第4話 増幅

ああ、嫌だ。どいつもこいつも、私を悩ませ、苛立たせ、怒らせてばかりだ。

なぜ、いちいち私に伺いを立てるんだ。そりゃ、相談してくれとは言ったが、なんでもかんでも私がいちいち言わなきゃ動けないっていうのか。前に指示したことくらい、覚えていたらどうだ。同じような案件なら、同じように処理すればいいだろう。


ああ嫌だ。なぜ、あの子供たちはあんなにはしゃいで大声を出して走り回っているんだ。何が楽しいんだ。こっちは休日なんだぞ。静かに休ませてくれないのか。


ああ嫌だ。なぜ、あの店員はいつまで経ってもレジ打ちが遅いんだ。箸は必要ですか、だって。箸なしでどうやって食べろって言うんだ、いちいち聞かないでも箸を付ければいいだろう。


ああ嫌だ。なぜあいつらは犬の散歩なんてしているんだ。しかも道の途中で立ち止まってしゃべりやがって。ほらみろ、犬同士がじゃれついて吠え出した、うるさいじゃないか、なぜ止めないんだ。


ああ嫌だ。腹が立つ腹が立つ腹が立つ――。オマエラ、ミンナ、シンデシマエ――


私ははっと我に返った。

私は一体何を――?

そんなに腹が立つことか?怒るほどのことか?

部下が仕事の伺いを立てるのは当たり前じゃないか。勝手な判断をされるより慎重に進めてくれる方がいいじゃないか。

子供が元気なのはいいことじゃないか。静かに遊んでいる方が心配になる。

コンビニ店員だって、箸を付けるか付けないか、確認するのが彼らの仕事じゃないか。まだ「トレーニング中」の札を付けているんだ、多少レジ打ちが遅くたって、当たり前じゃないか。

犬の散歩をして何が悪い?柴犬同士の飼い主、おそらくは顔見知りなんだろう、散歩途中に出会っておしゃべりするのはよくあることだろう、道を塞いでいるわけでもない。

どれもこれも、私が勝手に腹を立てているだけじゃないか。


分かっている。分かっているんだ。誰も悪くない。悪いのは、当たり前のことに腹を立てている私の方だ。なのに、心の奥底から湧いて出る怒りを抑えられない。止められない。

最近は、部下たちも私に怯えている。しょっちゅう苛々して怒鳴るような上司なら怯えて当たり前だ。


自分でもおかしいと分かっていて、このままではいけない、と病院にも行った。

医者は「職場と環境が変わったストレスでしょう」と言い、安定剤と睡眠剤を処方してくれた。

しかし、別に夜に眠れないわけではないし、安定剤なら苛立ちや怒りはいくぶんマシになるかと思ったが、私の怒りは益々ひどくなるばかりだった。薬が体に合わないのかもしれない。


私は自分自身にも腹を立てながら、乱暴に部屋のドアをバンっと開けた。

積まれたままの段ボール箱の山にも、もう慣れた。

しかし、この薄暗さにはどうしても慣れない。陰鬱な気持ちがかえって増幅されるような気がする。


増幅――?


私ははっとなった。そして、改めて、部屋の中をまじまじと見た。


段ボール箱だけではない。空き缶、ペットボトル、コンビニ弁当やスーパーの惣菜のプラケース。

脱ぎ散らかされた服。散乱した、ポストに入っていたチラシ。

そこかしこにホコリが溜まり、ゴミが落ちている。

ゴミ袋は封もされずに口が開いたまま、分別もされずにゴミが放り込まれ、それが十数個も部屋のあちこちにおかれたままだ。

そして、相変わらず、まだ早い時間だというのに薄暗い部屋――


なんだこれは、人の住む部屋か?これじゃあまるで、ゴミ屋敷じゃないか。

一体この部屋はいつからこんなんだった。いつから掃除をしていなかった。

掃除?そもそも、ここに来てから、私は掃除をしたか?

思わず、ゾッとした。

ここはだめだ。ここにこれ以上いてはいけない。

本能的にそう思い、私はスマホを片手に、不動産のサイトを検索し始めた。

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