第11話(前)

 翌朝。

 姫奈の生理はさらに悪化し、腰痛にまで響いていた。

 体調は文字通り最悪だったが、落ち込む余裕が無い程に慌てていた。


 折角のアキラとの外出だというのに、これといった衣服が手持ちに無いのだ。

 髪を切って以降、衣類量販店で買い物こそしたものの、よそ行きのは違う店で買おうと放置したままだった。

 ボトムスは昨日と同じく黒のスキニーパンツを選んだ。自身が気にいるようなスカートを持っていないうえ、体調としてもスカートを履く事は不安だったので、選択肢は限られていた。

 トップスも選択肢はほとんど無かった。後になって購入を失敗したと思っていたボーダー柄の付け裾カットソーを、初めて着た。トップスまで昨日と同じものにするよりはまだ良い、という苦渋の選択だった。


 服装が今ひとつなので、化粧はラメ入りアイシャドウとブラウンピンクの口紅を初めて使い、姫奈なりにアクセントをつけた。

 格好に納得出来なかったものの、頭痛のせいで深く悩む余裕が無かったのが救いだったのかもしれない。


 自宅を出てモノレールで数駅。商業施設の並ぶ市街地の方に向かった。

 駅前広場でアキラと待ち合わせをしていたが――アキラが起きているかを含め、上手く合流できるか心配だった。

 しかし、それは無用な心配だった。


「遅い」


 ネイビーのロングカーディガンに、カーキのガウチョパンツ。いつもと似たようなシルエットのアキラが、煙草を咥えて待っていた。

 ただでさえ明るい髪色と医療用眼帯で目立つのに、小柄ながらも妙に力強い存在感、そして美人であることから通行人の視線を集めていた。


「まだ待ち合わせの十時になってないから、遅くないです!」


 通行人からあの人物の身内だと思われる事に抵抗がありつつも、姫奈はアキラに近づいた。

 携帯電話で時間を確認すると、十時まであと十五分あった。


「今日はちゃんと起きれたんですね」

「ああ。昨日は八時ぐらいに寝たからな」

「今日び、小学生でもそんな時間に寝ませんよ」


 アクビも無く眠そうな様子ではないので、本当にぐっすり眠れたのだろうと姫奈は思った。薬の服用を疑うが、訊ねるのは止めておいた。

 アキラは携帯灰皿に煙草を仕舞うと、歩き出した。


 姫奈は以前から、高身長故に街を歩いていると通行人からよく視線を向けられていた。

 さらに現在は隣のアキラへの分も加わり、いつもより多くの視線を感じていた。心なしか、進行方向への人混みが自然と開けていくような気もした。

 アキラはそれに動じる様子もなく堂々と歩いているが、姫奈は俯き気味になり、鞄の持ち手を強く握った。


 髪を切り化粧をしても、まだ自信を持てる根拠は無かった。高身長は恥ずかしく、アキラのようには振る舞えなかった。

 アキラと並んで歩くと、容姿の劣等感は一層強くなる。

 しかし、不釣り合いな隣の存在感は力強く、逞しかった。

 他者の目には、わたし達ふたりはどう映っているんだろうか。姉妹? 友達?

 そのどちらも現在は高望みだと、姫奈は思った。だが、いずれは肩を並べて歩けるだけの存在になりたいとも思った。

 五月の空はよく晴れ、温かいというよりやや暑い日差しが照っていた。


「あの……。これ、どこに向かってるんですか? ていうか、何買うんですか?」


 目的はあくまで買い物だが、アキラは具体的に何が欲しいのか知らされていなかった。


「ん? 店の前に飾る花とメッセージボードの立て看板、それとマグカップ――適当に歩いてるから売ってそうな店を探してくれ」

「お花ですかぁ。うんうん。いい感じですね」


 店の周辺は殺風景なので、確かに花でも飾ると少しは穏やかになると姫奈は思った。そして、立て看板を置けば集客効果がありそうだと想像できた。


「あっ、お花屋さんありましたよ!」


 姫奈は目当ての店が目に入り、指差した。

 花屋に入ると、店頭には時期的に様々なカーネーションが並んでいた。とはいえプレゼント用の花を飾るわけにはいかないと思いながら、姫奈は店内を見渡した。


「アキラさん、これなんてどうですか? お辞儀してるみたいで可愛いですよ」


 姫奈は鈴蘭の花をアキラに見せた。

 垂れ下がったベルのような花びらが『いらっしゃいませ』と言っているようで、店前に置くには最適だと思った。


「うーん。花より葉っぱの方が大きくて、なんかパッとしない……。もっとこう、大きくて見栄えするやつがいい――そう、こういうやつだ」


 アキラが顎で指したものは、ピンク色の大きな花が咲きかけていた。茎や鉢自体も大きく、確かに見栄えしそうだと姫奈は思った。


「何て読むんだ、これ。花じゃなくて、何かの薬か?」


 花の鉢に札が刺さっているが、確かに見慣れない漢字だった。


「えっと……。たぶん、芍薬しゃくやくって読むんだと思います。ほら、言うじゃないですか。『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』って」

