第11話(後)

 その後、雑貨屋で店用のマグカップを十個購入した。

 姫奈は複数の色を選びたかったが、アキラに却下され全てシンプルな白色になった。その代わりというわけではないが――


「アキラさん。これ、可愛くないですか? わたし達用に使いません?」


 セット販売ではないが、猫と犬のイラストがそれぞれ描かれた二種類のマグカップがあった。


「アキラさんは猫っぽいんで、こっちで」


 群れることも周りに左右されることも無く静かに佇む様は、気品ある猫のようだと姫奈は思っていた。

 ちっちゃくて可愛いところも――と小さく付け加えた。


「確かにお前は犬っぽいけどな。いいぞ、買っておけ」


 アキラは貶められたと思っているのか、皮肉のように返した。

 会計を済ませると、配送される店用とは別に、姫奈はふたつのマグカップが梱包された紙袋を受け取った。



 さらに別の店で、白いマーカーで書き込み可能な自立式の黒いメニューボードも購入し、配送手続きを行った。


「よし。これで全部か」


 一通りの買い物が済むと、時刻は午後の一時を回っていた。

 約三時間も休み無しで買い物できる体力が、よくアキラの小さな身体にあるなと、姫奈は感心した。

 一方の姫奈は疲れも去ることながら、朝食後に飲んだ生理薬の効果が薄まってきているのを痛みで感じた。それに、そろそろトイレにも行きたかった。

 アキラは姫奈の顔を見ると、姫奈の手を取り歩き出した。


「……すまなかった。ランチにしよう。すぐ入れる店でいいな?」


 姫奈からはアキラの表情が見えなかった。自身のをグイグイ引っ張る小さな手は、なんだか力強く感じた。


「アキラさんの食べたいのでいいですよ」

「バカ言うな。――お前、顔が真っ青じゃないか」


 表情おもてには出していないつもりだったのに、と姫奈は思った。

 しかし、我慢していたことを怒りもせず、変化を汲んでくれたことが嬉しかった。

 腰痛を患いながらもしばらく街中を歩くが、昼過ぎの時間帯ということもあり、飲食店はどこも混んでいた。


 結局、チェーン店のカフェの窓際にテーブル席がひとつ空いているのが見えたので、そこに入った。

 アキラがレジまで注文に行っている間、姫奈は席に鞄を置くと貴重品を持ち、トイレを済ませた。

 頭は割れるように、腹部は針を刺されているように痛い。

 席に戻り少し待つと、いろいろなものが乗ったトレイを持ち、アキラがやって来た。


「ほら、ホットココア。お腹温めろ」


 アキラから飲み物を受け取り、口にした。飲み物自体が温かいため、なんだか身体が和らぐ気がした。


「あんまり味しないかもしれないが、これ食べて薬飲め。胃にくるが、よく効く鎮痛薬だ」


 次に出てきたのは、ナポリタンだった。

 甘い飲み物と凄い組み合わせだなと姫奈は思ったが、薬を服用するために胃に詰められたら何でもいいのだと、ピルケースから置かれた錠剤を見て理解した。


「ありがとうございます……。女の子の日だって、よく分かりましたね」


 アキラの一連の言動は、理解しているからこそだった。顔を見ただけで判断できたのが凄いと思った。


「分かるも何も、お前この前に自己申告してただろ――すっかり忘れてたが」

「……そういえば、言ってたかもしれませんね」


 姫奈は自分がいつ言ったのか思い出せなかったが、アキラがそう言うなら事実なのだろう。感動は一瞬でどこかに消えた。


「アキラさんはそんなのでいいんですか?」

「ああ。甘いの大好きだからな」


 アキラはチーズケーキとガトーショコラを交互に食べていた。言葉は本当のようで、チェーン店の安物のケーキを美味しそうに頬張っていた。まるで、幼い子供のようだった。

 ふたつも食べて太りますよ、と姫奈は言いかけたが、アキラの体重が病的に軽かった事を思い出した。


「アキラさん……毎日ちゃんと食べてますか?」

「たぶん、それなりには食べてると思う」


 アキラはいつも通りの淡々とした声だが、はっきりと言い切らないのが怪しいと姫奈は思った。

 自分が今摂っている食事のように、適当に胃に詰め込んで薬やサプリメントを飲んでいるイメージがあった。


「わかりました。わたしが今度、何か作ってあげます」


