第11話 鬼塚英一 天才でない者がレギュラーを目指すということ

 実力よりも人気が先行している。

 それに苛立ちを覚えるのは、周囲よりも本人であろう。

 人気だけでどうにかなる世界ではない。

 実体のない人気はやがて、強烈な掌返しにつながる。

 ならば今はまだ足りなくても、ひたすら戦い続けるしかない。


 開幕から一軍にはいたが、スタメンには入っていなかった鬼塚。

 だが連れてきた助っ人外国人のハズレにより、四カード目からは七番レフトで出ることが多くなった。

 四月の打率は0.262でホームランは一本の九打点。

 打率だけを見れば七番打者として合格なのだろうが、長打が打てない。

 だから犠打をきっちりと決めて、外野フライを遠くまで追いかける。

 キャッチしてフェンスに激突しても、ボールは絶対にこぼさない。

 そんな試合が四月の末日にあって、右鎖骨を折ってしまったりした。


「また無茶やってんな」

 メロンを片手に見舞いにきた人々の顔を見て、驚く鬼塚である。

 ひらひらと手を振る武史にアレク。

 武史はまだ学生だから分かるが、アレクは一軍でシーズン中を戦っている。

「そうか、今日は月曜日か」

 入院していて曜日感覚がおかしくなっていたが、プロ野球選手はおおよそ月曜日が休みである。

 だが大学生が平日に埼玉までやってくるのはいいのだろうか。

「倉田も来たがってたけど、あっちは遠いしな」

「アレクはともかく、お前平日学校休んでいいの? 野球部の練習もあるだろ?」

「ああ、大学の野球部は基本的に、月曜日は必修入れないんだよ。うちの場合は月曜日がオフ」

「へえ」

 全く考慮していなかったために、詳しいことを知らない鬼塚であった。


 骨折自体は単純骨折なので、数日かけて腫れが引いたら退院できる。

 動き回れるし指先も使えるのだが、力をかけることはもちろん不可能である。

「実家に帰らねえの? 二軍の方がいいのか」

「つーか寮の方が食事とか洗濯が楽だからな。実家に戻っても両親働いてるし」

 なにげに鬼塚の家庭のことを聞くのは初めてである。

 なんとなくヤンキーの背景を聞いてはいけないという印象があったのだ。

 だがそれも自分で金を稼ぐようになったからには、もう解禁していいだろう。


 鬼塚の家は、別に貧しいわけではない。

 両親が揃っているし、夫婦仲が悪いわけでもない。

 ただ単純に、両親の期待が鬼塚よりも弟の方にあるというだけだ。

「お前、勉強できるのに生き方は不器用だからなあ」

 的確に言い当ててしまう武史は、もう少しデリカシーを勉強した方がいい。


 高校を卒業したら働くとは決めていた。

 その仕事がプロ野球選手になるというのが、かなり予定外ではあったが。

「でも身の回りの物はどうしてんだ? 埼玉まで持ってきてもらうわけにはいかないだろ」

「それは球団のマネージャーさんが、色々運んできてくれるんだ」

「ほ~ん。なんで千葉って選手寮は埼玉なんだろな。別に千葉の土地とか、東京みたいにゲキ高なわけもないのに」

「寮だけならともかく、、二軍のグラウンドを持って行くのがアレだろ。一軍に固定化したら下宿みたいな施設を紹介してもらえるし」

 埼玉はとにかく、交通の便と地価などの面で、都合がいいらしい。

 地元埼玉ジャガースの他にも、大京と千葉の寮と二軍グラウンドがあるのだ。

 地味に女子高校野球の聖地でもあったり、最近は甲子園でも埼玉代表の成績は上がっている。

 ただ鬼塚の言う通り、一軍と二軍の境界にいる選手には、かなり不便なのだ。


 


