第20話 織田信三郎 ライフスタイル
※ 東方編133話 飛翔編105話を先にお読みください。
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やたらと移籍が多いのが、MLBという世界。
NPBからポスティング移籍した織田もまた、それを経験していた。
当初はボストン・デッドソックスで三年契約。
そこからFAとなって、代理人を通じてシアトルへ移籍。
出来れば東海岸が良かったのだが、織田のキャリアのためにはここが一番重要なのだと、代理人は力説した。
そして織田もそれを、理解するだけの頭は持っていた。
シアトルは過去に一度もワールドチャンピオンになったことのないチームであるが、この数年は戦力が充実。
その中で織田のような、確実にフォアボールを選べる俊足のセンターは、かなりの価値があったのだ。
そんなシーズンに入る前に、織田にはやっておくことがある。
ニューヨークへ行きたいか~。
それには手を上げて応と叫ぶ織田であるが、オフシーズンの過ごし方は、ニューヨークか日本か、そのどちらでもない時は旅行になど行っている。
だいたいケイティに会って自分の子供にも会えるわけだが、どうしてもため息をついたり、苦笑いをしたりしてしまう。
「結婚しているわけでもないから、こんなことを言うのもなんだが、あんまり浮気するなよ」
「だから、男とは浮気してないでしょ?」
このあたりがケイティのラインであるらしい。
芸能人には、などと言ったら逆差別であろう。
ケイティの周りには、バイセクシャルの人間が多い。
その中でケイティは、7:3でどちらかというと女性の方が好みだ。
それでも織田がケイティのそういった対象となり、子供まで生んでくれたというのは、織田が女性的なハンサムであることと、東洋人に特有の体毛の薄さが好みにあったらしい。
あとは球場の片隅で愛を叫んだ獣である織田には、最初から好感度が高かったというのもある。
織田は暑苦しいスポーツマンの中では、かなり例外的に洗練された人間である。
そもそも実家が裕福で、それほど不満も覚えずに育った。
だがそれでも魂の根底に、ハングリーなところはあったのだ。
NPBで七年を過ごし、MLBにやってきた織田。
外野守備のスペシャリストで、リードオフマン。
単なるパワーヒッターではなく、スピードとテクニックを駆使し、グラウンドを駆ける。
成金めいたところはなく、金の使い方がスマートだ。
なんだかんだ言って、スイスの山の麓からやってきたケイティとは、感性が違うのだ。
ミュージシャンの世界には、どうしてもそれだけを最優先にして、他は享楽に流れる人間が多い。
その中で織田はケイティにとって、港になってくれる人間だと思ったのだ。
だからこうやって定期的に長い時間を過ごすし、浮気も相手が許せる範囲でする。
ケイティとしては自分が傍にいられない間は、織田が浮気をしても、それは単なるセックスによる発散だとしか思わないのだが。
織田としては許されたからといって、自分も浮気するつもりにはなれない。
高校時代までにモテまくって女性経験豊富な織田としては、単なる性欲の発散というのはやりづらいものなのだ。
時折ニューヨークを訪れるか、あるいはケイティがシアトルを訪れるか。
それでなければオフシーズンの間しか、二人が親密に過ごす時間はない。
親権に関しては、ケイティが持ってしまっている。
織田としてはもう一人ぐらい子供が欲しいのだが、ほとんどの場合はケイティ一人が育てるため、あまり無理も言えない。
ただこのシーズンオフ、少しケイティはそのあたりが柔軟になっていた。
イリヤが妊娠したからだ。
ケイティは織田に向かっても、世界で二番目以降というぐらい、イリヤに依存している。
織田としても分からないではない。
女としては見ないが、人間として評価した時、イリヤという人間は確かに魅力的である。
それは特にシーズンオフに、彼女の音楽を聴く機会があれば、思い知ることになる。
イリヤのピアノに合わせて歌うケイティ。
ミュージシャンというのは自分自身の肉体を、音楽を奏でる楽器のように思っている者がいる。
イリヤやケイティは、そういった人間だ。
そしてその方向性が似通っているため、あるいは共に奏であうことがある。
そんなイリヤは去年までも今年も、日本を訪れることが多かった。
出産のタイミングを考えれば、イリヤの子供の父親は、日本人の可能性があるな、と織田は思っていた。
だが他人の下半身の事情などどうでもいい。
それと今年は織田も、本業をおざなりにするわけにはいかない。
日本から、大介がやってきたのだ。
あまりMLBに興味など持っていなかったはずの大介が、アメリカにやってきた。
