58.結界で防げないもの

 ふわり、とテムが膝から降りた。広い絨毯の上をゆったりと歩き、本当の猫のように伸びをする。ま、本当の猫って背中で一緒に伸びてくれるような翼は生えてないんだけど。


「……では、我は我なりにできることをやっておこうか」


「神獣様?」


「我としては、安心して新たなる『ランディスブランド』の誕生を待ちたいのでな」


 どこか興味深げな顔をするサファード様に軽くしっぽを振ってみせて、それからテムはすっと天井を……その向こうにある空を見上げた。

 瞬間、白猫の全身がふわりと光った。その光が粒となって、四方八方に広がっていく。その途上で当然俺たちの身体も通過するんだけど、痛くもなんともない。ただ、少し暖かいなと思っただけで。

 そうして俺は、この感覚をよく知っている。自分も使えるけれど、テムのほうが確実に強力なものを生み出すことができる、結界展開のための魔力だ。


「今のは、神獣様の結界ですか」


 そのことにサファード様も気づいたのか、はっきりとそう尋ねてこられた。テムは「そうだ」と頷いてみせて、その場でごろんと横になる。おのれ猫め……いや、猫の姿した神獣だけど。


「ブラッド公爵領において人の住まう集落とその周囲を、我が結界で包み込んだ。少なくとも今後しばらくの間、この領域において愚かなる挟撃作戦は通用するまいて」


 いや、さすが神獣だけどさくっとやるか、そのレベル。いくらなんでもブラッド公爵領って、王都より広いぞ。

 ……ああ、だから『しばらくの間』なのか。無期限に展開するわけではなくて、ベンドルの脅威が去るまでの間。

 そうすると、魔力供給はちゃんとしないとな。王都でやってたのと同じように、がんばるか。


「今後、なのですか?」


「既に領域内に入っておる者がおれば、それは防げぬ。人の手で駆除することになろう」


 そうして今後の単語の意味についても、テムはサファード様に説明してくれた。ああそっか、既に入ってきてる可能性は高いよなあ。その辺りはしっかり調べないといけない……けど、大喜びでやってくれそうな人材を俺は知っている。


「……ファンラン辺りがいそいそと探し出してきて、楽しく縛ってくれそうですが」


「私にはあの趣味はよく分からんが、器用ではあるな。おまけにあやつら、まるで逃げられぬし」


 メルランディア様、その感想は……ま、普通といえば普通か。ファンランの趣味が分かる人って、どんな人なんだろうね?

 と、ともかく、ベンドル側の間諜とか兵士とか発見できたら、とっ捕まえるなり片付けるなりしなくちゃいけない。最低でも、ブラッド公爵邸の周りは。


「すまんな。私が動けるのであれば、サファードやセオドラとともに調べるのだが」


 なんてことをメルランディア様がおっしゃるのだけれど、普通領主が堂々と矢面に立つのはどうかと思うんですが。

 というか、お腹にお子様がいてよかったよ。お強いのは知ってるけど、万が一のことを考えておとなしく引っ込んでていただける理由になるし。


「僕とセオドラでたっぷり動きますから、大丈夫ですよ。メル」


「俺たちも、しっかりがんばりますから。メルランディア様はお身体を大切にしてください」


「我もおる故、案ずるでないぞ」


「うむ、頼みます」


 そんなわけでサファード様と俺、それにテムは皆でメルランディア様をなだめた。ここにセオドラ様がいても、同じような言葉をおっしゃるだろうな。




 ひとまず、自分の村だけでもしっかり見ておかないといけない。そういうことで、獅子の姿になったテムの背中に載せてもらってあっという間にバート村まで戻ってきた。軽い結界を張っておいたので、ほとんど風の抵抗がなかったのは楽だったよな。


「あ、お戻りでござるか。ランディス殿、テム殿」


「ただいま。村は大丈夫かな?」


 自分ちの前で、ちょうど何かを抱えて戻ってきたファンランと鉢合わせた。とりあえず、見つかって縛り上げられたかわいそうなベンドル関係者はいないようだな。


「特に問題は起きていないでござるよ。ただ、このようなチラシが上空からばらまかれたでござる」


「チラシ?」


 ファンランが抱えていたのは、何やらごわごわした紙に手書きで色々記されたチラシ、らしい。一枚もらって見てみると……あーうん、分かりやすくベンドル発だった。


『真の王・麗しき我らが王帝ベンドル十五世クジョーリカ様が、満を持して『神なる水』を奉じる都に戻られることとなった。民は全て真の王の帰参を祝い、凱旋の道を開けよ』


「そう言えば今の王帝さん、クジョーリカって女の子だっけ」


 確か、俺が王都に行って少しあとくらいにそういう情報が入ってきたって聞いたぞ。先代が亡くなられたので、一人娘のクジョーリカが王帝の座についたとかなんとか。あのとき何歳だったっけ、八歳?


「国境付近の領地には、即位のときにこのようなチラシがばらまかれたとライザ殿に伺ったでござる」


「微妙に宣伝頑張ってるんだなあ、ベンドル」


 その情報源は、ベンドルが頑張って作ったチラシだったらしい。ライザさんが言ってたってことは、その時ここらへんにもばらまかれたんだろうなあ。


「……ということは、おそらくここの上空をベンドルの使役獣が飛んでいったのであろうな。それで、この紙を撒き散らしたと」


 あ、テムがちょっとすねてる。もしかして、ベンドルのチラシを自分の結界が防げなかったとかそういうことか?


「いくらなんでも、チラシに敵意はないぞ? テム」


「それはそうだが」


 うん、やっぱりその点ですねてるよこいつ。なんだか、ものすごく可愛いから撫でよう。


「テム殿、もしかして結界を展開されたか。なるほど」


 俺とテムの会話で状況を察したらしいファンランも、一緒に撫でてくれた。ああ、喉ごろごろ鳴ってるぞ、テム。

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