161.一方その頃、神獣は思い出していた

「……ここまで禍々しく変じたか。神魔獣よ」


 そう呟いた神獣システム。彼の者の脳裏には、かつて倒したそれの姿が思い描かれていた。




 かつてベンドル王帝国は、現在いくつもの国が分かれて統治している広大な大地の全てを我が物とせんがために広く戦を行っていた。

 当時は王帝の名のもとに集った兵たちの士気は高く、周辺国の軍は苦戦を強いられていた。その中でも善戦していたのが、現代にまでつながるゴルドーリア王国の軍である。

 当時の王は、多くの魔術師を従え神に祈りを捧げた。民のため、世のための正義が我らのもとにあるのならば、どうぞ我らに……否、戦に巻き込まれる民のために救いの手を、と。


「我こそは神の使い、神獣システムなり。神はそなたらに我と、そして民を潤すための水を授けられた」


 その祈りに応え現れたのが神獣システムであり、『神なる水』であった。

 生命の糧である清らかな水を得たことでゴルドーリア軍は活気づき、周辺国との協力で次々にベンドル軍を打ち破っていった。

 ベンドル軍もまた『神なる水』の情報を得たことで、それを手にする正当な権利を主張したのだが。


「ゴルドーリアの王が祈ったことにより、水がもたらされた。よってベンドル王帝国とやら、そなたらの主張は認められぬ」


 白き有翼の獅子、システムが凛とした声でそう言い放ったことにより、更にゴルドーリア軍の士気は増した。『神なる水』の地、後の王都よりベンドル軍を遠ざけ、どんどん北の地へと追いやっていく。

 そのゴルドーリア軍の中に、赤い髪の魔術師がいた。神に祈りを捧げた一人でもあった彼を、神獣は殊の外気に入った。


「我はそなたの魔力、魂の色が好みだ。名は何という」


「ランディス、と申します。神獣様」


 問われて答えた名は、その一つしかなかったという。魔力の高さにより市井から見いだされたその魔術師は、神獣の側仕えを許されることとなった。曰く。


「我を世につなぎとめるには、相応の魔力を持つ者を依り代とするのが一番容易い。中でもランディスの魔力を、我は好む」


 その言葉を、ゴルドーリアの王は重く受け止めた。




 さて。

 神獣システムの参戦により戦況が一気に不利となったベンドル軍は、逆転の一手にかけることとした。

 ベンドル軍が使役魔獣を戦力としているのはこの頃よりも前からのことであったが、その中で当時の王帝は強力な魔獣を生み出す術をほぼ手中に収めていた。

 すなわち神の如き魔獣、神獣にも匹敵する力として名付けられた神魔獣である。


「神魔獣よ! そなたこそ、真の神獣である! 偽の神獣を滅し、喰らい、我がベンドルに世界と水をもたらせ!」


 そう高らかに叫んだ王帝は、その後の消息が杳として知れないという。その場に並び立っていた魔術師も、司令官たちも。

 ただ、猛禽の頭部と翼、そして肉食獣の身体を持つ神魔獣は口元を血に染めながらゴルドーリア軍の前に現れた、と王国の記録は記している。


「人の王よ、ランディスよ。あれは、我だけでは手に余る」


 その姿、そして全身からあふれる魔力を感じ取った神獣は、自らの隣に並び立つ王と魔術師にそう告げた。だが王は、軽く首を振り応える。


「……申し訳ない。本来であれば神獣様のお手をわずらわせることなど、あってはなりませぬのに」


「俺たち人間が始めた争いに、神獣様と『神なる水』のお力添えをいただけただけでありがたいのです」


 神獣の力を敵の殲滅に使うつもりなどなかった。そう告げる王とランディスに、システムは目を細めた。

 彼らが自身を呼び出したのは、あくまでも民を守るため。しかし、戦を終わらせることも民を守ることにつながるのだから、システム自身としては参戦に何ら異存はない。

 その意味の一つが、今目の前に現れたあの愚かな獣である。


「しかし、あれは何ですかな? 神魔獣、などとふざけた名で呼ばれておるようですが」


「我らと対抗できるまでに成長した魔獣、とでも言えばよいか」


 ランディスの疑問を、システムはわずかに考えて答えを紡ぎ出した。ただ、それからすぐに思い直す。

 言葉を柔らかくすることはない。ここは戦場であり、あれは敵なのだ。


「だがあれは、単なる成長ではないな。魔力を……いや、あれは、多くの人を喰らい化け物と化した存在だ。内側に宿す魔力に、怨念がこもっておる」


「何と」


「え」


 自身が感じ取った気配、そこから導き出される結論を神獣が告げた時、人々の顔色は目に見えて白くなった。

 震えながら、それでも王は確認のためか、口を開く。


「確かに、人を食らった魔獣が強大化する事例はございますが」


「だが、そういう場合大抵の魔獣は飢えから人を襲い、結果として強大なものとなったのであろ?」


 山中や砂漠を迷い、食と水に飢えて死すのは人も獣も魔獣も同じことである。その中で僅かながら頑強な身体を持つ魔獣は、倒れた人を食らうこともある。中には、人を好んで食う者も。

 そういった魔獣が強大な力を持ち、進んで人を襲うようになった事例はいくつかの記録に見られる。だが、あの神魔獣の域にまで達したモノはいない。その前に、討伐されてしまうからだ。

 だから、神獣が苦々しげに顔を歪めるほどに力をつけたあの獣の、力の出どころは。


「あの神魔獣とやらは、意図的に人を食わされたようだ。でなくば、あそこまで愚かな存在とはなれぬ」


「……ベンドルは、世を己のものとするためにそこまで」


 ランディスが、拳を握りしめる。ふわり、と沸き起こった魔力のかすかな光は、未だ戦意を失っていない。

 自身が魔力を好み、側に置かれることとなった魔術師。これもまた、民の一人である。


 システムの心は、決まっていた。


「あれの相手は、まず我がする。人は刃と魔力と、そして数をもって我を援護せよ」


「御意」


「お力添えを、いたします」


 神獣の命に王は深く頭を垂れ、魔術師は握っていた手を開いた。




 やがて神魔獣は神獣と人の力により滅ぼされ、多くの戦力を失ったベンドル王帝国は北の果てへと追いやられることとなる。

 その状況に変化が起きるまで、人には長い長い年月が流れ。


「あの時よりも、我には不利だの」


 そう、テムと愛称で呼ばれることとなった神獣は口の中だけで呟いた。

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