第10話 赤尾孝司 限定的で激しい競争
さて、今年もまた、プロの世界に足を踏み入れた者たちがいる。
その中で一番ポジション争いがキツイのは、キャッチャーである。
高卒キャッチャーとしては割と高めの順位で神奈川グローリースターズに入団した赤尾孝司は、合同新人自主トレに参加していた。
今年の新人は大卒が三人の高卒が五人。
孝司の目からすると、いささかならず戸惑うドラフトである。
神奈川は上杉が入って以来、四年連続でAクラス入り。
さらに言えば二年連続で日本一になり、その後もクライマックスシリーズのファイナルステージに進んでいる。
今の問題はやはり得点力である。
打線の援護が少ないというのが、神奈川がシーズンでライガースに負ける原因なのだ。
だからそれを考えれば、即戦力級のバッターをもっと取るべきではないのかと、孝司は思った。
だが実際のところ、大卒でそこまで優れた選手はそうそう取れるものではない。
もっともこの年は、東都リーグのスラッガー西園の一位指名に成功したのであるが。
神奈川は上杉を一位指名で取って以来、その次の年には玉縄を、そしてそのまた次の年には競合なしで大滝をと、ドラフトには恵まれていた。
その次の年はアレクを指名して、さすがにクジで負けてしまったが。
ことしの西園も他にもう一球団が一位指名していたが、クジで勝ったのだ。
おおよそドラフトの、クジ運自体はいいと言っていい。
一番良かったのは、やはり上杉の年であろう。
ピッチャーとしては大黒柱の上杉に、リリーフやクローザーで実績を上げている峠は、完全に一軍の主戦力である。
そして野手も三人ほどが、スタメンに入れ替わり入るようで、上杉世代のドラフトは強力すぎた。
神奈川が神がかっていたと言われたドラフトの年であるが、実際には上杉がそのカリスマを発揮して、チームを勝たせたのだ。
もっともその同期たちは、無理をして一年目からそこそこ故障してしまったが。
そんな上杉世代でもどうにもならなかったのが、キャッチャーのポジションである。
神奈川の正捕手は尾田であり、今年はもう38歳のシーズンとなる。
大卒一年目から一軍で働いてきた、ほとんどレジェンドとも言えるキャッチャーだ。
だがその存在が大きすぎて、次の世代が育っていない。
もちろん特にこの数年は、尾田の次のキャッチャーを考えて、毎年必ず一人はドラフトでキャッチャーを取っている。
だが大成する様子が見えない。
ある意味チャンスではある。
本来であるならどこかの球団の二番手キャッチャーを、トレードで獲得するというのがつなぎの補強になるだろう。
だが現在はほとんどの球団が次の正捕手や二番手捕手を必要としていて、なかなかトレードもまとまらないのだ。
(この三年で五人もキャッチャークビにしてんだから、フロントの補強の仕方にも問題があるんじゃないか?)
孝司はそう思うのだが、球団批判などはもちろんしない。
新人だけで集まっても、とりあえずこの中では、打撃なら二番目だな、と孝司は思える。
大卒の西園の方が、少しだけ上だろう。
だが追いつけるな、という程度の差に感じる。
あとは毎年当然のように、たくさん取ってくるピッチャーである。
孝司はその高卒一人、大卒二人のピッチャーの球を受ける。
いや逆じゃね? と孝司は思う。
得点力が不足しているなら、バッターをこそ大卒で取るべきだろう。
もちろんそんなフロントの批判はせずに、高卒同期と話したりするわけだが。
幸いなことに今年の五人の高卒は、全員が甲子園を経験していた。
これが甲子園に行っていないと、高校時代の思い出を話したりした時に、出場していない相手に自然とマウントを取ってしまったりするのである。
なおここに、甲子園未経験組の大卒が絡んできたりもする。
大卒は大卒で、甲子園ほどではないが、神宮経験がカーストとして存在するらしい。
「つーか優勝経験してるのお前だけだよな」
「最後の年は負けたけどな」
甲子園に優勝したチームにいても、それがプロで通用するというわけではない。
しかし孝司は一年の夏からベンチに入り、甲子園でもマスクを被った。
三年の時にはキャプテンもしていたわけで、このあたり高卒組では一番のカースト上位と言えるだろう。
実際の実力でも、とりあえず打撃ではそれなりに打てるし、マスクを被ってもちゃんとキャッチングしてくる。
「そういやお前、佐藤兄弟と組んだこともあるんだよな……」
そうなので、変化球もストレートも、キャッチングには全く問題がない。
問題があるとすれば、上杉のストレートを捕れるかどうかということだろう。
一軍の次代の正捕手になるための、絶対に必要な条件。
それが上杉の全力のストレートを捕ることだ。
武史の162kmを捕っていた孝司が、かなり高卒捕手としては、高い順位で指名された理由である。
もちろん他の変化球や、軟投投手のリードとしても、期待されている。
ただ孝司は、制球力の低いピッチャーとは、ここ最近組んでいなかったな、とは思う。
