第5話:ロイヤルストリートフラッシュ

 2店舗目に到着する。ここは、ストリート系と言えば良いのか、とにかくカジュアルな、緩い感じの服が買えそうな場所だった。

 もちろん僕はそんな店に入ったことは無いし、今後、脳と体の半分以上が別物にならない限り、利用することもないだろう。

 この店に来る予定にはなかった。

 実は、別の店に行く道すがら、マリンが発見し、寄ることを提案したのだ。

 彼女は、普段から制服を一切着崩すことなく、学校のない今も、学校案内のカタログに載れるくらい、ピシッと決めている。

 そんな彼女が、こんな反規範的なファッションに身をやつそうとするのは意外だと思ったが、好きで制服を着ているわけではないのだと思い至り、霞は、配慮の至らなさを痛感した。

「制服と言えば……マリンさん、よくサイズ合ったね」

「この制服? オーダーメイドだよ」

「……大変失礼いたしました」

 生徒を規範に収めるための制服が、彼女だけ規格外だった。

 ところで、なぜうちの高校は未だに制服を採用しているのだろう? 自由化とか、個性の尊重を謳いながら、一番目立つ場所にメスを入れないとは。

「結構デザインが気に入ってるんだ。私の後輩には、制服が決め手でこの高校を選んだ子もいるんだよ」

 なるほど、うちの高校は少し特殊だから、そのブランドディング、という意味合いもあるのだろう。

 男子としては制服の方が楽だから、有り難かったりする。

 学校としては、制服を着せることで、高校生だと分かるようにし、生徒に、外で悪さをさせにくくする狙いもあるのかもしれない。

 しかし、制服で学校がバレたらブランドが傷ついてしまうのでは? むむ、これはなかなか難しいジレンマだ。

「……入らないの?」

「ああ、ごめん、入ろうか」

 マリンに促され、店内へと足を運ぶ。

 実を言うと、入ることにかなり抵抗があった。

 というのも、イケイケの若者が来ていそうな、こういう店も、そこで売っている、イケイケな若者が着ていそうな服も、二重の意味で、僕の肌に合わないことが明らかだったからだ。

 僕の体は、動くことも、見せることも、想定して作られていないのである。

 マリンは……意外と抵抗がなさそうだった。素の体力、胆力のおかげかもしれないが。

 しかし、彼女はあちこちに目を向けながら、店内を数歩歩いて、すぐに戻って来てしまった。

 見るからにサイズが合わないのだろうか、それとも、やはり真面目な優等生には見るだけでも毒になるファッションなのだろうか。

「どうしよう霞くん……」

「どうしたの?」

 マリンは、申し訳なさと恥ずかしさの入り混じった表情で、霞が初めて聞くようなか細い声で、弱音を吐いた。

「こういうファッション全然分からない……」

 2人して知識不足、二人寄っても文殊もんじゅにはならなかった。

「一旦作戦会議しよう」

 僕のその提案で、一度お店から出た。


********************


 といっても、二人とも知識のない状態では作戦どころではなので、まずは、情報収集から始める。

 マリンはスマホを取り出し、『ストリート系 レディース 背高い』とかで検索をかけている。

 霞もスマホを取り出す、しかし、検索のためではない。

 連絡を取るためだ。

 より具体的には、この手のファッションに詳しい知り合いに、状況を説明し、アドバイスを求めるためだ。

 先に答えに辿り着いたのは、霞の方だった。

「なるほど、よし、マリン、再チャレンジだ」

「え⁉︎ 早くない? どうやって調べたの?」

「背が高くて、センスが良くて、普段から遊び回ってる知り合いに聞いた」

「……彼女さん?」

「姉」

「あ……お姉さん! お姉さんね! お姉さんがいたんだ!」

「うん、姉もそこそこ身長が高いことを思い出して、連絡してみたら、すぐに返事が返って来たよ、参考画像付きで」

「良いお姉さんだね」

 マリンは満面の笑みを向けてくる。どこか、ホッとしているようにも見える。

 相談できる人がいるだけで、こうも心強いのか。4回も『お姉さん』と言うくらいだし。

「暇なんじゃないかな」

 霞はそんなことを言いながら、再び店内に戻る。

 2人とも、さっきより足取りが軽かった。


********************


「それじゃあまずは組合せその1。『ショートパンツとゆったりとしたサイズのシャツの組合せ』だって」

「ふんふん、なるほど、意外とシンプルなんだね」

 姉から送られてきた画像をマリンに見せながら説明する。

 画像付きとは、優しいじゃないか。うちの姉。

 僕たちの知識レベルに合わせてくれたのか、使われている言葉も易しい。

「じゃあ、早速着替えてくるよ」

「ん、いってらっしゃい」

 必要なアイテムを手早くかき集め、試着室に籠るマリン。

 狭い店内では、彼女の長い手足はかなり便利だった。僕が画像を見ながら『あれとか……?』と棚を指さすと、すぐに手が伸び、目的のアイテムを取れるのだ。それがかなり高い位置にあっても、店員のお世話になることはなかった。

