第08話

 ゴールデンウィーク開始の前日。

 一日の授業が終わり、教室は開放感と歓喜に包まれていた。

 姫奈は、クラスメイト達から今から遊びに行こうと誘われた。

 しかしながら、今日は先約があると断った。付き合いが悪いなと姫奈自身思ったが、嘘をついているわけではないので仕方ないと割り切った。

 今日はアルバイトを休むと、アキラに連絡済みだった。


 姫奈はモノレールに乗り、帰路についた。

 地元の駅で降りると、駅前のハンバーガーショップに向かった。

 窓際のカウンターテーブルで読書をしているお団子ヘアーの少女の姿が、店の外から見えた。

 姫奈は店に入りバニラシェイクの会計を済ませると、少女の元へ向かった。


「八雲!」


 姫奈が声をかけると、お団子ヘアーの少女は振り返った。


「え……姫奈ちゃん?」


 空閑八雲は姫奈をぼんやりと眺めた後、目を見開いた。


「ちょ――どうしたのさ!?」


 驚くのを通り越し、大騒ぎの素振りを見せた。

 現在のクラスメイトですら姫奈の容姿の変化に驚いたのだから、中学生来の親友もこうなるのは無理がなかった。


「ねぇ、写真撮ってもいい?」

「恥ずかしいからダメ」


 姫奈は制止するも、興奮した八雲は携帯電話を向け、カシャカシャとシャッター音を鳴らした。

 本当は携帯電話を取り上げたいぐらい写真を撮られるのは恥ずかしかったが、店内は他にも学生達で混み合っているため、姫奈は大袈裟に騒がなかった。代わりに、バニラシェイクの乗ったトレイを持ったまま、苦笑の表情で立ち尽くした。

