第3話:ボリュームたっぷり、でもあっさり

 そのあとすぐに、注文したパンケーキのセットが運ばれてきた。

 トレーの中央には、写真で見たよりも大きなパンケーキが鎮座ちんざしている。それも、2段重ねられ、上にはホイップクリームがたっぷりとかかっている。

 さらにセットメニューとして、ドリンクと、サラダ、スープ、デザートまでついていた。

 霞は、その物量に、圧倒されていた。

 もしかして世の女性達は、日頃こんなものを食べて『太りたくない』などと言っているのか?

 カロリーベースで計算すれば、牛丼やラーメンと遜色そんしょくないと思う。それに、こっちは糖分まであるし。

 うーん、食べ切れるかな……。

「いただきます」

 マリンは、パンケーキを一口大に切り分け、早速食べ始めている。SNS用に写真とかは撮らないのだろうか? 

いや、彼女はそういうタイプじゃないな。

「……いただきます」

 腹をくくってベルトを緩め、霞も、食べ始める。

 そこからしばらくは、無言の食事タイムが続いた。

 2人でいるときの沈黙も、食事の時は例外だ。僕には、食べながら喋るなんて器用な真似はできない。口は、一つしかないのだから。

 


「実は甘いものが少し苦手で……マリンさん、デザート食べる?」

「え? いいの? いただきます!」

 ホイップクリームをそれとなく避け、パンケーキをドリンクでふやかしながら流し込み、サラダをスープと一緒にさばいた僕だったが、もとより少食で、パンケーキ初心者の僕には、そこで胃袋の限界を迎えた。

 しかし、食べ物、しかもおごりの物を前にして、残すことはできない。

 そこで、男子はあまり甘いものを食べない、という常識を盾に(こういう時だけ一般意見を援用えんようする)、マリンにデザート譲渡じょうとの提案をしたのだ。

 ちなみにデザートは、なんかフルーツとかですごくデコレーションされたプリンだった。(プリンアラモードという単語は知っていたが、目の前のものがそれだとは気づけなかった)

「あ……」

「ん? あ」

 と、そこで僕は、問題に気づく。

 僕が食べるのに時間をかけすぎたせいで、マリンの前は、仕事熱心な店員により、すっかり食器が片付けられていた。

 もちろん、デザート用のスプーンも一緒に。

 マリンはこのままでは食べられない、しかし、僕の手元にあるスプーンは、スープを飲むために使用済みである。

 そうだ、店員を呼べばいい。そう思い至り、周りを見回して見るが、みんな大忙しで動き回っている。

 休日の昼間、駅前の店、そして今が一番忙しい時間帯なのだろう。スプーン一本で呼び止めるのは気が引ける。

 追加で注文するか? しかし、マリンの奢りでそれは……と、霞があれこれ考えている間に、マリンから提案があった。

 それは、霞が真っ先に思いつき、具体的なイメージになる前に却下した案だった。

「仕方ないね、じゃあ……あーん」

「え……」

 マリンがそう言いながら口を大きく開け、こちらに身を乗り出してきた。

 ええ……⁉︎

 休日に、2人でカフェでランチをし、この後買い物に行くというだけで、もう十分要件は満たしていると思っていたが、それをやったら、もう完全に……カップルなのでは?

 いやしかし……。

 霞は考える。

 これが女性同士だったらどうだろうか? 別に、普通のことではないのか? マリンも気にしていないみたいだし、俺が繊細せんさいすぎるだけなのかもしれない。

 それに、目を閉じ、口を開けて、今か今かと待ち構えているマリンを、このまま放置することはできない。

 とにかく、やる以外の選択肢はないのだ。

 そうと決まれば霞の行動は早い。テーブル端から素早くナプキンを一枚取り、スプーンの先をさっと拭う。

 そして最初に、メインのプリンにスプーンを差し込み、一口分を斜めに削り取る。

「はい……あーん」

 『これから口に入れますよ』という合図として言葉を選んだだけで、他意はない。

 霞は、マリンの口の中へ、スプーンを差し込む。舌の上に、そっと乗せる感覚で。

「ん〜!」

 マリンはそんな声を上げながら、唇を閉じる。

 その時、スプーンが、少し吸い込まれる感触が、霞の手に伝わる。

 ゆっくりとスプーンを引き抜いていく。身をこちらに乗り出しても、マリンの顔の位置は高い。そのため、少し斜め下に引き抜くことになる。

 手の引きに合わせて、マリンの上唇が引き寄せられる。口の奥がムグムグと動く一方で、唇は、スプーンに残ったわずかな味さえこそげ取るように、そぼめられている。

 完全にスプーンが引き抜かれる。チュッという小さな音とともに、唇から引き離される。その場に残った唇が、どこか、物足りなそうに結ばれていた。

 ってなんだこれ! 

