第4話:下から眺めた感想は、本能的恐怖

 クラスでは、いや、範囲を学校まで広げても、その知名度において比肩する者のいないレオンが、どうして僕のような、名前のあるモブ程度の人間に悩みを相談し、そのために家にまで押しかけてくるのか。その理由を、その日丸一日、授業に使う予定だった頭のソースを全て割いて考えた。

 結論。

 分からない。

 いくつも仮説も立ててみたが(その中には、『レオンが俺に好意を寄せている』などという、天動説並みに自己中心的な説も含まれている、これはいくらなんでも自意識過剰だ)、断定できるものはなかった。

 そこで仕方なく、考えることを放棄。そして方向転換。

 約束を反故にすることにした。

 まあ正確に言えば、あの時、『家は……ちょっと……どうだろう』とやんわりと断ったので、約束自体成立しているとは言えない。

 レオンには大変申し訳ない。

 しかし、知り合いにも、学校内でもできない相談を受けるのは、僕にはあまりにも荷が重いのだ。

 レオンがバスケ部の後輩らしき女子に呼ばれ、廊下で話し込んでいる間に、霞は、なるべく早足で、それでいて静かに(足音を消して歩く習慣がここにいて活躍するとは)、教室を出て、校舎を後にした。

 レオンがどのように通学しているのかは知らないが、この時間、電車の本数は増えている、駅に着いてしまえば、もう安全だ。

 いくら走っても、バスケ部の足でも、電車の走りには追いつけないだろう。

 そう思いながら歩き、歩き、駅が見えた、その時。

 トタタタタッ……と、小刻みな足音が、背後から聞こえて来た。

 直感で分かる、レオンだ。

 例え今から駅にダッシュしたところで、現役バスケ部エースの俊足に、文芸部幽霊部員の僕の鈍足が敵うはずもない。(幽霊でも足はある)

 お手上げだった。学校からここまで走って追いかけてくるその行動力に、頭が上がらない。

 霞は、前に振り上げた足を、戻し、その場で立ち止まり、振り返る。

 そこで、僕は悟ったのだった。

 レオンの俊足、特に、狭いバスケットコート上を駆ける、その近距離特化の走法を、甘く見ていたことを。

「ちよっ……急に止まったら……!」

「う……わ!」

 まだ距離があると見積もったレオンが、わずか数歩で目前に迫って来た。

「とっ、とと……」

 彼女は、どうにか減速しようと、細かくステップを踏んでいる。しかし、ここまで走ってきた勢いを殺しきれていない。身体が前に流れている。

「とっ!」

 ぶつかる!

 そう思った瞬間、レオンは、僅かに腰を落とし、そして、

 飛んだ。

 正確には、『跳んだ』だが、間近で見ると、空を飛んでいるようにしか見えない。

 それはまさに、『天翔ける獅子』という異名に相応しい、見事な跳躍だった。

 霞は、横に身を避けることも、その場に屈むことも出来ず、ただ圧に押されるようにして倒れ、尻餅をついただけだった。

 だから、レオンは、無様に転んだ俺を、飛び越えるように跳んだのだった。

「……あ」

 見てしまった。

 真下からのアングルで。

 言うまでもなく、うちの高校の女子の制服はスカートである。

 僕の位置からは逆光になっており、は全く見えない。

 しかし、ハードルを飛び越えるようなフォームで、前後に伸ばされた足の、土台となる太もも、バスケリングまで体を浮かせる脚力を生み出すその筋肉、その形、が、はっきり、と、見えてしまった。

 全体のシルエットは逆三角形。筋肉によって、内側から張り裂けんばかりに膨らみ、ハリのある肌にたくましい血管を浮き出させている。岩を粗く砕いたようにも、大蛇を束ねたようにも見えるその足は、しかし、確実に女性である。表面の艶やかな輝きと、優しさの残る曲線が、そう見せている。対して、膝から下はアンバランスなほどにシャープ。鋭利なほどに、研ぎ澄まされている。それでも、肉の膨らみでカーブを描き、決して折れない厚みを重ねている。

 その一瞬、時間が止まったようだった、シャッターが切られたように、景色が、僕の網膜に焼き付けられる。

「っとと、ごめんごめん! 大丈夫⁉︎」

「あ……ああ」

 霞を飛び越えたレオンは、急いで正面に回り込み、霞の前でしゃがみ、謝罪する。

「『置いてかれちゃった!』って思って、全力ダッシュで来たんだけど、アスファルトの上走り慣れてなくてさ、うまく減速がかけられなかったんだ。怪我してない?」

「大丈夫」

「良かったー!」

 そう言いながらレオンは、未だにアスファルトの上に座り込んでいる霞に手を差し伸べる。

 僕は、大丈夫なところを見せるため、手は取らずにスッと立ち上がって見せる。

 そして、レオンを促し、駅まで一緒に歩き出す。

 まだ少し尻が痛む。すぐに立ち上がれなかったのは、怪我のせいではない。

 ただ、あの光景を見た瞬間、本能的に刻み込まれてしまったのだ。

 それは恐怖。肉食獣の持つ、牙や、爪や、強靭な四肢に反応する、弱い動物の生存本能。

 猛獣を連れ歩いているような感覚、登校初日以来感じなかった、通学路での緊張感だった。

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