幽霊社員
私は社員十数名の設計事務所に勤めている。
職場の雰囲気はよく、毎日それなりに楽しく働いていた。
そんなある日、時差出勤で遅めに出社したところ、声が出ないほど驚いた。
不慮の事故で亡くなったはずの同僚が、机に坐っているではないか。
同僚のエヌくんは、タイへの社員旅行中、落ちてきたヤシの実が頭に当たって亡くなってしまった。
社員全員の目の前で。
エヌくんを囲んでいる社員の間に入り、後ろから肩に触ろうとしたが手は空を泳いだ。
よく見るとエヌくんの体は透けており、輪郭がぼんやりとしていた。
声をかけても返事はなかった。
机の上には何も置かれていなかったが、エヌくんはキーボードを叩くしぐさを続けていた。
「さわれないし、会話もできないんだよ。幽霊というやつなんだろうな」
社長が声をかけてきた。
私も幽霊でまちがいないと思ったが、エヌくんにはうらめしい様子はなく、どうも怖くない。
生前のおとなしく温和なエヌくんのままであった。
会社でイジメなどはなかった。
身寄りのないエヌくんのために、葬儀を準備したのは私たちだった。
行き場のない彼の遺品も、捨てるに忍びないと会社の倉庫で保管している。
ふいにエヌくんが立ち上がったので、まわりにいた者たちは思わず後ずさりをしたが、彼は何の反応も示さなかった。
エヌくんが取り囲んでいた同僚のひとりの方へ歩き出すと、その社員は「何で、俺の方へ」と慌てた。
しかし、ふたりはぶつかることなく、エヌくんは同僚の体をすり抜けて、コピー機の前へ立った。
「お祓いを頼むべきなんでしょうか?」
私がたずねると社長は首を横に振った。
「まあ、机に余裕はあるし、実害が出るまではいいじゃないか」
エヌくんが現れるのは朝で、いつも夕方には消える。
社外の人にはエヌくんは見えないようで、霊感が強いと自称していた来客も、となりに立っている彼に気がつかなかった。
ただひとり、結婚を期に会社を辞めた元同僚だけはエヌくんに気がついて、抱いていた赤ん坊を落としそうになった。
社員から事情を聞かされると、元同僚は「エヌくんらしいかもね」と笑った。
私も同じ意見であった。
エヌくんが幽霊であることを忘れて話しかけたり、つい仕事を頼んでしまったりすると、職場に小さな笑いが起きた。
さみしさが混じった笑い声が。
エヌくんが会社に戻ってから、とくに変わったことはない。
利益が少し増えたぐらいだ。
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