第5話:部屋には、獅子と僕と悩みごと

「ここが……僕の部屋です」

「へー……いいね、広いじゃん!」

 電車内から、家の玄関に至るまで、レオンが絶えず話しかけてくれたおかげで、気まずい沈黙が流れることなく、部屋までエスコートできた。

 レオンは、男子の部屋に上がり込むのは初めてとのことで、大変はしゃいでいる。

 僕は、女子を部屋に連れ込む(?)のは初めてのことで、大変ドギマギしている。

 鳩が豆鉄砲を食らったではなく、ライオンに喰われたような。平穏な平和が蹂躙される予感しかしない。

「て、適当に座っといて、飲み物とってくる、何がいい?」

 レオンを部屋に置いて、台所に向かう。というか逃げる。駆け込み寺ならぬ駆け込御厨子みずしだ。

「何があるのー?」

「野菜ジュースとプロテイン入りの豆乳と、水」

「野菜ジュースとか飲むんだ?」

「朝ごはん代わりにね」

「それだけじゃ死んじゃうよ……プロテイン入りの豆乳は?」

「姉の」

「へえ、お姉さんがいるんだ!」

 レオンの声が一段と高くなった気がする。何を意味しているのかは僕には分からない。ただ、話題が別の人に逸れてくれたことに少し安堵する。

「今は大学に行っている。と思う……それで、何にする?」

「んー水で!」

「了解」

 既に手に取っていたプロテイン入りの豆乳のパックを棚に戻し(てっきりこれを選ぶかと思ったが、それを許さない彼女のPFCバランスだった)、グラスを取り出して水を入れて戻る。

 レオンはキャスター付きのデスクチェアに座り、クルクルと回転し、天井を眺めていた。

 目、回らない?

「そっか、お姉さんか……」

「どうかした?」

「いや、部屋に入った時から、なんで椅子とか机とか2つずつあるのかなって思ってて、てっきり……その、ど、同棲とかしてるのかと」

「まさか」

 霞はそう言いながらグラスを手渡す。「ありがと」と言って受け取るレオン。しかし、口を付けず、部屋の隅の、一角を見つめている。

「……何か?」

「ベットは一つなの? 2人寝れそうなサイズではあるけど……まさか、一緒に寝てるのかな、なーんて」

「それはあんまりないよ」

「だよね! …………『あんまり』⁉︎」

 レオンがその言葉に敏感に反応し、危うくグラスを落としかける。つられて、霞も驚く。

 なんだ……急に?

 何か誤解を与えるような言い方をしたのだろうか?

「姉が家にいないことが多くてね、大抵は僕1人で占領してるってこと」

「じゃ、じゃあ、お姉さんがいるときは?」

「……? 一緒に寝てるよ」

 レオンが、目を見開いて、口をパクパクさせている。

 な……何に対してそんなに驚いているのだろうか? 

 もしかしてレオンは、寝息や寝相が気になって、近くに人がいると寝られないタイプなのだろうか? いや、教室で爆睡していたからその線はない。暑くなるのが嫌とか? 個人的には布団に入った時に寒い方が嫌なのだが。

 どうしてかレオンは、顔を赤くして、必死に何かを言わんとしている。

「……もう一度聞くけど、お姉さん、だよね? 一緒に住んでるの」

「姉だよ」

「大学生って言った? その、小学生とか、幼稚園児とかじゃなくて」

「そんな姉がいたら、僕はどうして高校生なんだよ」

「だよね……血は繋がってる?」 

「繋がってない人と寝るのはおかしいでしょ」

「そこは普通なんだ……」

 と、言った後も、レオンは一人で何やらブツブツ呟いている。

 そこで僕はようやく、もしかすると、会話の内容に深い意味はなくて、レオンは、ただ本題、相談事を切り出すのに躊躇しているのかも知れない。という考えに思い至った。

 さっきの『姉が小学生』云々も、ただのジョークか。

 なるほど、だとしたらここは一つ、乗ってあげた方が良さそうだ。

「ちなみにお風呂も毎日一緒に入ってる」

「ーーーーー‼︎」

 レオンは、声にならない叫び声を上げ、悶絶していた。

 もちろん嘘だ、毎日どころか、最近は月1か2くらいのペースでしか姉と入っていない。

 ともあれ、これでうまく緊張がほぐれてくれたかな?