その前後の事情については、織田ももちろん知っているが。
ニューヨークに所属するというのは、いいことかんと織田は思う。
ケイティも言うことだがあそこは人種の坩堝で、多少の無茶なことも多様性として許容される。
大介が実質的に重婚しているというのも、少なくともケイティは問題にしないし、織田も問題とは思わない。
毒されすぎているかな、とも思うが。
芸術家というのはだいたい、そのあたりの感性が自由すぎる。
そんなアメリカにやってきた大介は、織田の想像以上の成績を叩き出してきた。
いや、織田だけではなく他の誰も、こんな成績は想像していなかっただろう。
最初の一か月で22本のホームラン。
MLBに適応するどころか、MLBのピッチャーのメンタルを破壊する勢いだ。
いつかは落ち着くのかな、と思いながらその成績を見ていた。
だが落ち着いたと思った成績が凄まじすぎて、しかもそれを維持し続けている。
高校時代には一年の夏には甲子園に出ていないのに、通算成績で39本のホームランを打っていた。
そしてプロ入り一年目からいきなり三冠王を取り続けることになった。
最初の年でさえ、まともに正面から戦えるピッチャーは上杉だけであった。
リーグが違ったことを、つくづく安堵したものである。
アメリカにおいてもリーグが違って地区も違うため、対戦することはまずない。
だが不滅の記録をあっさりと更新しそうなその打撃は、注目するなという方が無理だ。
アメリカを熱狂させるホームラン。
だが織田から見ると驚異的なのは、その出塁率の方だった。
八月の成績はむしろ打率は落ちたぐらいだ。
だが歩かされる回数が多すぎた。
出塁率が五割を軽く超える。
そしてそのOPSはなんなのか。
塁に出たらかなりの確率で盗塁をかけてくる。
織田も足には自信があるが、大介の場合は確実にピッチャーの呼吸を読んでいる。
ホームラン王と盗塁王を同時に獲得という、離れ業が成されそうだ。
もっともそれを言うなら、三冠の全てを獲得しそうなのが異常であるが。
ホームランバッターが首位打者を取るのは、難しくなってきた時代だ。
その中でさらに走力まであるというのは、いったいなんなのか。
織田もチームメイトから、あれはいったいなんなんだ、と言われることがある。
だがあれはあれとしか言いようがないのである。
MLBの人気は、年々ファン層が高年齢化しているとか、他のスポーツに流れているとも言われる。
そんな中では大介の存在は、間違いなくMLBの範囲だけを超えた、超人的なものだった。
100年に一人のバッターだ、と言われても何もおかしくない。
織田が知っていた大介は、まだ変身を残していたということか。
開幕戦からホームランを打ちまくり、九月序盤において既に記録更新に手をかけていた。
またこのままなら、かれこれ100年ほど現れていなかった、四割打者の誕生となるかもしれない。
織田は大人なので、それについてはいいことだと理性的に考える。
スーパースターの存在は、そのスポーツを活性化させる。
NPB時代も上杉と大介が、その人気を増やしてきた。
去年からはさらに直史が入って、さながら超人野球をしていて、さっさとアメリカに来て良かったな、などと織田は思ったものだ。
そんな織田が、いつもの通りに自宅のマンションを出ようとした時である。
端末には自動的に、ニュースが届くように設定してある。
だいたい不要のニュースなのだが、災害情報などは役に立つ。
そう思って流していたところへ、ニュースのメッセージで手が止まった。
『ミュージシャンのイリヤ、銃で撃たれて病院へ搬送。既に死亡か』
織田はしばし固まった後、詳しく知るためにニュースサイトやSNSを開く。
有名人はネットに触れないほうがいい、と織田は高校生の頃からずっと思っていた。
ただこういう場合、正確さはともかくスピードであれば、一番早いのは確かだ。
そしてイリヤの死を、その所属音楽会社が公式に発表していた。
「マジかよ……」
織田にとってイリヤは、ケイティの親友という立ち位置である。
あとは高校時代のワールドカップで、アメリカの有名ミュージシャンを連れて、日本を応援してくれた人物でもある。
それが、死んだ。
事故死や病死、芸能人にありそうなドラッグでもなく自殺でもなく、殺害されたという。
織田は端末を操作し、ケイティの番号を呼び出す。
そしてわずかな逡巡の後に、その番号を押した。
アメリカ中を、いや世界を駆け抜ける、ショッキングな出来事であった。
音楽というのは世界の共通言語で、もちろん野球よりもはっきりと分かりやすい。
路上にクラスストリートチルドレンも、缶を叩いて歌を歌う。
あるいは言語よりも早く、音楽というのはあったのかもしれない。