 また違う日には、違う見舞いがやって来る。

「おーす、元気か~」

 関東遠征中の大介が、岩崎と連れ立ってまたメロンのお見舞いである。

 プロ野球選手、ナチュラルにリッチになっているのである。


「怪我は一番ダメだろ~」 

 そんな大介もこの間は手首の捻挫で、しばらく欠場していた。

 普通の人間よりもはるかに早く回復したらしいが。

「まあ無理したくなる気持ちは分かるけどな」

 同じ、かろうじて天才の枠に入っている岩崎は、理解もするし共感もする。

 確かに怪我は避けなければいけないが、怪我を恐れてプレイしていて、スタメンを奪取出来るほどプロは甘くない。

 それこそ天才の中の天才は別であるが。


 ちなみにこれから二人は、ナイターでお仕事である。

 そんな中で、わざわざ見舞いに来てくれたわけだ。

 岩崎の方は出番があるかどうかは微妙だが。


 三年目でリリーフとして30登板以上はして、谷間のローテで先発もする。 

 ここで頑張って先発のローテに入れば、これからのプロ野球人生が大きく変わる。

 大介はそこを、理解はしても共感は出来ないだろう。


 天才の中の天才と、どうにかプロで戦力になれるかどうかの境。

 それが大介と二人の差である。

 岩崎は二年目から一軍の中継ぎとして定着。だがプロのピッチャーともなれば、やはり先発が花形なのだ。

 鬼塚はこの二年目はキャンプから一軍帯同であるが、ここでの離脱は厳しすぎる。

 全治二ヶ月などとはいわれているが、気合で半分で治すつもりである。


「左手の筋肉鍛えてるのか」

 ダンベルを持ち込んでいるあたり、鬼塚の必死度が伝わる大介である。

「まあスイングの引き手を強化するということで」

「お前これ、トレーナーさんと協力してやってんの?」

「いえ、やれることはとにかく自分でと」

 大介はその20kgあるダンベルを、軽々と持ち上げる。

「う~ん……これは下手に筋肉がついて、むしろスイングが遅くなるかもしれないぞ」

「マジすか」

「ゆっくりした動きは、むしろ瞬発力を低下させるってか、邪魔な筋力をつけるかも。まあ俺も確認したわけじゃないから、一度訊いてみた方がいいとは思うな」

 なおこの大介の指摘は、ある程度当たっている。


 リーグの違う選手であるし、何より高校の後輩だ。

 共に甲子園を戦ったという連帯感は、そうそう薄れるものではない。

 今年も相変わらず化け物染みた成績を残す先輩は、鬼塚の目から見ると眩しすぎる。

 遠ければただ憧れているだけで済んだのだが、それが身近にいるとたまらない。


 同じ世界に入って、明確に比べられて、はっきりと分かる。

 自分は大介はおろか、アレクにも遠く及ばない。

 だからといって、この道から降りることなど、今はまだ考えられないが。




 球団広報であり、選手のマネジメントも務めている三好真紀は、鬼塚の身の回りの世話もやってくれている。もちろん専属というわけではないが。

 とりあえず骨折部分の腫れが引いて、退院となる。

 右手を吊った状態で、タクシーに乗る鬼塚。

 下手に力を入れるのもまずいため、ランニングも出来ない。震動が骨折によくないのだ。

 なので二軍寮の近くのジムに通って、バイクをこいで心肺機能の低下などを防ぐ。

 あとは筋肉トレーニングは無理でも、下半身のストレッチは行う。

 漫然と治るのを待つのではなく、それまでに出来る事はいくらでもあるのだ。


 自分のバッティングフォームと、他のバッターのフォームとの比較。

 熱心に通う鬼塚に、分析係も率直に話す。

 とりあえず鬼塚はまだ、筋肉が足りない。

 去年も怪我でチャンスをつかめなかったが、もっと筋肉はつけるべきだ。

 単純な出力という以外に、体の骨や関節を守る鎧として。

 もちろんただ闇雲に筋肉をつければいいというわけでもない。


 右手を吊った状態で、そこまでやるのかと、お目付け役になった真紀は呆れている。

 だがこうやって肉体の代謝をよくしていれば、骨折も早く治りそうだと鬼塚は考えている。

 実際に医者で診てもらえば、その骨折の治り具合の早さが分かる。


 ギブスは二週間で取れた。

 大介は二日であったが、亀裂骨折と単純骨折では、治る早さは違う。

 それでも大介は異常であったが。

 テーピングで関節の駆動域を制限し、負荷のかかるトレーニングを始める。

 怪我から一ヶ月もたったころには、二軍の練習に普通に混じっていた。


 元気だなと思われて、凄いなとも思われる。

 二軍には今年入った新人もいて、その中には見知った顔もある。

「治り早いな。でも無理はしない方がいいと思うぞ」

 同期入団の水野は、一年目から一軍に出ることがあった。それは鬼塚と同じだ。

 故障したのも同じであるが、水野はそれから体作りをしっかりとして、二年目は二軍スタートながら、そろそろ上に呼ばれるはずである。


 おそらくは交流戦中か、交流戦明け。

 鬼塚がまた上に上がるには、もう少し時間がかかるし、タイミングもある。

 守っていたポジションの選手が怪我で抜けたのだから、当然そこは誰かで埋めなくてはいけない。

 そして鬼塚が治ったからといって、その代わりの人間がいい成績を残していれば、なかなか出番は与えられないのだ。


 無理はするなと天才どもは言う。

 だが無理をしなければ、その天才の足元にさえ到達することは出来ないのだ。




 鬼塚が一軍に戻ったのは、交流戦半ばの六月。

 まだスタメンでは出なかったが、次第に代走や守備固めなどで出番は増えていく。

 そしてこの年、もう二度と二軍に落ちることはなかったのである。

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