「すまない。学が無いから、そういうの分からん」

「美人のことを言うことわざですよ」


 姫奈は携帯電話を取り出し。漢字変換で読み方が間違っていない事を確かめると同時に、この花を調べてみた。


「ボタン科の花みたいですから、牡丹の仲間ですね。五月から六月にかけて咲くらしいんで、丁度いいと思いますよ」

「ちなみに、花言葉は?」

「『恥じらい』と『慎ましさ』らしいです」

「ふむ。縁起が特別良いというわけでもないが、悪くもない感じか……」


 そういうのを気にするんだなと、姫奈は思った。もし自分がアキラの立場だとしてもそこまで考えないので、感心した。


「よし、これにしろ。ピンクと白のふたつがあればいい」


 アキラは店員を呼ぼうとしたが、姫奈は慌てて制止した。


「ちょっと、アキラさん! わたし、鉢ふたつも持って帰れませんよ」

「いや、配送して貰うつもりだが? こんなの持って帰れるわけないだろ」


 ――お前も来い、荷物係。


 昨日、そう言われた気がしたけど、聞き違いだったのかな。

 姫奈は店員とやり取りしているアキラを、呆れたような目で見た。

 アキラがどういう意図で連れてきたのかは分からないが、あの時のように突発的に体調を崩す可能性を考えれば、アキラひとりで買い物に行かせるのは心配だった。

 ――それに、アキラとふたりで意見を出し合って買い物をするのは楽しかった。

 アキラが会計と配送手続きをしている間、姫奈は携帯電話で芍薬の続きを調べた。

 さっきはアキラに花言葉をああ述べたが、色によっても意味が違っていた。

 ピンク色は『はにかみ』を――そして、白色は『幸せな結婚』だった。


「……」


 姫奈は顔を赤らめながら、アキラには黙っておこうと思った。



「お店の中にはお花飾らないんですか?」


 戻ってきたアキラに、姫奈は訊ねた。


「置きたいのは山々だが、匂いがな……。ウチはコーヒーで勝負するんだから、アロマだってもう除けるぞ」

「要らないなら、わたし欲しいです」


 確かに、匂いについては以前レイミからも指摘された通り、一理あると思った。どんなに小さな花をテーブルに置いても、無臭ではない。


「わー。あれ、綺麗ですね」


 店を出ようとした時、ある棚が姫奈の目に入った。

 小さな瓶やボトルの中に、透明な液体と共に花が漬けられていた。様々な色の花が棚にずらりと並び、まるで水槽に活けられた花のアートだと姫奈は思った。


「ハーバリウムか……。これだと匂いも大丈夫そうだし、テーブルにも置けそうだな」


 アキラはひとつを手に取り、くんと匂いを確かめた。


「ハーバリウム?」


「花を加工して浸けて標本みたいにしてるんだよ。確か、一年ぐらいは保つ」

「へー」


 アキラは説明しながら、赤色と白色の細い瓶を手に取った。

 それは無造作のようで――一瞬のうちにきちんと色を選択したように姫奈には見えた。


「なあ、姫奈。星の色は何色だと思う?」


 アキラは視線を瓶に向けたまま、姫奈に訊ねた。


「星って……恒星ですか? 惑星ですか?」

「そう難しく考えるな。直感でいい。絵本に出てくるようなお星さまをイメージしてみろ」


 姫奈はアキラに言われるまま、漠然とした『星』を頭に浮かべた。

 様々な色が重なるが、姫奈の中で一番しっくりとしたのは――


「これですかね……。一番明るい感じで」


 姫奈は青色の花が入った瓶を手に取った。

 派手ではなく落ち着いた、しかし明るいその色は、姫奈の中で星だけではなくアキラも彷彿させていた。

 それを見たアキラは、片方の目を見開いた。


「……あはははは」


 そして、少しの間を置いて急に笑い出した。


「え――どうして笑うんですか!? わたし、そんなに変なこと言いました?」


 姫奈は流石に理不尽だと感じ、アキラに怒った。


「いや、すまない。そうじゃないんだ……。ちょっと、昔を思い出してな」


 そう言うアキラの隻眼は、どこか遠くを見ているようだった。

 回答に対して笑い、かつ懐かしんでいる感じなので、きっと過去に同じ回答があったのだろう。

 アキラ自身か――もしくは、違う誰かなのか――それは分からないが。


「だったらアキラさんは何色だと思うんですか? 正解を聞かせてくださいよ」


 姫奈はまだ気が晴れず、頬をぷくっと膨らませながらアキラに訊ねた。


「バカ。正解なんて無いんだよ。でも、私が昔から思うのはこれだな」


 アキラは黄色の瓶を手に取った。

 星の色を連想し、姫奈も青色の次に浮かんだのが黄色だった。


「まあ、全然わかります」


 姫奈は奇抜な答えを期待していたので、どこか拍子抜けだった。


「……なんかお前も黄色のイメージがある」


 アキラはそう言い、黄色の瓶を姫奈に向けた。

 星のようだと言われたのが嬉しい反面、恥ずかしくて姫奈は俯いた。しかし――


「良く言えば前向き、悪く言えば能天気だからな」

「アキラさん!」


 半笑いのアキラに、姫奈は怒った。

 結局――店内用に赤、白、青、黄の四色のハーバリウムも購入した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る