「まさかカスミンにそんな一面があったなんて……意外すぎだよ」

「ん? そう?」

 どの面のことだろう。ギャグが面白かったわけではないだろうに。

「さて、そっちから秘密を話してもらえたおかげでこっちからも話しやすくなった」

 僕からは、『姉がいる』くらいの秘密しか話してないと思うが、十分だったようだ。

 レオンはグラスをテーブルに置き、姿勢を正す。

 ちなみに、レオンが座っているのは姉の椅子だ。僕のより高さが高いので、そっちの方が座りやすかったのだろう。

 こちらも椅子の上で姿勢を正し、正面から向き合う。

「実は……私……」

 レオンは、そこで言葉を止めると、一度目を伏せる。

 やっぱり、相当言いにくい悩みなのかな……と、僕は思い、一旦緊張をほぐし、気長に待つ構えになった。

 なので、次の瞬間の彼女の行動に、大いに面食らうことになった。

 レオンは、お腹の前で組んでいた腕を解くと、手を膝上まで下ろし、スカートの端をキュッと掴む。 

「え……ちょっ!」

「カスミンはもう知ってると思うけど……私……」

 そしてスカートを、ゆっくりとめくり上げ、腰の辺り、スカートがその役割を果たせるギリギリのところで止める。

 レオンの顔は耳まで赤く染まっていた。

 だったら多分、僕は首の後ろまで赤くなっていると思う。

 彼女は躊躇いがちに目線を上げ、霞を上目遣いで覗き込むようにして、告白する。

「他の子よりもずっと…………足が太いの!!」

 霞は、椅子から転げ落ちそうになるのを、咄嗟に背もたれを掴むことで回避する。

「え、ええ……?」

 確かに人に話しにくい悩みではあるかもしれないけど、それを、ほぼ面識のない男子に、部屋に押しかけてまで、する相談なのか?

 レオンの目を見る、今にも泣き出しそうな目、本気だ。

 続いて足を見る、改めて見なくても、既に知っている。安静にしていても、脈動の浮き出るような、躍動感に満ちた脚。室内で、ライトに照らされているからか、さっきよりも白く見える。魅惑的で、それが魅力的だと僕は思う。

 霞はレオンの目と足のどっちも凝視出来ず、目線を絶え間なく往復させる。

 直線運動だか、目を回しそうだ。

 レオンはさらに続ける。

「特に太ももの部分なんて……丸太みたいで、こんなの、女の子の足じゃない」

「ま、待って」

 霞は、レオン全体を視界に収めるように努め、つとめて冷静に言葉をかける。

「運動部なら普通じゃないの……? しかも、レオンは、バスケ部のエースで、『天翔ける獅子』でしょ? 特別そんな……」

「確かに、私はこの足の太さのおかげで有名になれたといっても過言じゃない」

 それは過言だ。その言い方だと急に下世話な話になってしまう。

「けど、『運動部なら』の話。……この前、少し怪我して、部活をしばらく休んだんだけど」

 レオンは、また伏目がちになり、ポツリポツリと呟く。

 この前怪我して……って、

「席替えしてから一週間休んでたのって……怪我のせいだったのか? そんな大怪我……! さっき走って大丈夫だったのか⁉︎」

「ああ、心配しなくても、怪我自体は2、3日、家で安静にしてたら良くなったよ、怪我というよりも、疲労、練習のしすぎ、オーバーワークってやつ」

「オーバーワーク……」

 バスケ部のエース、ダンクのできる女子高生、天翔ける獅子。

 そういう風に周りから言われるプレッシャーは、どれほどのものだろうか。

 無意識のうちに、意識して、体に無理を強いてきたのだろう。

 どんなに知名度が上がっても、それに比例して、身体は強くなってくれないのだ。

 レオンは話を続ける。ここからが本題だと、細くなる声で表しながら。

「そして、めでたく体が治って、登校した日のことなんだけど。朝練のない、普通の時間の登校、普通の生徒に混じっての、登校……そこで、ふと見たんだ、スカートから覗く他の女の子の足を。それで、自分の足と比べちゃって……その時、思ったんだ、自分は、こんなにも足が太くて……」