織田は契約に定められた休息日を使って、ニューヨークへ向かった。
MLBにおいてはNPBよりも連戦が多く、コンディションを保つことは難しい、
それで主力であっても、ある程度は休む日があるのが、MLBの常識である。
ただ織田はこれまでは、休まなかった。
コンディションの調整の上手い織田は、そういう点でも評価されていたのだ。
しかしこういった葬儀などに、休日を使うのも禁止されてはいない。
むしろ友人の葬儀などに休むのを、止めろと言う方がどうかしていると、MLBでは考える。
身近な人間の死に、ショックを受けない人間はいない。
そしてニューヨークでは、涙にくれるケイティの姿を見た。
ケイティにとってイリヤは、最初の光であった。
それは光という映像ではなく、まさに象徴であった。
片田舎に住んでいた、歌の好きな少女が見つけた、新たな世界への扉。
ケイティは間違いなく、織田よりもイリヤを愛していた。
その葬儀には、本当に仲の良かった友人だけが参加したのだが、織田はそこで大介の姿を見た。
また直史も一緒にいるのを見て、シーズンは大丈夫なのか、と思ったりもした。
イリヤはあの二人とは、一緒の学校の出身だった。
彼女が作ったのが、あの学校の応援歌だったというのは、織田も知っている。
葬儀が終わると、イリヤの子供は大介の家に引き取られるということが知らされた。
ケイティはイリヤの血を引く子供を、自分こそが引き取りたいと思ったらしいが、こういう時に独身の人間が赤の他人の子供を引き取ることは難しい。
それは日本においてはより顕著なのだが、イリヤは遺言でわざわざそう残していたそうな。
そしてもし年頃になって音楽の道を歩むなら、その教師としてケイティを頼みたいとも。
イリヤは、ケイティの音楽を信じていた。
だからこそ、そう残したのだろう。
ケイティはまた涙を流し、織田はその肩を抱いて、愛する人の悲しみが薄れるのを待った。
いっそのことしばらくシアトルに来ないか、とも織田は言った。
だがケイティはイリヤの気配が残るニューヨークにいたがった。
ツインズがそれぞれ、動けない状態にあるというのも理由であっただろう。
イリヤの残した子供を、少しでも世話したいと思ったらしいが、とりあえず自分の子供のことは忘れないでほしいな、と少し心配な織田である。
そんな織田は、偶然にも空港で直史と出会った。
織田はシアトルへ、そして直史は日本へ。
「もういいのか?」
「最悪の状態は脱しましたから」
そうかな、と織田は少し懐疑的だ。
直史はとにかく安定している。
甲子園でもワールドカップでも、機械のように冷静だった。
もちろん感情のない人間だとまでは思わない。
だがこの強さこそが、大介にすらないものではないのか。
「うちの母と、大介の母親も来ているから、とりあえずは」
そういった母親たちよりも早く、直史は来たわけだ。
やっぱりこいつはちょっと、普通の人間とは精神構造が違うのかな、と織田は思う。
ピッチャーは常に、バッターに打たれる恐怖と戦っていると、織田は考えている。
過去にはピッチャーの経験もあるので、三割打てたら立派な世界で、バッターにヒットを打たれるのは、ピッチャーにとってはそれだけで負けだ。
だが直史は、そういった次元のピッチャーではない。
(まあ、二度と一緒にプレイすることもないんだろうが)
MLBの今の姿勢を見る限りでは、一緒に戦うことも対決することも、おそらくはないだろうと思う。
将来的に直史がMLBに来るにしても、それはまだだいぶ先になるはずだ。
忘れてはいけないが、こいつはまだNPBでは、二年目の新人なのだ。
妹たち二人のことも、織田はケイティからよく聞いていた。
だから兄である直史が、どれだけ心配しているかも分かる。
弟の武史は置いてきて、一人でアメリカにやってきた。
もっともそれは日本では、既にレックスが優勝を確実にしているから出来たことであろうが。
「シアトルはポストシーズンにも出られそうにないし、オフは俺もニューヨークに行く。ケイティのついでだけど、お前の妹たちのことも、気にしておいてやるよ」
自然と持っている兄気風。
実際は三男の織田なのだが。
直史はそれに対して、無言で頭を下げた。
なんだかくすぐったい思いを抱く織田であった。
なおこのオフ、直史がMLBに、しかも織田とおなじア・リーグ西地区のチームに来ると聞いて、死ぬほど驚くことになる。
だがそれは、まだ少し先の話であった。
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次回は悟回ですが、野球はあんまり関係ありません。
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