秦野が一つ下の世代で、大量に急造ピッチャーを作ったときは、確かに暴投も多かったが。
キャンプが始まれば、上杉のボールを捕る機会もあるだろうか。
一軍と二軍ではキャンプ地は違うが、同じ沖縄ではある。
「て言うか、お前普通にノック受けるの上手いな!」
内野陣に混じって守備の練習をしていると、そんなことを言われる。
「まあ一塁を守ってることも多かったんで」
正捕手がいても孝司の打撃力は魅力的だったので、三年になるまでは一塁で入ったり、あとは外野の練習もそこそこした。
そして孝司も樋口と同じように、走れるタイプのキャッチャーだ。
コンバートもあるのではないか。
バッティングで取られたはずの自分たちより、孝司の方が打てるし、そこそこ守れる。
当たり前だ。甲子園の優勝を三回も経験しているチームのベンチに、一年の夏から入っていたのだ。
スーパースターの球で、打撃練習もしていただろう。
少なくともこの新人の中では、ピッチャー以外では潰しのきく選手らしい。
それでも未来を信じているこの時期は、同期同士というのは仲がいいものだ。
二年目三年目と、差がつくのならまだいい。一方が惨めになるだけだ。
しかし当落線上で争う同ポジションとなると、そうも言っていられなくなる。
ピッチャーはまだしも、役割も枚数もおおいのだが。
その春季キャンプ、孝司はいきなり一軍の方に振り分けられた。
なぜだ、と自分でも分からなかったのだが、一軍に割り振られた先輩選手が教えてくれた。
新人のキャッチャーはとりあえず、上杉の球を捕れるかどうか、試されるらしい。
洗礼のようなもので、これに失敗して即二軍というのが、新人の通過儀礼であるそうだ。
170kmか。
いや、この時期だから、まだそこまでは投げてこないか。
(軌道はだいたいタケさんのものを想像して、あとは球速についていけるかどうか)
単純な速度だけなら、白富東には170kmが出るマシーンがあった。
武史のボールを想定してその球を捕っていたものだが、少なくとも武史のストレートの方が、ボールの軌道はおかしかった。
二月の沖縄、宜野湾市の球場で、一軍のキャンプが始まる。
神奈川と違って、こちらは充分に暖かい。暑いとまでは言わないが。
なるほどこれだけ暖かければ、怪我の危険性も低いだろう。
大勢のマスコミを引き連れて、上杉がブルペンに入ってくる。
その様子はまるで王様だ。少なくとも江戸時代は殿様扱いされていた家系らしいので、あまり違和感がない。
近くからは何度も見たが、挨拶程度しかしたことがない。
だがこの人のボールを捕れれば、一軍への道は近いということか。
これまでにも、一軍のピッチャーのボールは色々と捕らせてもらってきた。
少なくとも上杉以外のボールは、普通に捕れる。
(ナオさんに感謝だな)
あの人のカーブやスルーに比べれば、たいがいの変化球は普通である。
やはり、環境が成長を促すのだ。
どれだけの強豪校に行っていたとしても、あの二人のようなピッチャーは、他の高校にはいなかった。
それに淳のような変則的な技巧派も、経験を積むという上では非常に貴重ではあった。
自分は、間違ってはいなかった。
それが本当に証明されるのは、ここからだ。
コーチと少し話をした後、上杉が投げてくる。
軽く投げているはずなのだが、150kmは当然のように超えてくる。
(この時点でトニー並かよ)
そしてそのスピードはどんどん上がってくる。
「よ~し、行くぞ」
そう声をかけて投げられた上杉のストレートは、重かった。
つまり、ミットの中に入ったのである。
(タケさん並のストレートだけど、まだ全然本気じゃないな)
そう感じたところから、ホップするような球が低めに集められていく。
「初見で捕れるのは初めてだなあ」
バッテリーコーチは孝司の方を見ているが、問題はこれよりさらに上だ。
上杉の体に、何か見えない力が入ったような気がした。
そこから投げられたボールは、孝司のミットを弾き飛ばした。
溜め息が洩れるのは、やはり無理だったか、という気持ちなのだろう。
「もう一球!」
だが孝司は、一球目でおおよそを掴んだ。
武史のボールに、非常によく似ている。
だがおそらく、ほんのわずかではあるが、キレは武史の方が上だ。
さらに上の段階があるのかもしれないが。
同じように投げられたストレートを、今度は完全にキャッチした。
わずかに流れかけたミットを、親指でしっかりと止める。
(捕れることは捕れるけど、捕れるだけだぞ、これ)
上杉はコントロールもいいが、暴投したら絶対に捕れないだろう。
だがこれで、孝司は目標へと、一歩近付いたのである。
なおその後、チェンジアップを捕れずに股間を強打し、悶絶したのがこの日のオチであった。
三月に入っても、孝司は二軍のキャンプには落ちなかった。
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