 八雲はようやく落ち着くと、隣の席のリュックサックを退け、姫奈はそこに座った。


「何読んでたの?」


 姫奈は、八雲が閉じた本に目をやった。ハードカバーのそれは、年季が入っているように見えた。


「これ? 大昔の心理学者の本。学校の図書室でなんとなく取ったんだけど、案外面白いよ」

「へー。難しそう」


 八雲は中学生の頃、姫奈が知る限り、読書が特別好きというわけでもなかった。

 親友もまた高校に入学して良い意味で変化があったのだと、姫奈は思った。


「生きる意味や価値を考え始めると、我々は気がおかしくなってしまう――生きる意味など、存在しないのだから」


 八雲は芝居がかった朗読調で、その本の一節かと思われるものを語った。

 その内容を、姫奈は共感した。以前悩んでいた事に近いものなので、八雲に見透かされている気がした。


「それで――姫奈ちゃんは、誰か好きな人でも出来たの?」


 唐突にそう訊ねられ、姫奈はバニラシェイクを吹き出しそうになった。


「えっ……。な、なんで?」

「なんでって、恋しちゃってるからこんなに綺麗になったんじゃないの?」


 八雲がそう思う理由を聞くと、確かに一理あると姫奈は思った。

 しかし、首を横に振った。


「違うよ。この前会った時……あれから近くにカフェがあってね、今はそこでバイトしてるから」


 こうして八雲と会うのは、客船ターミナル広場で以来だった。

 あれからしばらく、メッセージアプリでのやり取りも無かったため、アルバイトを始めた事も話していなかった。


「そこのマスターから、髪切ってこいって言われて。産まれて初めて美容室に行ってきたよ」

「そっか……。接客なら、そういうの気遣うもんね。でもまあ、よかったじゃん。すっごく綺麗になったよ。本当に、清楚なお嬢様みたい」


 ブレザーとジャンパースカートの制服と、未だにタイツを履いているからか、姫奈にそういうイメージがあるのかもしれない。

 八雲は手を伸ばし、姫奈の髪に触れた。

 手首に引っ掛けていたのだろうか。カーディガンの裾からちょこんと出た指先にはヘアゴムがあり、姫奈のロングヘアーを手早くハーフアップにアレンジした。


「ウチはチャランポランだから、こういうの憧れるなぁ」


 携帯電話のインカメラを鏡代わりに、八雲から画面を見せられた。

 さらにスッキリしたヘアスタイルに姫奈は満足しながら、露わになった耳元に触れた。


「八雲もやりなよ。やってあげようか?」

「えー、ウチは似合わないよ。ズボラだから、もし縮毛矯正してもヘアケアすぐにサボりそう。生まれつきサラサラヘアーだと良かったんだけどね」


 確かに、姫奈は髪や肌に関する日課が増えた。面倒だとは思いながらも、美容には力を入れてこなしていた。

 八雲はそう言うが、以前までの姫奈とは違い、最低限の美容はやっているように姫奈には見えた。

 親友――というより中学生時代の勉強仲間と、勉強以外の会話を交わしている事が、なんだか不思議な感覚だった。

 傍から見れば、どこにでも居るような女子高生のふたり組だろう。

 そう成れている事が、姫奈はなんだか嬉しかった。

 勉強だけの関係ではなかった。学校こそ離れたがかつての同級生、親友のままだと、姫奈は再確認した。


「八雲はさ、何か雑誌読んでる?」

「雑誌?」


 姫奈は、最近読んだ雑誌名を口にした。


「あー、あれかぁ。それがどうかした?」

「クラスの子から教えて貰ったんだけど、なんか今ひとつだった」

「分かるよ。ティーン向けというか、子供っぽいんだよね」

「うんうん。まさにそれ」


 クラスメイトには言い辛い意見を八雲が共感してくれて、姫奈は嬉しかった。

 女子高生向けの雑誌だったが、全体的に幼い文化だと感じ、馴染み難かった。


「でも、ほら……わたし、まだ流行には全然疎いから、何かしらの情報は仕入れておきたくて」

「なるほど。ウチはこれ読んでるよ」


 八雲はリュックサックから一冊の雑誌を取り出した。

 表紙の女性が美人だなと思いながら、姫奈は受け取った。

 パラパラとページを捲り、中身を確認してみる。巻頭から『健康に良いレシピ』の特集から始まり、コスメ紹介に春夏ファッション、著名人のインタビューやコラム等、姫奈の欲しかった情報が詰まっていた。表紙には『女性ライフスタイル誌』と書かれている通り、様々なジャンルを扱っているようだ。


「これ、わたしにドンピシャかも」

「ほんと? 学校の友達にはオバサンくさいって引かれたけど、こういうのだよねー」


 確かに、二十代から三十代ぐらいの読者層を狙ったような内容だが、姫奈もまたそれが面白そうだと感じた。

 八雲とは感性が近いようだ。


「ウチはもう読み終わったし――それ、姫奈ちゃんにあげるよ」

「いいの? ありがとう」

「もし気に入ったら、次からは買うといいさ」


 姫奈は適当にページを捲っていると、性行為に関するコラムが目につき、思わず指先を止めてしまった。直接の画像は無く、そもそも性欲を満たす主旨の雑誌ではないが、なんだか生々しく感じた。おそらく読者はこういうものに躊躇や不快感を示さないのが『大人向け』なんだと思った。


「姫奈ちゃんも、そういうのに興味ある年頃だもんね。帰ってから、ゆっくり読みなよ」


 ページを覗き込んだ八雲は、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「そ、そんなんじゃないよ!」


 姫奈は慌てて雑誌を閉じ、鞄に仕舞った。

 咄嗟に否定するものの、舌を絡めるキスを経験している手前、その先の行為に興味が無いわけではなかった。しかし、インターネットで調べるには抵抗があるため、こうして差し出されるとドキドキした。


「八雲はさ……好きな人、いる?」


 その質問に深い意図は無かった。

 話題を逸らそうと、近すぎず遠すぎもしないものを選んだに過ぎなかった。


「――うん。いるよ」


 てっきり、笑いながら否定してくると姫奈は思っていた。

 だから、そのふたつ返事は意外だった。


「そ、そうなんだ……」


 相手はわたしが知っている人かな?

 姫奈は気になるが、いくら親友とはいえ無闇に踏み込んではいけない領域だと、思い留まった。


「八雲のところも、ゴールデンウィーク明けたら中間試験?」


 再び話題を逸らした。


「そうだねー」

「ゴールデンウィークは何か予定あるの?」

「学校の友達と、ちょっとした旅行に行ってくるよ。正直あんまり乗り気じゃないけど、付き合いだからさ」

「でもまあ、旅行は羨ましいよ。わたしはずっとバイトだし」


 何気ない会話を続けるが、さっきのが尾を引き、姫奈は段々と居心地が悪くなった。

 店内の、他の学生達の喧騒がうるさく耳に触れる。


「そろそろ帰ろっか」


 それを八雲は察したのか、席から立ち上がった。


「……姫奈ちゃんが元気になってて安心したよ。正直、もしかしたら、まだ引きずってるのかと思ってたからさ」


 八雲は姫奈を見下ろしながら微笑んだ。

 久々のメッセージアプリで今日こうして会おうと誘ってくれたのは、八雲からだった。

 気遣われていると姫奈は分かっていたが、あれから心境も変わっていたので気まずくはなかった。

 八雲はどうだったんだろうと、現在になって思った。

 ――もしもわたしがあのままなら、関係が壊れるかもと不安だったんだろうか?

 姫奈としては、これからも何でも話せるような仲の良い親友で居たいと、改めて思った。


「ありがとう……。この前は、ごめんね」


 姫奈も立ち上がり、最後に謝った。


「いいよいいよ。また今度、一緒にどこか遊びに行こうか」

「よかったら、わたしのバイト先においでよ。コーヒー淹れるよ」

「ほんと? 嬉しいなぁ」


 ふたりで笑いながら、店を後にした。

 姫奈はこうして親友と楽しい時間を過ごせて、明日からのゴールデンウィークに気分は高まった。

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