第21話 水上悟 おしえて先生さん その一
※ 時系列はやや遡ります
×××
白富東の水上悟と言えば、高校野球の歴史を見ても、かなりの打率と長打力、そして走力までも兼ね備えた、万能プレイヤーだと言われる。
確かにショートというポジションもあって、大介のように見られないこともない。
たださすがにあそこまで無茶苦茶な能力は持たないが、それでも高卒野手としては、異例の四球団競合。
しかし単純に打力だけであれば、同じ年に大卒の西郷がいた。
バッティングに関しては間違いなく、西郷の方が上と言われていた。
何より体格が違う。
それでも守備や走塁を見た総合力なら、悟はユーティリティプレイヤーになれるとも思われていた。
なので埼玉ジャガースに入って、一年目から出番を与えられるのは不思議ではなかった。
だが一年目から主力となって、高卒野手としては異例の、新人王まで取るとは思われていなかった。
初年度はアベレージヒッターと思われていたが、二年目以降には長打力も増した。
そして二年目にはトリプルスリーを取ったのだから、まさにドラフトの順位に応える活躍だったと言っていい。
そんな悟には悩みがあった。
劣化白石などとも言われたが、それは別に気にしていない。
あれは大介がおかしいだけで、悟としても十二分にその能力を発揮している。
三年目には年俸も一億を突破して、まさに成功したプロ野球選手として認められていた。
だから悟の悩みとは、そういった方向のものではない。
「なんで俺は彼女が出来ないんだ!?」
知らんがな。
プロ野球選手と言えば、トップレベルになると芸能人や女子アナと結婚するのが、当たり前と思われていた時代があった。
なお最近は一般女性と結婚などとも言われるが、その一般女性は元モデルであったりと、顔面偏差値の高い女性が多い。
悟は野球に集中しているが、全く遊ばないというわけでもない。
合コンなどに参加したこともあるのだが、そこから発展することがない。
不思議である。
確かに野球選手にしては、平均的な身長ではある。
だが稼ぎに関しては、同年代の中では間違いなくトップクラス。
顔だって不細工ではないし、ファッションセンスが壊滅的とかでもない。
なぜモテないのか。
実は普通にモテていたのだが、高校時代は完全に野球に専念していたというのがある。
こういった専門職は、目先の契約金などで血迷ってはいけない。
悟は一年目や二年目は、高校時代以上に頑張ったため、お堅い人間だという誤解を与えていた。
なので合コンなどにも、あまり誘われない。
出会いがなければモテにくいのも当然であるのだ。
そんな悟はますます、望んでのことではないがストイックになってしまっている。
彼女がほしいのは本音であるが、実際に彼女が出来たら何をすべきか。
(……やっぱエロいことしたいよな!)
正直な男であるが、ここまでストイックすぎたと言える。
童貞を捨てる機会ぐらいは、色々とあったであろうに。
かつてはプロ野球界も色々と豪快なところがあって、二日酔いで試合に出たり、徹夜でオールの後に試合に出たりと、プロフェッショナルな意識に欠ける選手も多くいた。
また新人に悪い遊びを教える人間も多くいて、実はジャガースはそれで一度、選手全体の意識改革をしたりもした。
むしろ悟はそのあたりで、少しは余裕を持った方がいいのかもしれない。
そのせいでと言うか、彼はまた厄介なことに関わってしまうのであるが。
プロ入り三年目、正月休みを実家で過ごし、寮開きの日には一緒に寮に戻っている。
新人が寮に入る日であるが、その初々しいところを見て、自分も初心に帰るのだ。
練習メニューはもちろん、自分で考えたものではある。
ただある程度は新人たちと、同じメニューをこなしたりする。
お前がいると新人が萎縮すると言われても、萎縮する程度ならプロでは通用しない。
なのでそこそこは自主トレをしつつも、体を作るのに寮の施設を利用する。
そんな悟は河川敷を走っていたりもしたのだが、ある日の夕方に珍妙な姿の人物を見つけた。
河川敷のグラウンドから近く、コンクリートの壁に向かって、ボールを投げている人間。
小柄なので中学生ぐらいかなと思うのだが、それがはっきりしない。
なにせ帽子をかぶってサングラスをし、マスクまでして顔を隠していたからだ。
あるいは女の人かなとも思ったが、ジャージであるので明確に胸が目立たない。
ただ、ど下手糞なフォームでこんな時期から、壁に向かってボールを投げる。
興味が湧くには充分な条件であった。
ただ、それだけなら見過ごしてしまっただろう。
ランニングの帰路においても、全く同じことをしていていたので、気になったのだ。
「おい、そこの君」
あるいは年上の可能性もあるのだが、悟はそう声をかけた。
「そんな投げ方をしていても上手くならないぞ」