「お待たせ!」

 今度は早かった。

 試着室にかなりゆとりがあることや、馴染みのある形で、着やすい服ということも要因としてあるだろう。

 さて、普段大人しいマリンの、少しはっちゃけた姿はどんなものか。

 霞は期待に胸を膨らませて、見る。

「これでも一番大きいサイズなのだが……」

「お……おお」

 かなり、似合っていると思った。

 特に、上半身を覆うシャツは『ゆったりとした』サイズのお陰で、マリンの高い座高を完全にカバーしていた。

 多分、普通の人が着ると、ワンピースのように太もものあたりまでカバーのだろうし、おそらくそういうコンセプトでデザインされている。

 しかし、どう着ようが個人の自由のはずだ。例え、マリンのような背の高い人が着て、丈の位置が普通のシャツと同じになっても。

 とはいえ、その『ゆったりとした』シャツは、マリンの体に対し、横方向には真価を発揮しているようだ。

 彼女は背が高いが細身なのである。極端に細いわけではないが、長身による目の錯覚で、実際よりも細く見える。

 なので、そのシャツは、横だけに太いという、少しアンバランな印象を与えてしまっていた。

 まあ、それはともかくとして。

「これは、街中では少し恥ずかしい……かな?」

「…………」

 問題は、脚、である。

 ショートパンツ、その名の通り、短いズボンである。

 これならば、足の長さに関係なく、違和感なく履ける! と僕もマリンも思っていた、思っていたのだが。

 ……目のやり場に困る!

 足の長い人は、太ももからして長い。マリンの、細く、白く、長い。その魅惑的な足が、膝の上から惜しげもなく晒されていた。

 ちなみにマリンは、制服の時はストッキングを、部活や運動の時は膝と足首に長めのサポーターをつけているので、こうして素足を見るのは初めてだった。

 下心なく、触りたい、と、思ってしまった。

 新幹線の先端部分や飛行機の機首に見られるような、流線形のフォルム、デザインとしての美しさ、流れるような曲線美。

 辞書の、脚線美や美脚の項目に、参考画像として載せても良い、お手本のような脚だと思った。

「あの……霞くん、どうかな?」

「さ、ああ、良いと思うけど……その脚……は、今の季節はまだ少し寒いかも、ね」

 危うく出かかった『触っても良い?』という言葉を飲み込み、無難なコメントを返す。

「そ、それもそうだね、上も少しアンバランスだし……もう一つのも試してみるね! このまま着替えるから、ちょっと待ってて」

 そう言ってマリンはカーテンを閉め、着替え始める。

 ちなみに、次のアイテムは既に確保して、試着室の中に置いてある。

 霞はスマホを見て、次のコーディネートの下見をする。

 『ダメージジーンズと、Tシャツ、あと薄手の羽織りもの』

 これまたシンプルな組合せだな、と、霞は思った。

 あれだけファッションに詳しく、口うるさい姉だが、意外とチョイスは常識的だった。

 案外、ファッションも極めると、武道の極意と同じで、シンプルな型に落ち着くのかもしれない。

 そして、姉はその境地に達しているのかもしれない。

 なんてことを考えていたら、マリンのいる試着室のカーテンが開いた。

「おっ!」

 マリンが口を開く前に、霞は感嘆の声を上げていた。

 今回は、かなり自然な仕上がりになっていた。

 ダメージジーンズは、あえて左右の長さが異なるものを選んだ、そうすることで、足に対する丈の長さが気にならなくなると思ったのだ。

 予想は的中。穴あきのジーンズを履く姿は、普段の彼女からは想像できなかったが、(そもそもスカートだし)こうしてみると、違和感がない……どころか、今日一番で似合っていた。

 もしかして、ズボンって足が長い分だけ有利になるのでは……?

