第4話
学習館のキッチンには、セオドアのほかに、デューイとテルシェも待っていた。
ヴァレリアは満面の笑みで手を振る。
「おー、デューイ、テルシェ。いつも妹が世話になってるね」
「いや、僕らの方がお世話になってるよ。フレデリカは本当に頼りになるから」
テルシェも微笑んで頭を下げる。
「でも今日はこっちがお世話になるわね。頼んだ材料は買えた?」
「うん。大丈夫」
デューイは机に置いた紙袋を指し示す。ふんわりと甘い香りがする…フレデリカは頷いた。
「ありがとう。後でお礼をするわ」
「フレデリカ…本当に、料理が壊滅的な俺たちでも、菓子が作れるのか?」
不安げに尋ねるセオドアにフレデリカは微笑み、テーブルの上にバスケットを置いた。
「大丈夫よ。本当に簡単に作れるから…ね、テルシェ」
テルシェは大きく頷く。
くす、と笑うフレデリカとデューイの様子に少し驚くセオドア。
「…まさか、テルシェが考えたレシピなのか?」
「ううん、孤児院で教わったんだよ」
「セオドア、私の妹と友人は料理の天才なんだ。この子らに教えてもらえば、私らでも美味い菓子が作れるって!」
そう言ってセオドアの肩を叩くヴァレリアが一番誇らしげだ。それでもセオドアは不安を隠せず、ずり落ちたエプロンの肩紐をぎこちなく直す。
ヴァレリアの楽観的な様子にフレデリカはこっそり呆れた。
「姉さんが一番壊滅的だと思うんだけどな」
「大丈夫だよ、フレデリカ。今回作るのは、余計な手間は要らないから…余計な物を入れる隙はないよ」
耳元でデューイが囁く。テルシェも微笑みを向け…三匹はにまりと笑い合った。
お菓子作りが始まった。
×
フレデリカはまず、バスケットの中から、手作りのビスケットを詰めた瓶を取り出した。あっ、とヴァレリアが声を上げる。
「それ、今朝作ってたやつ。食うのか?」
「ちがうわ。これを土台にするの」
フレデリカは瓶を開け、ボウルにビスケットを全て入れ…麺棒でそれを砕き始めた。
またもヴァレリアがああっ、と大きな声を出す。驚いているのはセオドアもだ。
「何で砕いちゃうんだよ。もったいない!」
「だから…これをお菓子の土台にするのよ。そのために作ってきたんだから」
「わざわざ作るくらいなら、それをそのまま王様に出せば済んだのに」
「姉さんたちが作らなきゃ意味ないでしょ。ほら、砕くくらいなら出来るわよね?」
フレデリカがふたりに麺棒を差し出す…だがいざ調理道具に触れるとなると、ふたりとも怯んで手を出さない。
フレデリカはため息をつき、ヴァレリアの手に無理矢理握らせ、ボウルの前に引っ張って行く。ヴァレリアは引きつった笑みを浮かべ戸惑う。
「フレデリカ…何で、私?」
「多少乱暴な方が、ビスケットを粉々にしてくれると思って。でも飛び散らかしたりしないで、力加減は考えてよ」
「セオドアはこっちに来て」
セオドアはデューイに、隣の机に呼ばれる。
ボウルの側には、クリームチーズの箱とマシュマロの袋…セオドアは目を見開く。
「わ、わざわざ買ったのか⁉︎」
「クリームチーズは買ったけど、マシュマロは孤児院から届いた物だよ。よくテルシェとココアに入れて飲んでいたんだ」
「い、幾らした。後でちゃんと返すよ」
「大丈夫だよ。お小遣いもいっぱい貰ってるし」
「けど、」
「じゃあまず…クリームチーズを開けてくれるかな?」
金銭のやりとりで頭がいっぱいになるセオドアのエプロンをテルシェが引っ張る。
はっと我に返ったセオドアは、クリームチーズを開封する。それすらも不器用な手つきで、剥がした銀紙はボロボロになり、かなり大量にクリームチーズが付着してしまっている。
デューイに言われ、クリームチーズを全てボウルに入れる…テルシェが銀紙に付いたチーズをゴムベラで掬い取り、残さずボウルに入れる。
「じゃあ、レンジに入れようか」
一方ヴァレリアは、ただ一生懸命ビスケットを砕いていた。だがやはりそこらじゅうにビスケットの破片が飛び散り…フレデリカは呆れ、一度ヴァレリアの手を止める。
「姉さん…ちょっといいかしら」
「え…何かやらかしたか、私?」
「貸して」
フレデリカはバスケットから密閉できる袋を取り出し、ボウルの中の砕けたビスケットを入れ、口を閉じる。
それをもう一度、ヴァレリアの前へ差し出した。
「これならどんなに思いっきり叩いても、欠けらは飛び散らないわ。存分に砕いて」
「お、おう!」
ヴァレリアは無邪気に笑い、バキバキ、ゴリゴリと、思う存分乱暴にビスケット砕きを再開した。