 レオンは、唇の端を噛み、苦悶の表情を浮かべ、言う。

「恥ずかしい」

 『恥ずかしい』。霞は、頭の中でその言葉を反芻する。

 『おかしい』だとか、『変』だとかじゃなくて、恥ずかしい。

 男子である僕にとっては、あまり馴染みのない概念だった。

「恥ずかしい……か」

「私はその場にいるのが耐えられなくて、その日はUターンして帰った、それから数日……学校に来られなかった。もちろん欠席の表向きの理由は『足が完治してないから』にしてね。はは、自分を支えていた足のせいで、今度は足が遠のくなんて、とんだマッチポンプだね」

 それはマッチポンプというよりも、二律背反ではないだろうか。

 とにかく、レオンは足を見られることに、学校に来られなくなるほどの、羞恥を覚えたらしい。

「でも今日は少し調子が良かった、久々に部活の朝練に参加できて、カスミンを追いかけて、飛び越えて、この足でよかったなって……でも、またバスケができなくなって、『普通』に戻った時のことを思うと……」

 そこで、レオンは口籠る。

 女性の悩み、それも、体に関する悩み。非常に個人的で、秘匿性が高い悩み、二重の意味で、プライベートな悩みだった。

 悩み事の多くは、人に相談するだけでほとんど解決したようなものだというけれど、それは相談した側が感じることであって、相談された側が言うことじゃない。

 ましてや僕に相談するほど切羽詰まった(?)悩みであれば、なおさら。

 なおさら……どうして僕なんだろう?

 霞は保留にしていた疑問に、改めて悩む。

 口が硬そうに見えたとか? それは正しい表現じゃない、話す相手がいないだけだ。

 まあ、オフラインのパソコンからネットに情報漏洩しないように、繋がっていないことがある種最強のセキュリティだったりするけれど。

 その反面、僕には他人からの情報がない。つまり、悩みを抱えている人のこととか、その人から相談を受けた経験とか。

 だから、使える知識は、僕自身のことだけだった。

 霞は、レオンとトーンを合わせ、ゆっくりと話し出す。

「僕は、……羨ましい……と、思うよ」

「え?」

 レオンは、突然何を言われたのかと、キョトンとしている。

 霞は、椅子に座ったまま、前屈の姿勢を取る。そして、レオンがやったのと同じように、裾をまくり、自分の足を晒す。もっともスカートでななくズボンであるため、片足だけでもまくるのに少し手間取ったが。

 それでも、他の『普通』の男子に比べれば、随分と楽だろう。

「カスミン……? それ……」

 そうして露わになったのは、病的なまでに白く、細く、人の体を支えるにはあまりにも頼りない、情けないほど弱々しい足だった。

 しかも、あちこち傷がついており、中には、最近できた、まだ赤みを帯びている傷もある。

「こっちも見せないと、不公平かなと思って。なんの自慢にもならない、不名誉の傷だけど」

「初めて見た……だって、体育の時、カスミンいつも見学してて……」

「うん、他の人みたいに動けないから、僕だけ特別メニュー」

 我ながら可哀想になってくる足を、いたわるようにさすりながら、言葉を続ける。

「子供の時からこうなんだ。みんなみたいに、走れないし、跳べないし、歩いてるだけで、ちょっとした段差につまづいただけで転んじゃう。そうしてできた傷は、最悪、一生残る」

