14.一方その頃、公爵が知った
ゴルドーリア王国王都より、北東に乗り合い馬車で四日。道の両側にぽつんと置いてある石の標より先が、ブラッド公爵家の領地である。もっとも、荒れ地に置かれた標は単なる目印の意味しか持たないが。
その標より更に半日かかって、やっと領主であるブラッド公爵の屋敷に到着する。その四日と半日の距離を僅か三分の一、一日半という短時間で届けられた物を、公爵家の執事は当主の元へ持参した。
「当主様、王都より速達の手紙が届きました。その……王紋入りの箱で」
「王都から、王紋入りでか。こちらに」
執務室で書類の相手に奮闘していた当主は、濃い赤の瞳を補佐するべっ甲縁眼鏡の位置を指先で直しながら形の良い眉をひそめた。さらり、と癖のある真紅の髪が肩から流れ出る。
メルランディア・ブラッド。『ランディスブランド』の一人であり、公爵家の正当な女性当主でもある彼女は文箱を受け取り、怪訝な顔をした。
「では、わたくしはこれで」
「そこにいてくれ。王家から速達ということは、急ぐ用事があるからだ」
退室しようとした執事を引き止め、メルランディアは文箱の中身を取り出す。箱と同じく国王のみが使用することのできる王紋が記された封筒と蝋封を確認し、蝋を外して便箋を取り出す。
「……ふむ」
同じく王紋が描かれた便箋の中身にざっと目を通した当主は、執事に視線を向けた。すいと立ち上がると、女性としては高い身長故か執事を見下ろす角度になる。
「キャスバート・ランディスの生家はどうなっている?」
「月に一度人を遣り、清掃と空気の入れ替えを行っております。前回は半月前でした」
「では、今からやるよう手配してくれ。どうやら、お役御免になって帰ってくるようだ」
「何と」
当主の指示とその後に続いた言葉に、執事は目を見張った。
五年前、国王に見いだされ『ランディスブランド』の特務魔術師として王都を守る任についたキャスバートは、メルランディアの遠縁の親戚に当たる。
国の中心たる王都を守るために領地を発った彼に報いるべく、公爵は無人となったランディス家の小さな屋敷をこまめに手入れし、彼が許されて里帰りしたときに何ら困らないように手配していた。
それが、お役御免とは。執事はさすがに、当主の言葉を信じられずにいる。
「王太子殿下と宰相閣下が、愚かにもキャスバートを解任したと記されている。神獣がお怒りになり、キャスバートを追って王都を離れられたと」
「なんですと!」
便箋に記された内容をざっと言葉にして、メルランディアは歩み寄るとそれを執事に渡した。執事もまた赤い髪、赤い瞳の持ち主であり、『ランディスブランド』を名乗ることはかなわないまでもその血を受け継ぐ者の一人である。
「国王陛下はゴルドーリア王国を穏便に終わらせるため、王都の民を移住させる算段だ。おそらく、目的地はここになる」
「ゴルドーリアは、終わるのですか」
「王都の護りがなくなったからな。特に北のベンドル、あれが狙っていたが故の結界だったのだが」
短く、無駄のない言葉。ブラッド家の当主は、ゴルドーリアの王が便箋に記した状況から彼が達した結論を導き出していた。
北のベンドルとは、ベンドル王帝国。古い時代に世界を治めていた国の末裔を自称し、君主は他国を従える王にして帝という意味で王帝と称する国である。
もっとも現在は北の氷の大地を主な領土としており、南下の機会を狙って軍備強化に励んでいる小さな国、なのだが。
メルランディアのセリフからすると、当の北国が狙っているのがゴルドーリア王国王都、ということになるらしい。
不意にその彼女が、執事に問いを投げかけてきた。
「……何故、神獣と『ランディスブランド』を擁して王都を強固に守っていたのか、お前は知っているか?」
「朧げには。王都の地下深くにたゆたう、『神なる水』を守るため……でしたか」
「まあ、間違ってはおらんな」
国民の多くは、なぜ神獣システムが『ランディスブランド』の特務魔術師と協力し王都を守るための結界を展開していたのか、理由を知らない。単に国の都であるから、重要だからだろうと認識している者がほとんどだ。
貴族の多くや近衛騎士など、高等教育を受けた者や読書を趣味として多くの本を読み込んだ者などは、『神なる水』という存在すら朧げななにものかを守るための結界、だということを認識している。少なくとも王都において、水という存在の不足を感じることは皆無だ。
「人が生きるためには、何と言っても水が必要になる。己が飲み、作物に与え、家畜に与え、地を肥やすために水はなくてはならないものだ」
「はい」
その意味を、メルランディアは執事に語る。単なる水というものが、生きる人にとってどれだけ重要かを。
そうして、王都を守るための意味がそこにあるということを公爵は更に語る。
「王都があの地に造られたのはな、その水が大量に湧き出るからだ。しかも、直接飲んでも病にかかることのない清らかな水が」
「ろ過器と魔術による浄化、ではないのですか?」
「王都にはそんな施設はないよ。我が領地を始めとした、王都から離れた場所では必須だがな」
井戸にしろ、川の水にしろ、そのまま飲用として良いものとは限らない。それらを各国ではろ過器で処理し、更には浄化魔術を使用することで人が飲んで問題ない質の水としている。
だが、王都で利用されている水にはその処理は施されていない。そもそも清潔な水に、処理の必要がないからだ。
「王都に住まう多くの人や家畜、作物を養うだけの清らかな水が、尽きることなく湧き出る楽園。王都周辺が緑に溢れ、そこから離れるにつれて砂や岩の地面が増えていく理由もそこにある」
ゴルドーリアの王都が王都である理由は、都を養うだけの清潔な水が止めどもなく湧き続けるから。限界があるのかどうか、それは分からないが少なくとも、神獣による結界をして護ることになってから長らく、水がかれたことは一度もない。
「そして……清らかであるが故に、古い伝説にはこうある。『神なる水を手中に収めた者は、世界の覇者となる』とな」
「なるほど……汲めども尽きぬ、清らかなる水。故に神なる水、でございますか」
執事も、貴族の一系統を出自に持つ者である。よってそれなりの高等教育を受けており、メルランディアが伝えようとする知識の意味をすばやく理解することができた。
そうして、北に座すベンドル王帝国がゴルドーリアの王都を狙ってくるであろう、その理由も。
「ベンドル王帝国はそもそも、世界統一という名の征服を目論んでいる。軍隊もそれなりの力をつけ、まずはすぐ南に存在するゴルドーリア王国の占領を狙っている……このくらいは、基礎教養だな」
「はい。……つまり彼らは、神なる水の恩恵により緑豊かなゴルドーリアの王都を狙う。自分たちこそが世界の長であり、冷たい地より進み出てその都を自らのものとする、と」
「そういうことだ。それを防ぐための、神獣による守護結界だったのだが」
執事の理解を得て、メルランディアは一瞬だけ満足そうに微笑んだ。だがすぐに、その笑みは消え去る。
「我が夫サファードは、そろそろ訓練より戻る時間であるな。疲れているであろうが……」
「サファード様であれば、問題はないでしょう。三度の食事より訓練、本来であれば訓練よりも公爵様でございますから」
「……ん、んむ」
ただ、執事のどこか楽しそうな言葉に思わず、髪と同じ程に顔を赤く染めた。
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