偉大な男

 グレート・ジョナサンは南北戦争に北軍の兵士として従軍し、ゲティスバーグで戦死した。

 彼が死んだのは戦いの三日目。

 午後一時過ぎだった。

 南軍のほうじきになった彼の胴体は吹っ飛び、偉大なる男は空を舞う自分の右足を眺めながら、天に召された。



偉大なる野球狂よ


あんたほどの男が


あんたをアウトにした鉄球ぐらい


どうして打ち返せなかったんだい?


あんたがスタンドの女の子に見惚れるはずはない。


なぜなら、あんたは純粋な野球狂だもの。


デットボール狙い?


いやいや、そんなことをあんたはしない。


それはあんたの愛が許さない。


野球への愛が許さない。


なのに、なぜ、あんな棒球を打たなかったんだい。


リー将軍に一泡吹かせるチャンスだったのに‼



 偉大さのあまり、彼はその死に方をからかわれた。

 しかし、グレート・ジョナサンは真のスポーツマンシップを持った男だったので、一言も反論しなかった。



愛用のバットさえあれば


ロングストリート中将のストレートだって


私は打てた。


でもその時


私が手にしていてのはバットではなく


スプリングフィールド銃だった。


銃身で打ち返しても


ボールは前に飛びはしない。



 こんな風に言ってやれば、グレート・ジョナサンに反論する者はいなかっただろう。

 なぜなら、彼は偉大な男だったから。


 偉大なる男は天に昇り、落胆した。

 死んだ魂は天に昇り、神の国への階段を登るか、地獄へ突き落とされるかのジャッジを受ける。

 そのために神の国へ続く巨大な門の前では、天使たちがずらりと机を並べて、亡者の話を聞きながら神さまへの報告書を作っていた。

 天に召されてすぐに天使のところへ行けるわけではなかった。

 もともと来訪者が増えている中、南北戦争の死者が加わり、亡者たちは整理券を受け取って、順番を待たなければならなかった。


 天使に呼ばれるまで亡者のほとんどは、病院の待合室のように近くの者とおしゃべりをして時間を過ごした。

 かげに坐って話す者もいれば、カフェやバーで飲み物を片手に談笑する者もいた。

 天の門の前に広がっている原っぱのあちこちに、生前大工だった者たちがつくったカフェやバーが散らばっていた。

 食材は農民や酪農家だった者たちが、酒やタバコは本職だった者たちが、それぞれとびっきりの逸品を用意していた。

 天使たちは寛容で、貨幣や武器などを除けば、たいていのものを作っても問題にしなかった。

 しかし、そこは天の国であったので、生前どんな酒豪であった者もほろ酔い気分になれば、それ以上酒を飲む気がなくなる。

 ニコチン中毒だった亡者も、日に数本吸えば満足してしまう。


 記憶を頼りに生前読んだ本を書き起こし、それを読み合う一団。

 トランプをはじめとしたゲームに興じる者たち。

 絵画や彫刻などの藝術活動にいそしむ者たち……。

 皆それぞれ自由に時間をつぶしている。


 もちろん、徒競走や重量挙げ、レスリングに水泳、様々なスポーツを楽しむ者たちもいた。