フレデリカが姉にこの役目を任せたのは、明らかにセオドアよりも性格が雑だからだ。姉の楽しげな様子に、フレデリカは呆れながら、笑うようにため息をついた。
××
レンジにかけたクリームチーズをかき混ぜ、そこへマシュマロを落とし、もう一度レンジにかける…チーズとマシュマロをかき混ぜ、もう一度温める。
そうして、ボウルの中には、チーズとマシュマロが混ざった白い半液状の物が出来上がる。
「えーと…だ、ダマってものにはなってないか?」
セオドアが恐る恐るデューイに尋ねる。
デューイはボウルを覗く。
「うん。大丈夫だよ。ちょっと気泡が入っちゃったけど、これは問題ないから」
「ま、混ぜ方が悪かったのか…」
「気にしないで」
暗い顔で俯くセオドアに、下からテルシェが笑う。ぱくぱくと口を動かし、声を出せなくとも「大丈夫」と伝える。
デューイは隣の机に振り返り、声をかけた。
「フレデリカ、こっちは完成したよ」
「ええ、こっちも準備万端」
フレデリカがトレイを持ち、デューイらの机にセルクルを運んできた。セルクルの底には、砕いたビスケットが敷き詰められている。
覗き込んだセオドアは目を輝かせた。
「これが、さっきのビスケットなのか」
「私が砕いたんだぞ」
腰に手を当て、誇らしげにヴァレリアが言う。横のフレデリカは呆れた。ただ砕いただけだ。最後のバターでの加工はフレデリカが行った。
さあ、とデューイがセオドアへボウルを渡す。
「あとはここに流し込むだけ。出来るかい」
「あ、ああ」
受け取ったセオドアは、ゆっくりとセルクルの中へチーズとマシュマロを混ぜた液体を注ぐ。恐る恐る。慎重に。
「こぼすなよ〜」
「ひっ」
耳元でヴァレリアが囁く。
姉の頭をフレデリカが引っ叩いた。
…それでもセオドアは、なんとか一滴もこぼさずに全て注ぎ終えた。最後にデューイがゴムベラで表面を平らに整える。
「はい。これでおしまい。お疲れ様」
「え…⁉︎」
デューイの言葉に、ヴァレリアとセオドアが驚く。
「終わりって、材料はほぼ、クリームチーズとマシュマロだけじゃないか」
「ね、簡単でしょ」
「さ、砂糖は入れないのか? 甘くないじゃないか!」
「マシュマロにお砂糖が使われているし、ゼラチンも入ってるから、これで出来るんだよ」
「料理が壊滅的な姉さんたちでも作れる、簡単で美味しいチーズケーキよ」
「はあ…」
テルシェが冷蔵庫へセルクルを乗せたトレイを持っていく…ヴァレリアとセオドアは呆然とそれを見送った。
一晩冷やせば完成する…学習館の冷蔵庫はちょっと特殊だから、数時間で完成する。出来栄えを見なければまだ納得できないが、本当にお菓子が作れてしまった。
セオドアは胸を撫で下ろし、ヴァレリアはにまりと口角を上げる。
フレデリカが手を叩いた。
「さて、完成するまで、お茶にしましょうか。カップケーキを焼いてきたのよ」
「え、いつの間に⁉︎」
「姉さんが寝ている間よ」
「じゃあお湯を沸かすよ。何が飲みたい?」
×××
砂糖猫のお茶の時間はゆっくりと長い。ひとつのお菓子をじっくり味わい、何気ない会話を楽しむ。
だから気づけば、そろそろチーズケーキが出来上がる時刻だった。
テルシェが冷蔵庫からトレイを持ってくる。
机に置き、ゆっくりとセルクルを外した。
チーズケーキは上手く出来上がっていた。
「おー…ホントにチーズケーキだ」
「チーズとマシュマロだけで、こんなに完璧に…」
「ちゃんと貴方達が作ったのよ。自信を持っていいわ」
微笑むフレデリカの横で、デューイは丁寧にチーズケーキを可愛らしい箱に入れ、リボンで閉じる。
「ナマモノだから早めに届けないと。王様、夕方はお屋敷に居るの?」
「ああ、居るよ」
「じゃあ、はい」
デューイは箱をセオドアへ手渡す…セオドアは小さく頭を下げ、ヴァレリアへ笑む。ヴァレリアも頷き、嬉しそうに笑った。
「菓子作りって案外、簡単なんだな」
「分量と焼き時間なんかを正確に測れば、ちゃんと出来るものだよ。あとは愛情だね」
「愛情か…だったら、私とセオドアなら、何でも美味く作れるな!」
ヴァレリアの言葉にセオドアは戸惑う。
「…ヴァレリア、フレデリカの前では、あまりそういう言葉は、」
「知ってるわよ、セオドア」
フレデリカは腰に手を当てため息をつく。
「貴方と姉さんが付き合ってることくらい、知ってるわよ」
「え、あ…そうなのか⁉︎」
「ええ…偶に姉さんから、砂糖猫特有の甘い香りがするんだもの。貴方の香りだったのね」