悟は高校時代、わずかながらピッチャーもやっていた。
充分に枚数はそろっていたので、公式戦では地方大会ぐらいでしか投げなかったが、肩の強さを買われていたのだ。
そしてまあその経験から、投げ方がことごとくおかしいのは分かっていた。
ピカピカのグラブを持ったその人物に、手を差し出す。
「ボールを貸してくれないか? と、その前に君は、高校球児でも大学野球の部員でもないかな?」
もしもそうならプロアマ協定で問題となるのだが、その人物は首をふるふると振った。
そして悟は、本当にこの人は素人なんだろうなと判断する。
自慢ではないが野球経験者なら、悟の顔を知っていてもおかしくはない。
投げ方を見ていても、素人だとは分かった。
それだけにアドバイスはいくらでもしてやれる。
「君の投げ方だけど、立って足を上げるところからおかしい」
厳しい言い方をしてしまう悟であった。
よくよく考えれば、怪しい人間に対してではあるが、いきなりアドバイスをしだす人間も怪しい。
だが基本的に悟はアホの子であるし、野球をする人間は悪いやつばかりだが、野球をする子供は助けるべきだという、偏ってはいるが真実の価値観を持っている。
「片足でしっかり立てるかな?」
そう尋ねたところ、すっと足を上げる。
体幹自体はしっかりしている。
ピッチングというのは非常に複雑な過程で成り立っているものだ。
だがこの子に関しては、それ以前の部分でダメダメである。
「試合に出たいのかな? それとも単なる練習?」
目的とするところで、教え方も変わってくる。
「あの、試験みたいなもので、ピッチングが出来ないといけないんです」
おっと、やはり女の子である。
ピッチングの試験というのは、学校ではなさそうなものだ。
とりあえず女の子投げをしていないだけでも、まだマシと言えようか。
中学時代などは、どうして女子はあんなに、肩の力がない以前に投げるのが下手なのか、不思議に思ったものだ。
単純に投げてきたことがないからである。
悟が考えるに、ピッチングの試験が必要な学校など、そうそうはないと思う。
ただ教えてあげることは出来る。
「まず、あんまり上から投げるのをやめよう」
この子の体の動きを見るに、向いているとは思えない。
「あと、あんまり全力を出しすぎないこと。ボールの重さで肩を壊す可能性が高い」
硬球の重さは、慣れていない女の子にはかなり酷だ。
女の子なのか女なのか、そのあたりも微妙だが。
基本的にはサイドスローに近くし、左手の動き、両肩の動きなどを教える。
そもそもの肩の力が弱いので、体全体を使わないといけない。
股関節は柔らかいので、体全体を使うことは出来そうだ。
運動のセンス自体もいいのか、しばらくしたらピッチャーのボールとまではいかないが、経験者のキャッチボールぐらいにはなってきた。
その硬球を、悟は平然とキャッチ出来る程度であるが。
「まあ今言ったことを守って、慣れたらまた動画とか検索したらいいよ。でも本当は経験者に学ぶのが一番いいんだけどね」
「あの、お兄さんはいつもここを走ってるんですか?」
悟をお兄さんと言うからには、やはり女の子か。
「今の時期はね」
「あの、毎日じゃなくてもいいんで、五分ぐらいでもいいんで、もっと教えてもらえませんか?」
ふむ、と悟は顎に手をやった。
正直なところ、人に教えていて、自分ではスローもかなり、もう感覚的になっていたのだな、とは感じた。
どうせこれから新人どもに教えていくのであろうが、基本はコーチがついているはずだ。
今の時期は自主トレ期間で、悟は自分の能力の上限を上げるのが目的だ。
ペナントレースが始まってしまうと、調整の方が重要になってしまう。
「いいけど、いつまでに投げられるようになればいいのかな?」
「一月の23日が試験なんです」
「まあ、それぐらいなら」
二月になればキャンプ入りするので、ここに来ることはない。
休日であっても軽いランニングで、このあたりは毎日走っている。
「俺は一月中は毎日この時間走ってるから、来れる時には来たら教えてあげるよ」
「ありがとうございます!」
そしてそこまで話して、ようやく少女はマスクとサングラスを取り、帽子を脱いだ。
「ん?」
黒髪がふわりとひろがって、背中に流れる。
美少女が出現した。
「う~ん?」
「私、金子千鶴と申します。よろしくお願いします」
思ったよりも重要なことをお願いされたのだと悟が知るのは、もう少し後になってからのことである。
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後編のその二は2~3週間以内に投下すると思います。
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