 それらは原っぱで行われていたわけではなく、建築好きの連中が集まって、趣向を凝らした競技場をあちらにつくり、こちらにつくりと精を出していた。

 観客席もあって、大会の日には多くの亡者が集まり、選手に声援を送っていた。

 大会に参加中の選手にジャッジの順番が訪れても、天使たちはすぐに呼ぶ出すような無粋な真似はしない。

 亡者たちと一緒に観客席から試合を楽しみ、競技が終わると人々の称賛を浴び終えた亡者にそっと近づいて、遠くに見える門を指さす。


 おしゃべりだけで満足してしまう者と、あれこれとはじめる者のちがいは、生前の行いが影響しているようであった。

 ある仕事や趣味に熱中し、人生を捧げた者。

 それを切り離して人格を語ることができない仕事や趣味を持っていた者は、おしゃべりだけで時間を潰そうとはしなかった。



「天使さま。この場所のことはよくわかりました。そこでひとつだけ質問をお許しください。ここには野球チームはあるのでしょうか?」

「ジョナサン、ここにそのようなものはありません。そもそも野球とは何ですか?」

 天に昇った直後に聞いた天使の回答は、偉大なる男を深く狼狽させた。


 グレート・ジョナサンは亡者たちが集まっている場所へ出向いて、野球を知っている者を探した。

 しかし、ほとんどの者は野球を知らなかった。

 中には知っている者もいたが、一緒にやろうと言っても首を縦に振る者はいなかった。

「ジョナサン、生前に興味がなかったことはこの場所ではできないよ。その野球とやらを知らない者は論外だし、知っていても心から楽しんだことのある者以外はお仲間になってくれないのさ」

 バーで隣り合った男の話を聞き、天界を訪れた最初の野球狂は絶望した。

 しかし、グレート・ジョナサンがうなだれていたのは、好投手の投げ合いであっという間に終わった試合にかかった時間ほどにすぎなかった。

 デットボールが肩に当たってうずくまっていたバッターがピンと立ち上がり、相手投手に悪態をつくこともなく一塁へ歩き出すように、偉大なる男はバーの外へ出て周りを見渡した。


 遠くに何もない草原が見えた。

 グレート・ジョナサンは彼にとってのホームベースへ走り出した。

「ナインが集まるまでに球場を造ろう。バットとボールを用意しておこう」


 グレート・ジョナサンは自分で引いた図面を大工の棟梁に渡した。

「要は丸いスタジアムを作ればいいんだろう?  立派なやつをこさえてやるよ」

 棟梁が今は何もない空き地を見ながら力強く胸を叩いた。

 グレート・ジョナサンは人や資材の手配を終えると、球場づくりは棟梁に任せて、野球の道具をつくるために職人へ声をかけた。

 指物師にはバットとベースに得点板、革職人にはグローブとボール、そして仕立て屋にはユニフォーム。

 それらの準備を依頼した。

 野球の道具は作ったことがなかったが、職人たちはひとつ返事で引き受けてくれた。



本格的な道具。


そんなものは


ちゃんとした職人が来てから作ってもらえばいい。


とにかく早く


野球がしたい。


野球はひとりではできない。


最低でも二人いる。


二人いればキャッチボールができる。


球を放って打ち返すことができる。


ひとりで壁当て?


