第4話:あっという間に時間が過ぎサリー
「その……申し訳ない」
「え?」
店を出て、駅から離れるように数歩歩いたあとで、マリンは振り向き、霞に対していきなり謝る。
「さっき、
マリンは自分の行動を恥じているのか、ずいぶん顔が赤くなっている。背丈に似合わず、いじらしい。
「ああいや、全然良いよ……むしろ、嬉しかったくらいだ」
割引でほぼ半額になったってことは、一人分浮いたということ、つまり僕への驕りがほとんどチャラになったということだ。
もちろん金銭的になくなっただけで、奢ってもらったという事実がなくなる訳ではないが、心理的負担というか、これからの買い物の助言に求められるハードルは多少低くなったと思う。
霞は、勝手にそう計算した。
「そ、そう……嬉しかった、ね」
「マリンから言われると、恥ずかしいな……」
奢ってもらった分が消えて喜ぶなんて、あまりにも情けない。
一方で、マリンは本当に嬉しそうにしている。
支払う額が半分になったのだから、当然か。
「それじゃ、ここにいても往来の邪魔になるから、早速一店舗に行きますか?」
「うん、道案内よろしく」
話題を変える意味でも、そう促し、マリンを引き連れて歩き出す。
カフェでマリンから聞いた話なのだが、実はこの街、
若者向けの雑誌や番組でも
それを聞いていた僕は、顔には出さなかったが、内心、
本屋巡りを趣味とする僕がこの街に行き着いたのは、前の学校に在籍してた時からだから、もう一年くらい前には知っていたことになる。それからというもの、おおよそ毎月1、2回のペースでここを訪れている。
人混みが苦手な僕は、人の少ない午前中に来て、適当に歩き回って、昼前には帰るのがルーティーンとなっていた。
巷で話題? 古着屋の集積地?
そんな話、聞いたことがない!
が、事実なのだろう。
以前から、昼頃になると駅に溢れかえる人を見て、『みんなそんなに本屋が好きなのか?』と、不思議なな気持ちでいたのだが、その疑問が、ようやく解消された。
この街は、古本屋の街であり、古着屋の街でもあったのだ。
もっとも、ここら辺を歩く若者に聞けば、ほぼ全員が、『ここは古着屋の街だ』と答えるだろう。
さて、お勧めの本屋であればいくらでも案内できる僕ではあるが、古着屋については、その存在すら意識して来なかったほどなので、案内など、
しかし、場所は、場所だけは分かる。
本屋巡りの時に自然と目に入るからだ。
間違えて入ったこともある。
アンティーク基調の店で、本がインテリアとして飾られていただけで、メインは服だった、なんて経験もザラにある。
僕はそういう店を、(多分使い方違うが)地雷系と呼んでいる。
今日は、その地雷を、わざと踏んで回れば良いのだ。
********************
「まずは、ここかな?」
「ここは……古着屋なのか?」
「雑貨屋に近いね、日によって商品ラインナップがガラッと変わるから、今日、目当ての服が置いてあるか分からないけど……」
などと、霞は知ったような口ぶりで、それとなく
彼女が
このお店は、海外、特に南アジア、東南アジアの地域の商品を多く取り扱っている。まあ、店名がそのまんま『アジアン・スタイル』だから、勘のいい人はそれだけでどんなお店か想像できるのだろうけど。
霞は、狭い入り口を通り、店内に入る。続いてマリンも通るが、かなり狭そうだった、主に縦方向に。
「わぁ……!」
「こういうのって、意外と盲点なんじゃないかな、と思って」
入るなり、マリンは驚きと喜びの混じった声を上げる。
店内は意外と広い、特に、奥行きは、店先からは想像できないほど長い。
そして、奥の一角に見えるのが、民族衣装のコーナーである。
インドのサリーとか、つまり、立体造形された洋服ではなく、平面の布で構成された、原始的ながら、万人に会う服が並んでいる。
早速、そちらに歩みを進める。このコーナーは、あまり需要がないのか、他に客は居なかった。
「凄い……! こんな服があったんだ!」
「日本だとあんまり着る人いないからね……オシャレさんと外国人の集う都心部に行けば、見られるかもしれないけど」
マリンはいくつかの服を手に取る。服、というよりも、最低限の裁断と縫製をしただけの布地に近い。
「とりあえず一着……着てみても良いかな?」
「良いんじゃない? 試着室は……そこに」
一瞬で視野を広げ、『試着室』か『fitting room』の文字を探す。幸い近くにあり、すぐに見つけることができた。
『シチャクシツ』
カタカナで書くな! 紙を丸めた擬音語みたいになってるじゃないか!
そこはせめて『フィッティングルーム』だろう…アジアンを何か履き違えてないか?
日本も立派にアジアの一部だ。
マリンが服を持って『シチャクシツ』に入る。
試着室探しに必死で、彼女がどんな服をチョイスしたのか見損ねた……まあ、すぐ見ることになるし、別に良いか、と霞は自分で納得する。
それからしばらく時間が経ち、『あれ? もしかして僕には見せてくれないのかな』と霞が不安になるくらい時間が経ち、『中で何かトラブルがあったのかな』と心配になるくらいの時間が経った時。
「ごめん、お待たせ……ちょっと、着るのに手間取っちゃった」
試着室のカーテンが開き、マリンが姿を見せる。
それを一目見た僕は、言葉を失う。
神だった。
マリンがチョイスしたのは、サリーという、インドの伝統衣装で、長い布を体に巻き付けて着る、ドレスのようなものだった。
色は、冬の海のような深い青。そこに、星座が反射したかのような、
身長の高さも相まって、マリンは、その名前の通り、海の女神のようだった。
「何か変……?」
「あ、いや……」
その神々しさに圧倒され、瞬きさえ出来ずに放心している霞に、マリンは不安げに訊く。
「凄く、似合っているよ」
「そ、そう」
時間を忘れ、我を忘れ、
そのまま、パリのファッションショーでランウェイを歩いても、誰も違和感を覚えないくらいに。
それほど、今の彼女は圧倒的な存在だった。
霞の目を奪ったのは、服だけじゃない。
サリーはその構造上、両手や肩が
バレーの試合では、対戦相手はこの腕を見て絶望するのだろう。ネット越しにお手上げしたところで、その上から容赦なく叩き潰されそうだ。
霞は、別の意味で叩きのめされていた。
それほどに、綺麗な腕。
「でも……これは流石に派手すぎる、よね?」
「うーん、もっと地味な柄ならなんとかファッションと言い張れないか?」
星空のような柄に少し抵抗感を表すマリン、霞は、他の柄をざっと見てみるもが、すぐに気づく。
それでも、今、マリンの身につけているのが、一番地味なのだと。
他の色は、目に悪い、眩いばかりの赤や黄色、つまり暖色系が圧倒的に多い。
マリンなら着こなせてしまいそうだが、今度は火の神や太陽神になってしまう。
威圧感は倍増するだろう。
他の柄をさらに、目を皿にして探す。
黒の生地を見つけてこれだと取り出して見れば、周りは虹色でキラキラだった。
白の生地を見つけてこれならばと広げて見れば、半透明でスケスケだった。
海の向こうの人と日本人とでは、とことん、思考も志向も嗜好も異なるようだ。
その後、サリーを諦め、マリンは制服に着替え直し、店を出た。
着替えに時間がかかったのは、サリーを着るのに苦戦していたよりも、試着室が狭かったかららしい。
そこだけは、日本人向けだったみたいだ。
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