 霞は自分の短足を見る。自分のズボンは、かなり裾上げをしてあるにもかかわらず、地面スレスレ、今にも擦れそうだ。これは、ウエストが細く、ズボン全体がずり下がっていることが原因である。

 一方で、マリンのジーンズ姿は見事の一言だった。

 足首も、多少は見えているが変ではない。むしろ、こういうファッションとして正解の長さに見える。

 ただ、一つ気になる事があった。

「僕もファッションに詳しくはないから、偉そうには言えないけど……その上着って、前のボタンは外して着るものじゃない?」

 それは、彼女の着ている上着である。薄手の、カーディガンのような形。

 これが冬場であれば、風を遮断するため前は閉じるべきだろうが、今の季節、もうその心配はない。

 姉から送られた参考画像を見ても、『羽織物』の通り、全体のシルエットを整える役割でコーディネートされているように見える。

「やっぱりそう思うよね……私も、そう思う」

 じゃあなんでわざわざボタンを留めたのだろう、という霞の疑問は、すぐに解消されることになった。

 マリンは、上から順にボタンを外していく、内側に着ている『Tシャツ』が露わになる。

 先程の『ゆったり』ではなく、こちらは『ピッタリ』とでも呼ぶべき、まあ、適切なサイズのシャツだった。柄もなく、色も白で、おかしな所は何もない。

 さっきも見た通り、マリンは細身である。だから、一般的なサイズのシャツでも、何ら問題なく着れるのである。

 と、霞は思っていた。

 彼女が、一番下、最後のボタンを外すまでは。

「実は……シャツが、こうなってしまって」

「……あー」

 どうなってしまったのか。

 今回のシャツは、横幅がちょうど良い分、縦の長さが足りなかったのである。

 当然ながらシャツは上から着る物、つまり、足りないのは、下の方。

 一言で言えば、へそ出しファッションになっていた。

 まず普通に生活していれば晒すことのない部位である。

 水泳の授業でも、女子は男子と違い、スクール水着によってお腹は隠れる。

 足、以上に、レアな光景だった。

「な、何か感想は……?」

「え、ええと……」

 マリンにそう言われて、霞は、改めて全身を見回す。

 姉のチョイスだけあって、全体のフォルムは完璧と言って良かった。

 マリンを良く知る人であれば、その真面目な性格のイメージに引きずられ、へそ出しのファッションをしていることに対し、激しい抵抗感を覚えるかも知れない。

 しかし、彼女の体だけ見れば(何故かいやらしいく聞こえる)、とてもマッチしているように見える。

 けど、やっぱりそういうファッションを見慣れていない身からすると、その部分に、自然と視線が向かってしまうのだった。

「……ありがとう?」

「感想を求めたんだけど……何への感謝なの?」

 お腹周りである。

 流石というか、やはりというか、彼女は運動部である。

 脂肪がついてだらしない、皮膚が下がってみっともない、そんな気配は微塵もない。

 腹筋のあたりはうっすらと縦に筋が入り、ウエストは、モデルと比較するのが意味をなさないくらい、健康的にくびれている。

 こんなものが見られると分かっていたならば、きっとお昼のパンケーキを奢ってもらうことはなかっただろう。

 こちらが全て払って、それでも全く足りないくらいだ。

 今ここでお金を払いたいくらいだったが、相手をますます困惑させてしまうので、辞める。

 その代わりに、適切なアドバイスを送る。

「これはこれで大胆すぎるかな……多分、その格好で出歩いたら、家族を含めて周りの人、みんな心配すると思う。シャツのサイズさえ合えば、それでも良いと思うけど」

「そうだよね……シャツもそうだけど、多分このジーンズも、良い顔はされないと思う」

 自分の中ではちょっと気に入っていたのか、そう言うマリンは少ししょんぼりとしている。

 周りの人……ね。

「まあ、大学に入ったら自由に出来るんじゃない? うちの姉なんか、それよりもっと大胆な格好で学校行ったりしてるから」

 確か看護系の学校だが、本当に大丈夫なのだろうか。

 認められているか、呆れられているか、諦められているかのどれかだ。

「そうだね! 今は部活のこともあるし……少し我慢かな。お姉さんから送られてきたのはこれで全部だよね? じゃ、着替えてくるね」

「うん」

 そう言ってまた、カーテンの裏に隠れるマリン。

 霞はスマホをそっと取り出し、姉とのやりとりを開く。

 姉から送られてきたコーディネートは、実はまだある。

 しかし、それは、犯罪レベルの露出度を誇るファッションだったので、こちらでフィルタリングさせてもらった。

 いくらなんでも、姉の情報源を盾に、そんなセクハラじみたことはできない。

 服装ハラスメント、略してフクハラである。

 ……さっきまでお腹を眺めていたことは、セクハラなのでは?

 それはお腹ハラスメント、腹ハラである。


********************


「お待たせ……て、青い顔してどうしたの?」

「いや……ごめんなさい」

「理由を聞いたんだけど……何への謝罪なの?」

 霞は一人で勝手にハラハラしながら、頭に疑問符を浮かべるマリンを連れ、店を出た。

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