セオドアは言葉を失う。なるべくならば、ヴァレリアの妹であるフレデリカには知られたくなかった。きっと気持ち悪いと思われるとわかっていたから。
だから当然、彼女は。
「愛のある関係なら許すけれど、あまり深い関係だというのは知りたくないわね。姉さんの彼氏になるんなら、あからさまにはしないでちょうだい。わかった、セオドア?」
「ご、ごめんなさい…フレデリカ」
「謝ることじゃないよ、セオドア」
赤面して項垂れるセオドアに、あはは、とフレデリカたちは笑った。
××××
───屋敷の呼び鈴を鳴らすと、今日の一階掃除当番のお手伝いが出迎え、王様、キートンを呼びに行く。
ヴァレリアとセオドアが玄関の広間で待っていると、戻ってきたお手伝いがふたりを中に連れて行く。
そして王様の書斎に導かれた。ふたりはドアをノックし、中へ入る。
「失礼します、王様」
ドアを開けると、ぶわっと強い甘い香りが漏れ出してくる…セオドアは咽せ込んだ。あの地下で嗅いだケーキの香りほどではないが、焼き菓子やシロップなどの濃い甘い香りが部屋に満ちていた。
眼鏡をかけたキートンはノートを書きながら、片手でクッキーを弄んでいる…恐る恐るヴァレリアが声をかける。
「あの、王様…」
「うるせえ。その呼び方はやめろ」
「き、キートンさん…」
「何だよ」
「昨日ご指示をされた通り…お菓子を作って参りました」
…キートンのペンが止まる。
立ち上がり、箱を持つセオドアの前へ向かい…その箱を開けた。
チーズケーキの甘い香りは、この部屋の中では少しも鼻腔へ届かない。だがキートンは気にもせず、指先で軽くチーズを掬い取り、口に含む。
「…ど、どうですか」
ちゃむちゃむ…キートンは舌鼓をして味わい、低く唸る。
「…てめえら、こいつの味見はしたか」
「あ、その…」
「いや、悪くねー。てめえらにしちゃあよくやった方だ」
セオドアからチーズケーキの箱を受け取り背を向けるキートン…それを見てヴァレリアは眉を顰める。
すぐに戻ってきたキートンは、ふたりへぶっきらぼうに封筒を差し出した。金銭の報酬だ。
「んじゃあな。また次の仕事の時によろしく頼むぞ」
「は、はい」
セオドアは金銭を渡されたことに昂り、半ば裏返った声で返事をし、キートンへ頭を下げた。
対してヴァレリアは…チーズケーキを机に置き、また椅子に座り、ノートと向き合うキートンを訝しげに見る。
違和感を覚えていた。
「あ? 何だ、足りねーのか?」
「…いえ」
「ヴァレリア…長居はご迷惑になる。行こう」
セオドアに腕を引かれる…ふたりは一礼し、甘い書斎から退室した。
廊下に出、ドアを閉めたところでセオドアは、堪えていた咳を思い切り吐き出す。甘味の好きな砂糖猫でも、甘さの限度というものがある。甘すぎては美味しくない。
…一通り呼吸の落ち着いたセオドアは、なおも睨むような目でキートンの書斎のドアを見つめているヴァレリアに気づく。
「…どうしたんだ、ヴァレリア」
「…気持ち悪ぃ」
「そりゃ、あんな甘い香りじゃ流石に、」
「ちがうって。王様の態度だよ」
ヴァレリアは訝しむ。
「王様って…あんな簡単に報酬をくれるような奴だったか。昨日はすげーケチってきたくせに」
「…今回は、ちゃんと仕事をしたから、じゃなくてか?」
「だとしても、何か変だよ…わかんないのか、セオドア?」
鋭い眼差しで見つめられ、セオドアはただ困惑した。ヴァレリアがキートンへ強い疑いを持つ理由が察せなかった。
…恐らく、ヴァレリアにしか気づけない『勘』というやつだろう。いや、ヴァレリアだけでなく、フレデリカも同じことを言うだろう…女特有の鋭い勘だ。
だから、セオドアには理解できない。
「…お前が何に気づいてるかはわからないが、単純に、今の王様は、忙しかったからじゃないか。ノートに何か書いていたし」
「だー、気分悪ぃなあ、もう」
話が通じないことに苛立つヴァレリアはガシャガシャと髪を掻き乱す…その手をセオドアは止める。
「絡まるだろ。よせ」
「なあ、おい、セオドア…」
「何だ」
「…甘いものが欲しい。今すぐに」
…ヴァレリアの、シロップに浸したように潤む瞳からセオドアは一度目を逸らし。
周囲に誰も居ないことを確認すると。
『王様』の書斎の前で、ふたりは深くキスをした。
砂糖猫の唾液や舌や唇は、その名の通り、砂糖の味だ。
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