 霞は、たった一口に、ものすごく神経をすり減らしていた。

 これ……全て食べさせるのに、僕の体力も精神力も持たないぞ……。

「……お、美味しい?」

 相手は既に全く同じものを食べている。ということも忘れて、その場のノリに合わせて喋ってしまう。

「ん、美味しい!」

 本心なのか、僕の台詞に合わせてくれたのか、マリンは幸せそうな表情で、素直にそう答えた。

「でも……」

 目を開け、しかし、少し困ったような顔を見せ、はにかみながら続ける。

「ちょっと、恥ずかしいかな……スプーン、貸してくれる?」

「あ、そ……そうだね」

 言われるがままにスプーンを差し出す。

 マリンはそれを受け取りながら、もう片方の手で、プリンの乗った皿を、自分の方へと引き寄せる。

 カップルタイム終了である。

 世間のカップルが、どうしてこのような面倒くさいことをして食べるのか、少し分かった気がした。

 これは、擬似的ぎじてきなキスなのだ。しかも、正面から見えている分、唇の動きとか表情とかが、より明確に分かる。

 何か、とんでもないことをしてしまった罪悪感ざいあくかんさいなまれる。具体的には、マリンの良心と両親に謝罪をしたいくらいの。

 ん……キス? キスといえば……。

 霞は、プリンを食べているマリンを改めて見る。今は、隣に添えてあるイチゴをスプーンですくい取って、口に運んでいる最中だった。

「ん? フルーツは食べる?」

「あ、いや、いいよ、全部食べて」

 マリンはそのままそれを口に入れる。

 うん、別に自然な動作だ。

 間接キスとか……気にしている感じなはい。

 さっきから、僕が敏感になっているだけみたいだ。今時の女の子達は、もっとこう、大胆というか、さっぱりしているのかもしれない。

 ごちそうさまでした、と、マリンはあっという間に食べ終わる。続けて僕も手を合わせる。

 目を合わせ、すぐに店を出ることで合意する。

 店内は、満席だった。

 何食わぬ顔で伝票を取ろうとしたが、マリンの長い腕が素早く伸び、先に取られ、『私が払うって!』と釘も刺される。

 チラッと見たところ、一人当たり1000円くらいだった。あれだけのボリュームでこの値段なら、かなり財布に優しいと言える。

 僕の胃には厳しかったが。

 しかし、もし僕が彼氏だったら、メンツが立たないよな……とか思いながら、マリンの後を追いかけ、レジへと向かう。

 手早く伝票を受け取った店員は、僕たちをさっと見て、にこやかな笑顔を向けた。

 何だ……?

「お客様は学生さんですか?」

「はい、そうです」

「では、学割を適用させていただきますね〜」

 マリンが即座に答えると、大学生くらいの女性店員は、慣れた手つきでレジに何かを打ち込む、すると、合計金額から一人当たり200円引かれた。

 なるほど、それは知らなかった、いいサービスじゃないか、これで奢られたことの心苦しさがいくらか緩和かんわされる。

 ほっとしたのも束の間だった。

 店員は、さらににこやかな笑顔で、こう続ける。

「お客様方は、カップルでいらっしゃいますか?」

「……え」

「はい、そうです」

 言葉を失う僕を後目に、マリンは先程と同じトーンで、同じ言葉を繰り返す。

 何でそんなことを聞く⁉︎ そしてなぜ平然と嘘をつける⁉︎

 店員の意図も、マリンの心情も読み取れなかったが、すぐに、その理由が判明した。

「では、休日限定の、こちらの『カップル割引』を適用させていただきますね!」

 店員は、また素早くレジを操作する。金額から、さらに300円ずつ引かれる。

 これで、最初の金額から、ほとんど半額になった。

 知らなかった。そんな制度があることを。そもそもこの世に存在することを。

 マリンは知っていたのだ。そりゃあ女子高生だったら、こういう店を利用することは多いだろうし、となれば、こういう制度があることも把握済みだったのだろう。

 しかし、その割引を適用するために、躊躇ちゅうちょなくカップル宣言をするとは、マリンもなかなかの胆力たんりょくだと思った。

 言われた通りに素直に問題をこなす、融通ゆうずうの効かない生真面目タイプだと勝手に思っていたが、物事を状況に応じて上手く処理できる、秀才タイプなのかもしれない。

 マリンは千円札と小銭で支払い、レシートを受け取って、そそくさと店を出た。

 霞は慌ててその後を追いかける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る