 あくまで勝手な想像だが、そんなアキラを見かねて姫奈はつい口走っていた。


「お前、料理できるのか?」


 自分が何を言ったのか理解した時には、アキラから半眼の視線を向けられていた。


「たぶん、それなりには……」

「ふーん。なら期待しておく」


 姫奈は普段から料理をほとんどしないので、この大型連休中に練習しておこうと思った。

 ふと、正面から携帯電話の着信音が聞こえた。

 アキラは自分の携帯電話を取り出すと、着信に応えた。


「もしもし。どうした? ……え? 凄い所? うん、確かに今そこで飯食べてるが。 ……別に、店の買い物で出かけてるだけだ。……は? 姫奈も一緒だから心配するな!」


 不機嫌そうに話しているアキラを姫奈は眺めていると、アキラから携帯電話を渡された。


「レイミから。お前に代われってさ」


 あまり出たくない相手だが、携帯電話を渋々受け取った。


『もしもし、ヒナちゃん? アキラを送り届けるまでが買い物だからね? それじゃ、よろしく』


 レイミから優しい口調ながらもどこか角がある様子で一方的に告げられると、通話を切られた。


「なんて?」

「ちゃんとアキラさんを連れて帰って、だそうです」

「ふんっ。余計なお世話だ」


 アキラは携帯電話を受け取ると、どこかヤケ気味にケーキを食べた。

 だが、何口か食べた後、ふと何かに気づいたようにフォークを置いた。


「……なあ。どうしてレイミあいつ、私がこの店に居るのが分かったんだろうな。もしかして、どこか近くで見てるのか?」


 そう言いながら店内を見渡すが、当然ながらレイミが居るわけが無かった。


「さあ……。超能力か何かじゃないですかね」


 おそらく携帯電話に子供監視用のGPSアプリが入っているんだろうなと姫奈は思ったが、面白いのでアキラには黙っておくことにした。



   *



 食事が済むとすぐに帰り、アキラのマンションが見えたのは午後二時過ぎだった。

 途中、シャッターの降りたEPITAPHの前を通った。今からでも開けられる時間だと思いながら、姫奈は目をやった。


「今日は帰って休め。明日もしんどかったら、無理しなくていいからな」


 しかし、アキラに気づかれ止められた

 明日も苦しそうな表情を見せると今度こそ怒られると思い、大人しく従うことにした。


「ていうか、ここまで送らなくてもよかったのに」

「いえいえ。レイミさんから頼まれたんで」


 かつての踞って苦しんでいたアキラを思い出すと、心配が全く無いわけではなかった。レイミがあそこまで過保護になるのも、姫奈は分からなくもなかった。


「それに、アキラさんから貰ったお薬、凄く効いてます」


 服用後、確かに胃はやや荒れ気味だが、午前よりは動きやすくなっていた。


「そうか。それなら、これ全部やるよ」


 アキラはロングカーディガンのポケットからピルケースを取り出し、何種類か入っている錠剤から特定のものを全て取り出した。


「ここでいいぞ」


 マンションの入り口で、ふたりは立ち止まった。ここまで送れば姫奈も安心だった。


「それ、貸せ」


 アキラに言われ、猫と犬のマグカップが入った紙袋を姫奈は渡した。


「アキラさんがお店に持ってきてくれるんですか?」

「いや、店の方というか――お前、飯作りに来てくれるんだろ? うちに置いておくぞ」


 アキラはにんまりとした笑みを浮かべた。


「覚えてたんですか……」


 姫奈は人質を取られたような心境だった。あわよくば流して欲しかったが、逃げ道を防がれた。


「それじゃあ、今日はありがとうございました。お疲れ様です」


 駅までの帰路を歩きながら、短いながらも楽しい時間を過ごせたなと姫奈は振り返った。

 アキラと一緒に買い物をして食事をして――まるでデートのようだったと、現在になって思った。

 五月の晴れ空の下。恥ずかしさを誤魔化すように、姫奈は鞄を持った腕を大きく振った。



(第05章『星の色』 完)


次回 第06章『冷めたコーヒー』

EPITAPHの展望を語る姫奈とアキラ。姫奈はアキラとの時間が、これからも続いて欲しいと願うが……。

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