いやいや


あれは野球ではないよ。


あんなさみしい球遊びは。



 建設途中の球場の外野には青々としたしばが敷き詰められていた。

 グレート・ジョナサンはセンターの真ん中で腹ばいになりながら、遠くに見えるマウンドを凝視した。

「永遠の輝きを約束された緑の絨毯がフラットに広がっている。何てグレイトな光景だ」

 「お褒めに預かり光栄だよ」と庭師がパイプをくゆらせながら、グレート・ジョナサンの賛辞に応じた。


 グレート・ジョナサンが飽きずに芝生を眺めていると、彼の視界を人影が覆った。

 彼が影の主を見上げると頭の良さそうな小男が立っていた。


 彼の名はルールブック・スミス。

 天界の野球ルールを定めた、これまた偉大な男。


「天使からここにれば野球ができると聞いたのだが?」

 最初、グレート・ジョナサンはルールブック・スミスの言葉が理解できなかった。

 あまりに待ち過ぎていたために、彼の感覚が追いつくのに時間がかかったから。

「これでキャッチボールとやらができるんじゃないのか?」

 庭師がグレート・ジョナサンの背中をたたくと、それまで耐えていた彼の目から大粒の涙があふれた。

「ありがとう。ようやく来てくれたんだね。私のチームメンバー。あなたはどこが守れますか?」

「キャッチャーさ。なかなかのものだぜ。生きていたころには監督もしていた」

 グレート・ジョナサンが差し出した右手を、ルールブック・スミスは肉厚な手で握りしめた。

 「それはすばらしい」と言い残して、グレート・ジョナサンは一塁側のベンチに駆け出した。

 できたてのベンチにこれまた作りたてのボールとグローブが置いてあった。



 ヒュウーン、トン。


 ルールブック・スミスの投げた白球がグレート・ジョナサンのグローブに収まった。

 右手に握ったボールをしばらく見つめたあと、彼は相棒に向かって優しく投げ返した。


 ヒュウーン、トン。


「これが野球なのかい。ジョナサンよ」

 目の前を行き来する白球に目を追わせながら庭師が声をかけると、グレート・ジョナサンに代わってルールブック・スミスが答えた。

「これはキャッチボール。野球の一部であり、基本ではあるが野球のすべてではない。庭の手入れで言えば芝刈りのようなものだ」



 ひとりまたひとりとジョナサンの仲間は増えていき、やがてその日が来た。


 そう。

 9×2=18

 十八人による野球の試合が行われる日が。


 満員のスタジアム。

 その歓声を受けながら野球をプレイするなんて、そんなことは生きている間にも経験をしたことがなかった。

 野球狂たちは体がふるえるほどの感動をおぼえた。

 しかし、同時に何かが足りない気がした。

 グレート・ジョナサンがそれに気づいたのは、十八人で行われる初めての試合の前日だった。



そうだ。


待ちきれなくて


人数の足りないままに試合をしたとき


観客は野次をとばしてくれなかった。


野次がない野球なんて


マスタードの入っていないサンドイッチのようなものじゃないか。


なあ、そうだろう?



 グレート・ジョナサンは観客が野次をとばす許可をもらいに、恐るおそる天使のもとへ出向いた。

 身振り手振りで説明をする迷える子羊に、天使は簡単に許可を与えた。

「節度さえ守れば、我らが神もお許しになるでしょう」



試合がはじまった。


先攻はグレート・ジョナサンのチーム。


後攻はルーブック・スミスのチーム。


さあ。


プレイ・ボールの時間だ。


スミス軍の先発はファイアーボール・リチャードソン。


今日も火の玉ストレートで三振の山を築くか?


対するジョナサン軍の一番バッターは


当然


グレート・ジョナサン。


ブン


ブン


ブンと


バットを振り回すジョナサン。


キャッチャーのルールブック・スミスがちらりと鋭い眼光で


バッターボックスの親友を見上げる。


ルールブック・スミスが


キャッチャーミットを構えたのは


ストライクゾーンのど真ん中。


うなづく


ファイアーボール・リチャードソン。


わかっている。


わかっている。


記念すべき第一球目だ。


小細工は無用。


打たれると分かっていても。


いや


いくらグレート・ジョナサンだって


ファイアーボール・リチャードソンの速球なら


打ち損じるかもしれないぞ。


いや


いや。


そんなことはない。


なぜなら


ジョナサンは偉大な男だから。


ファイアーボール・リチャードソンが一球目を投じた。


するとどうだ。


カッッパンという音とともに


グレート・ジョナサンが打ったボールは


内野を


外野を越えていき


観客席へと飛んで行った。


プレイボール・ホームラン。


野球の花。



 試合はルールブック・スミスのチームが勝った。

 次こそは勝つぞと意気込んでいるジョナサン軍のベンチへ、観客席にいた天使が近づくとグレート・ジョナサンを手招きした。

 グレート・ジョナサンのチームメンバーだけでなく、ルールブック・スミスのチームメンバー、そして観客も事情に気づいた。


 沈黙に包まれるスタジアム。

 グレート・ジョナサンは少しさみしそうな顔をしただけで、天使にうなづいた。

 ともに戦ったメンバーに声をかけ、相手チームの選手や観客に手を振ると、グレート・ジョナサンは旅立つために歩きはじめた。


 スタジアムから出ようとするグレート・ジョナサンを止めたのは、ルールブック・スミスだった。

 グレート・ジョナサンの相棒は黙ってグローブとボールを彼に手渡した。

 ふたりが天使をみた。

 すると天使はため息をひとつしてから、首を縦に振った。

「少しだけですよ。あなたたちは切りがないから。野球に切りがないように」



 グレート・ジョナサンとルールブック・スミスが最後のキャッチボールをはじめた。


 ヒュウーン、トン。


 ヒュウーン、トン。


 ヒュウーン、トン。


 ヒュウーーーーン、トン。

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