140.一方その頃、お出迎えが来た

「きしゃ」


 いつもそばに寄り添う小柄な鳥の姿の魔獣が、独特の声を上げる。少女は閉じていた目を開き、音もなく立ち上がった。

 足音もほとんどしないのは、室内も廊下も上質の絨毯を敷かれているから。その上を滑るように歩み、クジョーリカは離れの玄関から外へ出る。四肢を持つ鳥の魔獣も、彼女についてきた。


「……ふむ」


 普段なら僅かに感じる、結界の威圧感が感じられない。どうやら、ベンドル王帝国の長を守るために展開されていた結界が今や消失しているようである。

 神獣システムがブラッド公爵領をしばらく離れるため、この結界は新しく据えられた基石とそこに流し込まれた神獣の魔力を元に展開されていた。それが消えたということは残った者による魔力の補充がされなかったか、もしくは基石が破壊されたか。


「きゅい」


「分かっておる」


 そうして、魔力ではなく人の気配を感じ取った魔獣が鳴き声を上げた。それに頷き、クジョーリカは声を低く保ちつつ言葉を紡ぐ。


「何者か。ここはゴルドーリア王国ブラッド公爵領、領主の館ぞ」


「我々は、ゴルドーリアの王家に仕えるものでございます。ベンドル王帝陛下」


 王帝の声に答えて姿を現したのは、白髪交じりの黒髪の男だった。ひどく年を取って見えるが、これはどうも年齢相応ではなく何がしかの苦労を経た結果であるようだ。

 その背後には、男とどこか似た容貌の青年も控えている。双方ともに、ゴルドーリアの兵装を身に着けているがいまいちサイズが合っていないようだ。


「王家の手の者が、何故公爵邸の結界を消す?」


「一時的に停止しただけでございます。人知れず、王帝陛下にお目通りいたしたい要件がございましたので」


 自分の前に跪く二人を見下ろし問うたクジョーリカに、青年のほうが応える。前に控える男と同じく、本来の年齢よりも老けて見える表情だが……その目には、密かな殺意が宿っていた。


「妾を殺すか? 今更、ベンドルにとってはさほどの支障にもならぬぞ」


「大宰相は、それを支障とは考えておらぬようです。国の全てを己のものとし、神魔獣の力を以て世を統べるための生贄に良いということのようで」


 これは、白髪交じりの男の言葉。だがその内容に、クジョーリカは訝しげに眉をひそめた。

 大宰相とはこの場合、ベンドルにいるシオン・タキードのことだろう。だが、ゴルドーリアの者が何故そのようなことを口にするのか。そもそも。


「そなた、どこからその情報を得たのだ? シオンめは、人に考えを漏らすような男ではないぞ」


「無論、私めがお教えしたのでございますよ? 陛下」


「きしゅあああああ」


 先程からずっと警戒を解かなかった魔獣メティーオが、ここに来て唸り声をひどく上げる。この場にはおらぬはずの黒衣をまとう男が、ゆっくりと進み出てきたからだ。帝都の人工の明かりでは黒と見えた髪は、太陽のもとでは赤い色を含んでいることが分かる。


「シオン!? そなた、国は何とした」


「私には影がおります故、今はそれらに任せております。陛下を連れ戻すには、私自身が来なければ無理でしょうからね」


 そもそも自身が国を出てきた存在であるがゆえに、クジョーリカはシオン・タキードの言葉に強く言い返すことができない。

 そうして、王帝という存在がベンドルにとってはあくまで飾りなのだ、ということを彼女は改めて理解する。自身が国を出てくる時に身代わりを置かなかったのはシオンがいるからで、つまりシオンさえいればベンドルという国は回るのだから。


「きゅいあああ!」


「黙りなさい、メティーオ。本来のお前の主は、私ですよ」


「きぃっ!」


 あくまでも王帝のそばを離れようとしないメティーオに向けて、シオンは鋭く命じた。途端、魔獣の唸り声が止まる。

 それを見て、クジョーリカは歯噛みした。


「妾は、そなたが利用するための傀儡でしかないのだな」


「ええ。ですから、他の王帝家の方々には早めに退場いただきました。親の時代から、色々手を打って」


「貴様っ」


 シオンの言葉に感情が含まれているとするならば、それは無知な小娘への嘲りであろう。それを感じ取った王帝が端正な顔を歪めるのとは対照的に、シオンは楽しそうな笑みを見せた。


「おわかりかと思いますが、声を上げても無駄です。これでも、薄くはありますがブラッド公爵家とは血がつながっておりまして」


 大きく両手を広げるシオンの手のひらに、ふわりと魔力の光が宿る。それに対応して、クジョーリカの周囲に淡い淡い光の壁がそそり立った。「しゃう!」と声を上げて突進したメティーオがあっさりと弾き返され、その実力を発揮する。


「この周辺以外の結界には、全く手を出しておりません。それに、私が展開したこの結界のおかげでどうやら、ブラッド公爵領の方々はこの状況にまるで気づいていないようですね。ははは」


 その言葉にクジョーリカは、ぎりと奥歯を噛みしめる。キャスバートたちはベンドル帝都に向けて出撃しており、留守を守るのは身重の当主メルランディアとその実妹であるセオドラだ。

 彼女たちに気づかれることがない、という事態にはクジョーリカは感謝する。メルランディアやセオドラの身に何かがあっては、自分を保護してくれたブラッド公爵家やキャスバートに申し訳が立たない。

 だから、彼女の怒りの矛先はシオンと、その足元に平伏している二人の男たちに向けられている。……何をするでもないが、何かがあったときにまず間違いなく最初に殺すべきは、この者共であろう。


「タキード閣下。本来の『ランディスブランド』本家は、タキード家なのではと愚考いたしますが」


「その腰の低い卑屈な態度、嫌いではありませんよ。ジェイク・ガンドル卿」


「は、ははあっ!」


 ジェイクと呼ばれた男が何を見たのかは、クジョーリカには分からない。ただ、その男とそばにいる青年は本来の主であったらしいゴルドーリアを裏切り、シオンの配下……否、下僕としてこの場にあるということだけは理解できた。


「ヨーシャ・ガンドル卿。王帝陛下に付き添い、ベンドル帝都に入ることを許します。あなた方に苦労をかけた、愚か者共への制裁をそこで行いましょう」


「あ、ありがたき、幸せ!」


 若い方の男、ヨーシャと呼ばれた彼はシオンの指示に小躍りし、跳ね起きるとクジョーリカに駆け寄りその手を取ろうとした。

 王帝の手がばしんとそれを弾くのと、鳥魔獣のくちばしが思い切り噛み付くのとはほぼ同時であり。


「触るでない。妾とて、己の状況くらい分かっておるわ。案内せよ」


 そう応える王帝陛下の声のバックミュージックは、「ぎゃああああ!」とのたうつヨーシャの悲鳴であった。

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