「そんな……」

「だから、僕はレオンが羨ましい、その足を含めて、元気に動き回れるレオンが、心底羨ましい」

 レオンは反応に困っている。

 『動き』ではなく、『体』を羨ましがられたのは初めての経験だったようだ、

 どちらも、ほとんど同じことだというのに。

「でも……カスミンに羨んでもらえても、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいよ、というか、余計に」

「あ、それもそうか」

 霞は、レオンの足から視線を外し、急いでズボンを戻す。

「……どうしても、細くなりたい?」

「部活を引退したら、せめて、『普通』になりたい」

「そっか……普通……『普通』ね」

 ズボンを戻し、元の姿勢になった霞はその言葉に眉をしかめる。

「何か、含みのある言い方だね」

 怪訝な顔を向けるレオンのその表情に気づき、霞は慌てて取り繕うように続ける。

「いや、それだったら……案外簡単になれるんじゃないかな……と、思って」

「本当⁉︎  どうすればいい?」

 目に輝きを取り戻したレオンが、身を取り出して食い付いてくる。

 食らいつかれるのかと思った。

 霞は心とレオンを落ち着かせつつ、言葉を選びながら話す。

「えっと……そもそも筋肉って、脂肪に比べて分解されやすいから……だから、時間が経てば、自然に細くなるよ」

「なんだ……良かった」

「ただし、食事と運動を減らせば」

 その言葉をトリガーに、ピシッと、レオンの表情が固まる。

 続けて、わかりやすく狼狽する。その様子は、悲壮、でさえあった。

「え……そ、そんな、引退しても1日1ダンクはしようと思ってたのに!」

 どんな女子高生だ。1日1ダンクって。暇を持て余したNBA選手の遊びか?

「部活がなくなる分、もっと食べられると思ったのに!」

「え? あれで量抑えてたの?」

 あれ、とは、今朝見た弁当のことだ。あのボディービルダーランチ。

「だって、食べすぎると体重くなるじゃん、あと吐きやすくなるし」

 ストイックすぎる…! 

 今日を境に、運動部に対する(特に悪い)偏見をリセットしようと思う。

「私の幸せが2つもなくなるなんて……そんな……そんなの……」

「割に合わない?」

「……そうだね」

 レオンの中で、優先順位が揺らいでいる。そのことが、苦悩の表情から読み取れる。

「レオンの言う『普通』の女子高生っていうのは、ダンクもしないし、あんなに食べない。『普通』になるっていうのは、足以外の、そういうところも含めて『普通』になるってことなんだよ」

「もう私は、『普通』になれないってこと……? 生活と、性格を丸ごと変えない限り」

「もしそんなことをしたら、多分、バスケを失う以上に、自分を見失うと思う。それに、僕は……変わって欲しくないよ」

「カスミン……?」

 霞は、つい、本心を漏らす。

 取るに足らないその意見は、しかし、価値観の揺らいでいるレオンにとって、十分すぎる意味を持っていた。

「これまでは噂で聞いただけで、ただ凄いと思ってたけど、今日、実際に会ってみて、側で見てみて、こうして話してみて、本当に、凄いと思った」

「いや……そんな」

「レオンの、バスケが好きなところ、食べるのが好きなところ、そういところが、好きだよ」

「好き……?」

 褒められ、照れて、少し顔を伏せていたレオンが、その一言に反応し、霞にパッと目を向ける。

「あ、いや、それは、人としてってことで……!それに、完全に僕個人の感想だし……あ、あと、足の太さは変わらなくても、隠したり、細く見せたりする方法がないこともないよ! 例えば、パーカーを腰に巻くとか……うちの緩い校則なら大丈夫なはず! あと、収縮色って言って、黒とか紺色の服を身につけることで実際よりも細く……」

「もう、いい」

 レオンは、霞の早口な長台詞を遮る。そして、口元に笑みをこぼし、顔を上げた。

「ほんと、ちょっとの怪我で気が滅入っていたみたい……私らしくないね。もう、大丈夫! 明日からまた……走って、跳んで、食べて、誰もなれない私になるよ!」

「もう既になってるよ、エース」

 レオンは、元の快活な表情に戻っていた。

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