押し潰されてしまった。

 抱きついたまま、マリンに、身体全体で。

 ええ⁉︎

「ちょ、ちょっとマリン……キツいって!」

 肉体的にも、精神的にも。

 さっきまでとは訳が違う、間に布団も挟まず(どかしたのは僕だ)、完全に密着している(それも先にやったのは僕だ)。

 しかし、一向に離してくれない、どころか、すがり付くように、強く、抱きしめられている。

「マリン……?」

 返事は、ない。

 霞は、恐る恐るマリンの顔を見れば。

 彼女は、泣いていた。

 それでいて、笑っていた。

 目には大粒の涙を浮かべ、その一方で、口元は、太陽のように明るい笑みを浮かべていた。

 上は洪水、下は大火事なーんだ。

 答えは、嬉し泣き。

 僕の、たったの一言で、彼女は、彼女の『鉄壁』は、崩れ去ってしまったのだった。

 長いプランで良かった。

 彼女が落ち着くまで、もう少しかかりそうだったから。

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