ひとりじゃない
エヌ氏が家賃の安いアパートを探していたところ、事故物件を紹介された。
事故物件にもいろいろあるが、その部屋で起きたのは首つり自殺だった。
不動産屋の話によると、自殺者はエヌ氏より少し年長の中年男性で、長年勤めていた派遣会社から契約を打ち切られ、年齢と健康の関係で再就職がうまくいかず、自ら命を絶ったらしい。
似たような境遇であったエヌ氏は、明日は我が身と思いつつ、契約をした。
今住んでいるアパートが取り壊されることになり、急いで住む場所を決めなければならなかったからだ。
部屋は畳敷きで、電灯の下のものだけが真新しかった。
そこに低いテーブルをエヌ氏は置いた。
狭い
とくにエヌ氏の身に何も起こらず、今までどおりの生活が続いた。
変わったことと言えば、前のアパートに比べて派遣先が遠く、自転車をこぐ時間が長くなったくらいだった。
エヌ氏はひとり身で身内とも疎遠であった。
職場の工場では単純作業を黙々とこなしていた。
周りから嫌われていたわけではないが、仲がよいといえる同僚はいなかった。
また、友人はみな結婚してしまい、年賀状を送り合うくらいの付き合いになっていた。
平日の夜や休日はたいていテーブルに将棋盤を広げて、図書館で借りてきた教本を見ながら、ひとりで将棋を指していた。
異変が起きたのは引っ越しをしてから数か月後であった。
まず、夜に帰宅するとしばしば部屋の明かりが
毎日、エヌ氏は電気を消して外出しており、また、他の者が点けたようすもなかったので、電気系統の故障かと思った。
しかし、エヌ氏は不動産屋に連絡はしなかった。
夜、明かりがついていると部屋に入るのに楽であったし、なにより、だれかが出迎えてくれているような気分になれた。
中年のひとり身で暗い自宅に帰るのはわびしすぎた。
また、ある日。
エヌ氏が銀行の通帳を見てため息をついていると、急にテレビがついた。
流れていた番組では、女性講師が食費を浮かせる節約術を解説していた。
「このテレビも古いからな。とうとうおかしくなったか」
エヌ氏はテレビを消したが、またすぐに画面へ講師が現れた。
消してはつけるの繰り返しに根負けしたエヌ氏は、番組を見終わって、キッチンに山積みとなっていたごみ袋を見た。
中身の大半はコンビニ弁当の空き箱であった。
その後もしばしば勝手にテレビがつくと、決まって節約や家事に関する番組が流れていた。
最初はながめるだけであったが、知らず知らずのうちにエヌ氏はテレビの情報を参考にして、節約や家事にいそしむようになった。
やがて、節約や家事に加えて歴史の番組がはじまると、テレビがつくようになった。
エヌ氏は歴史に興味はなかったが、テーブルに頬杖をつきながら見ているとなかなかおもしろかった。
しまいにはテレビだけでは満足できなくなり、図書館で歴史の本を借りるようになった。
また、仕事の休憩中、歴史の話をきっかけに同僚たちの輪へ加われるようになった。
エヌ氏があいさつや仕事以外の話を他人とするのは、記憶にないくらい久しぶりであった。
その日、気分よくエヌ氏が帰宅すると、テーブルの上に置いていた将棋盤の駒が、勝手に動いていたのに気がついた。
試しにエヌ氏が先手の駒をひとつ動かしてみると、次の帰宅時に後手の駒がひとつ動いていた。
エヌ氏に帰宅時の楽しみができた。
いつの頃からか、出社時にエヌ氏はテーブルの上へ、ご飯と水を置くようになった。
それからしばらくするとテレビが勝手につく際に、酒を飲む場面が映し出されるようになった。
エヌ氏はそういうことかと思い、給料日になると、苦手な酒をテーブルの上に置くようになった。
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